「それでは服を脱いで」
私の言葉に彼女は黙って従った。診察台と私のデスクとの間に置かれた薄い仕切りの向こう側で、サンダルを脱ぎ捨てたその足がちらりと動く。彼女の裸体など見慣れている私にとって、仕切りの向こう側で蠢くその影は、彼女が日中見せるどの姿よりも魅惑的だった。
「随分進行しているようだ」
彼女は黙って頷いた。そんなことは私に言われるまでもなく、本人が一番分かっていることだ。私は診察台の上に脱皮の後のように打ち捨てられたナース服をちらりと見た。露わになった彼女の左胸を、右手で揉みしだく。彼女は何も言わなかった。
「感覚は無いのか」
「ありません」
即答だった。私は手を放し、デスクの上に開かれたままのカルテに素早く書き込んだ。「左上半身全域と右目の鉱石化を確認」。続いて幾つかの薬名を彼女に告げ、服用するように指示する。無論、効果の程など見込めない。しかし手をこまねいている訳にもいかないのだ。
飽石病、というのが私が彼女を蝕む奇病につけた名前だった。彼女がこの病棟で働くようになった頃は、未だその発症は確認されていなかった。「右目がとても痛くて」と、患者の診察が一段落した頃におずおずと申し出た彼女の瞳の異様なきらめきを、私は今でも忘れることが出来ない。
この病棟に入院しているのは、皆彼女のように奇病を発症させた者たちばかりだ。しかし誰一人として同じ症状の者はいない。例外的に、左右対称に肌の陶器化領域を広げていった双子がいたが、彼らは去年の秋に手に手を取り合って自殺してしまった。できた血だまりは人一人分にも満たなかった。
残った彼らのバラバラの身体を集めたのも彼女だったように思う。その時既に左手の殆どは不吉な色をした鉱石へと変わっていて、彼女はその不自由な手を器用に操って破片を回収していた。その時に小指を落としてしまったのだと、後から何故か申し訳なさそうに言った。
私は彼女の小指を、他の医師でも、異端の集う閉ざされた学会でもなく宝石商へと送った。返ってきた返事に、私は別段驚きはしなかった。「こんなに美しいガーネットは見たことがありません」。私の見立ては間違っていなかったのである。矢張りその輝きは天然の宝石のそれだったのだ。
そのことを伝えると、彼女は何故か安堵したような表情を見せた。
「先生」
訝しむ私の目の前を仕切りで塞いで、彼女は診察台の上のナース服を取り上げた。
「もしも私が全身宝石になってしまったら、……ああ」言葉の途中で煩わしそうな声を上げる。左手が思うように動かないので、服を着るのも一苦労なのだ。
「……その時は、きっと私はもう私ではなくて、ひとつの意思のない、感覚もない、ただの石ころになるのでしょう」
目利きの宝石売りを唸らせたその輝きを石ころと切り捨てて、彼女は言った。
「その時にはきっと、私の身体をバラバラにして売り捌いてください。先生がこんな、陽の光の届かない病棟で一生を終えなくて済むように。どこか明るいところへ引越して、一生を健やかに過ごせるように。そうしてたったの一片だけ、先生のお手元に残しておいてください。そうすれば私、幸せですから」
「……考えておくよ」
仕切りから出てきた彼女に告げた私の返答は、たっぷりと間をとった癖にひどく曖昧で、おまけに無難だった。しかし彼女はそれでも満足気に笑うと、未だ人肌の色を保っている右手で軽く帽子を直した。
「そろそろ十二号室の女の子が目を覚まして泣き出す頃です」
彼女はそう言って微笑むと、つま先で床を軽く叩いて、ぱたぱたとサンダルを鳴らして病室を出ていった。残された私は溜息をつき、彼女のカルテを机に仕舞う。そうして、もう一冊のカルテを取り出した。ああ、きっと私は彼女の望みを叶えてやることは出来ないだろう。カルテを開いてペンを取る。
白衣と上着を脱いで、診察室に取り付けられた小さな鏡に上半身を映す。幸い症状が出ているのは腹部だけだ。まだ誰かに気取られるような範囲ではない。
「腹部、臍上から胸までにかけての鉱石化を確認」。
ナースステーションに呼び出しのランプがつくのを見ながら、私はカルテを閉じた。
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