隣人

隣人シリーズ(第1話)

山田ゆず

小説

5,125文字

少し変わった隣人達のお話。過去作改訂版。

隣人

 

どうやら俺は他人から見ると話しやすいタイプらしい。思い返せば今まで老若男女問わず色々な話を聞いてきた。
そのおかげか大抵の話題では驚かなくなったし、相手の喜ぶ受け答えが無難に出来るようになってきたと自負している。

住まいはアパートだが外観や築年数の割に造りがしっかりとしている。
このアパートはもともと大家さんが終の棲家を兼ねるものをと建てたものらしく、自分の技術と長年培ってきた人脈を活かして最高のものを建てたとか。
内装も俺が入居した頃にはリフォームされ、今風のシンプルなものになっていた。
立地も良く駅まで徒歩10分。スーパーやコンビニ、そこそこ評判が良い病院も近所にある。
こんな優良物件だがすぐ裏に墓地があるというだけで敬遠されるようで、空き部屋が暫くそのままになっていることも多かった。
個人的には嫌がる人の気持ちは理解できないが、もしかしたら死体を嫌悪するという動物的な感覚、野生の勘が強い人達なのかもしれない。

しかしそれでも入居する人はいて、この好条件の住まいに長く留まることが多い。
俺も5年は住んでいるが、特別な事情(田舎に帰る、結婚して広い部屋に移り住むなど)がない限り退去した人はいなかったと思う。
唯一の例外はあったが、多分その原因と思われるものがなくなっただろうから、これからはそれもなくなるだろう。

こんな曖昧な言い方しかできないのは、柄にもなくまだ動揺しているからかもしれない。

 

まだここへ住み始めて1年くらいの頃、隣の部屋だけやたら入れ替わりが激しいことが気になった。
タイミング良く引っ越しが決まったことがわかった隣人達に、出て行くわけを聞いてみたことがある。
最初に尋ねた相手は、入居当初から聞いてもいないのに自分のことを喜々として語っていた若い女の子。初めての一人暮らしでご迷惑おかけするかもしれません、と引っ越しの挨拶に来た時に言っていた。

それから何度か話すことがあったが、最近オープンしたカフェで働き始めたとか、将来は自分のお店を持つのが夢だとか、最近ちょっと気になる人がいて……などいつも楽しそうに話していた。
ただ、会う度に段々と元気がなくなっていたような気がする。

今振り返っているからそう思うだけで、そのとき気付いていたかと言われればきっと首を横に振ることになるだろう。
元気がないように見えるのは、きっと新しい仕事が忙しいんだろう、まだここでの生活に慣れていないからなんだろう、としか思っていなかった。

そうではないと判断できるほど親しくもなかったと思う。

 

暫く見ないなと思っていたある日。別人じゃないのかと思うほど鬱々としていた彼女がいた。

「明日ここを出て行くんです。今までありがとうございました。お話楽しかったです」

ちっとも楽しそうに見えない疲れきった顔でそう言われ、ふとその部屋の出入りが激しいことを思い出して退去する理由を聞いてみた。

「出て行く理由ですか? ……なぜかこの部屋、居心地悪いんです。いい部屋だと思うんですけど」

私にもよくわからないんですと言い、それを最後に彼女は居なくなった。

俺の部屋も隣の部屋も左右対称なだけで造りは同じ。住み心地は悪くないはずだし、彼女もいい部屋だと言っていた。
居心地とはまた別物なのだろうか? と疑問に思ったが、良いものと好きなものは別なのかもしれないな、と納得してそのまま忘れていった。

 

その後も相変わらず誰が来ても居着くことはなかった。

半年前に入居して、近々退去が決まっている今の隣人が来るまでは。
その隣人はどこにでもいるような高校生だった。

なんでも、父親の仕事の都合で家族揃って遠方へ引っ越す予定だったが、友人と離れたくないがために両親を説得し一人暮らしを勝ち取ったらしい。
ややノリが軽いような気もしたが、自分が年をとった分そう感じるだけで今時はそれくらいが普通なんだろう。

