誰かから奪ったものは誰かに奪われるというのはほんとうかしら。よその家庭から連れ去った女をさんざん啼かせたあとで、ぼんやり思った。
夜気が湿っていて、一雨来そうな予感がする。ふと、彼女の家のベランダに干されていたワイシャツがはためく画が見えた。たしかそばには、ちいさな娘のワンピースも揺れていたっけ。
洗面台で顔を洗って鏡を見たら、ずいぶん頬の赤い自分と目が合った。こんなにせつなそうな顔がまだできるものかと、少し照れくさくなる。二十八歳。そろそろ誕生日がやってくる。
今年は好きな女と過ごせるかもしれない。
洗面器に落ちていた長い長い栗色の毛を人差し指で巻き取ってゴミ箱に捨てた。
寝室に戻ると、さっきまでベッドに横たえていたはずの理緒が、身体に毛布を巻き付けてテレビを付けていた。液晶に照らされた肩がなめらかに光っている。
美しい骨のかたちを眺めていたら、性懲りもなくあの快楽が欲しくなり、やさしく背中を抱いてみたけれど、ニュースは不穏な色を映していた。
「スクールゾーンでトラックの居眠り運転事故。うちと同い年の子供が死んじゃったって。娘をこんなふうに亡くしたら、わたし立ち直れないわ」
両腿の乾かぬうちに、理緒の心はこうして家庭へと戻ってゆくのだった。
ふやけた指を持てあますわたしは、言葉の代わりになめらかな曲線に歯を立てる。母親の顔をした理緒は、わたしの聞きたい音色を聞かせてはくれない。
こうなることはわかっていたし、割り切っているつもりだった。はじめから報われない恋だとは。それなのにどうしてこんなに苦しい。
遠くで雨音が聞こえる。おやすみと呟いて、かたくまぶたを閉じた。
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