たまに友人が遊びに来てゲームでもしてるのか大騒ぎしている声が窓越しに聞こえることもあった。
賑やかだと思う事はあってもうるさいと思う程の馬鹿騒ぎでもなかったので俺には気にならなかったが、本当に申し訳なさそうに会うたびに謝られた。
件の友人は一人暮らしをするきっかけになった友人らしく、幼い頃から一緒に過ごしていた幼なじみらしい。
最近両親が揉めていて家に居場所がないから息抜きに来ているようで、近隣に迷惑とわかっていても少しでも楽しい時間を過ごせるならとついつい甘くしてしまうのだとか。

ふと、彼の異変に気付いたのは入居してから1か月たった頃だった。
今までの住人ならすでに鬱々としたり少し元気がなくなり始める頃なのに、特になんの変化もなく住み続けているはおかしい…。
などと考えてから、今まではたまたま部屋を気に入らない人が続いただけでむしろこれが普通のことだと思い直した。
些細なことを関連付けて考えてしまうのは視野が狭くなるから気をつけないといけないのだが、なかなか徹底はできないものだ。

それから暫くして、また彼に話しかけられたがいつもと少し様子が違う。
何か言いたいのに言えない、言いにくそうにしている。

「実は友達が……あっ、友達と言ってもいつものやつとは違う子なんですけど、お隣さんの話してたら会いたがってて。あの、もしご迷惑でなければ家に来て会ってもらえませんか?」

切羽詰まった顔でようやく切り出したかと思えば、大した話でもなかった。
確かに突拍子もない話ではあるので言いにくいのもわからなくはないがあまりにも言い淀んでいたために、まさかこちらが何か迷惑でもかけているのかと心配になっていたところだったので拍子抜けだ。

会いたい理由はよくわからないが断る理由もな会いたい理由はよくわからないが断る理由もないので快諾する。

「図々しいついでに今日これからでもいいですか?」

相変わらず申し訳なさそうに言われたので、特に予定もないし夕食後ならと返事をした。

 

「来てくれてありがとうございました。正直、断られてもしょうがないと思ってたんです」

意味わかんないですよねと苦笑していた彼は、将来人に頼られて苦労しそうだなと少し同情してしまった。
しかしきっとそういう性質なら良い縁にも恵まれるだろうから、苦労する甲斐はあるだろうか。

「して、その友人はこれから来るのかな?」

上がらせてもらったはいいが会いたいと言っていた本人がいない。急なことだったので今連絡してこちらへ向かっている最中かもしれない。
質問しておきながら自己完結してしまったが、彼はまた言い淀んでしまった。呼びつけたのに本人が遅れていることを申し訳なく思っているのかもしれない。
待つことは苦ではないと伝えようとすると先に彼が口を開いた。

「あの……もう、いるんです」

ここは広めのワンルームで他に部屋などはないし、風呂の扉はアコーディオンで中の様子がわかるタイプだが電気も消えている。
まさか会いたいと言っている人間が、真っ暗な風呂に隠れているということもないだろう。

「彼女、幽霊らしくて。いや、オレには普通にいるように見えるんですけど、あいつも見えないって言ってたしお隣さんにも見えないっぽいですね……」

自分でも妙なことを言っている自覚はあるようで、段々と声のトーンが尻すぼみになっていった。
まさか幽霊に興味をもたれるとは思わなかったし、そもそもいるのかもわからない。
何せ見えないのだから。

彼の様子を見る限り妄想に取り憑かれているような独特の雰囲気はないようだ。しかし妄想を普通の日常と捉えてしまえば、雰囲気が変わらない可能性もあるかもしれない。
何にせよ自分に害がないなら、この手の話は無闇に否定しない方が経験則からトラブルにはなりにくいとわかっている。
本人のためには肯定もしない方がいいらしいが、身内でもカウンセラーでもないただの隣人で、好ましく思ってはいるが人生を背負ってやるほどでもない。

「すまないが、俺には霊感というものはないらしい。残念ながら姿も見えないし声も聞こえないが、そもそも俺に会ってどうしようと思ったんだ?」

幼子ではないのでイマジナリーフレンドというわけではないだろうが、似たようなものだろうと存在を肯定することにした。

彼は、まさか信じてもらえるとは思わなかったと泣き出してしまった。友達にも見えなかったようだしきっと信じてもらえなかったのだろう。
こんなに彼を追い詰めるとは……。
やはりイマジナリーフレンドと似たようなものであって同一のものではないのかもしれない。聞きかじった範囲では、どちらかというと心の安定に役立つ存在であるようだし。

泣き止むのを待ってから、改めて会いに来ると伝えてから俺は自分の部屋に帰った。どんな理由であれ泣くところを見られたのは、きっと恥ずかしいと感じただろうから。
たとえ大の大人であっても、自分の言う事を誰にも信じてもらえず諦めていたところで信じてもらえたなら、泣いてしまうことはあるだろう。
だから恥ずかしいことでもないのだが思春期真っ只中の少年がそれを理解しているかと考えると疑問だ。

実際あれからしばらくの間は会うたびに恥ずかしそうにしていたし、普段はよっぽどじゃなければ泣いたりしないと口にしていた。幽霊が見えるなんてよっぽどのことだと思うが。

その後、彼から話を聞くと、最初は近所の子かと思ったとか、幽霊だと言われても信じられなくて友達に見えてないと言われて驚いたとか、話せる相手がいなかった分それを取り戻す勢いで喋っていた。
気を使ったのか、これ以上おかしいと思われるのが嫌だったのか定かではないが、目の前で幽霊と会話することもなかったので、俺の中ではちょっと変わった同居人がいる程度の認識になっていった。

きっと最後に会った日に、会わないまま彼が引っ越して行ったらなら、もしくは近々引っ越しすると言われた時に早々に話を切り上げていたらその認識のままだっただろう。

 

「あの、彼女が気が付いた時からあの部屋にずっといるって事はこの前話しましたよね? でも最近、オレが一緒にいれば外に出れるってことが偶然わかったんです。そしたら彼女が別の場所に住んでみたいって言ったから」

俺は今の部屋が気に入ってるから死ぬまでここに住みたいと思う。だがそれも、他の場所を知っているからこそなんだろう。
自分で選んだわけでもなくなぜかいた程度の場所なら他の場所を見てみたいという気持ちもわからなくもない。
他人の思惑で引っ越さなければいけないとは相変わらず損な性格に思えるが……。
見るからに幸せな雰囲気が漂っているから満更でもないのかもしれない。

彼もまた色んな場所を知っているわけではないだろうから。

 

彼にとって彼女は、見えるし会話もできる普通の女の子で、聞くところによるとかなり可愛いらしい。
頭では幽霊だとわかっていても四六時中ともに過ごせば、異性をいう事を意識して恋に落ちることもあるだろう。

両思いになったと喜んで報告してきたときは、心から祝福した。
他人に見えない相手との恋愛は今後大変そうだなとか、見えて会話できるのは聞いたが触れられるのか? などとリアルな現実に思いを馳せてしまった。

 

そして引っ越しの日。

なかなかに面白い話を聞かせてくれる隣人がいなくなるのは残念だが、縁があればまた会うこともあるだろう。

「ここにはまたいつか戻ってきたいと思うんですけど、そんなタイミング良く部屋が空いてるってこともないですよね」

残念そうに言うので気休めに、今までその部屋は人が居付かなかったから案外大丈夫かもしれないぞと伝えると、急に俯いてしまった。

「それ多分、彼女のせいなんです……」

言われてみれば確かに幽霊は基本的に悪さをするものだろう。しかしどう返事をしたものかと思案していると、彼は返事を待たずにそのまま語り続けた。
彼女は気がついたら知らない部屋にいて、人がいたから話しかけても無視され、しばらくしてようやく自分が幽霊だと気付いて絶望したんだとか。
そして自分はどこにも行けない誰とも話せない、それなのに目の前にいる人はどこにでも行けるし誰とでも話せるということが、八つ当たりとわかっていても憎くて仕方なかったと。
そうして憎んでいるといつの間にか人がいなくなり、また新しい人がきてまた……と繰り返していたらしい。
よくある幽霊話だと聞き流していたが、ある女の子の話が出て思考が一瞬止まった。

 

彼に、あのなぜか居心地が悪いと出て行った女の子の話はしたことはなかった。

 

そして彼は引っ越して行き、隣の部屋はもう空くことはなくなった。

 

 

2017年10月22日公開

作品集『隣人シリーズ』第1話 (全2話)

© 2017 山田ゆず

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