「ついに完成したぞ。これがあれば人々を幸せにできるぞ。」
男は七十代の科学者で自室にこもり日々ある薬の開発に励んでいた。二十代の頃に大学を辞めてから五十年以上ある薬を作っていたのである。彼は子供のころからいじめられっ子で、大学に入ってもあからさまないじめは減ったが、陰湿なやり方に変わるだけでそう変わりなかった。夜寝る前に争いの無い世界を空想するのが彼の唯一の楽しみだった。陰湿ないじめで徐々に大学に居づらくなった男は、大学をやめて世界が平和になる薬を作るために家に篭った。男の親は彼が中学生の時に亡くなっており、その遺産は膨大な金額だったので資金の心配をせずに開発に没頭できた。
世界を平和にする、という夢が五十年経った今、実現されたのだ。
男はコートと帽子を身に付けて外に出た。家に篭りっきりだったから外の事情には疎いため、色々な人に話を聞きいてから使おうと考えたのだ。もし、みんなが幸せだったら薬を使う意味がなくなってしまう。
「しかし、初対面の他人にそんなことを話すものだろうか……。」
そんなことを考えているうちに駅前まで来てしまっていた。駅前には居酒屋やファミリーレストランなどさまざまな飲食店があり、人がごった返している。しばらく駅の周りをうろついていると、何やら歌声が聞こえてきた。音をたどって行くと、そこでギターを持った若者が数人歌っている。歌を聴く限り、平和や戦争を題材にしたものだろう。丁度良い。と男は思い、歌い終わったのを見計らってさっき歌っていた若者の一人に声を掛けた。
「突然すみません。ちょっとおたずねしたいことがあるのです。」
ギターを持った若者は愛想良く、その声に答えた。
「はい。なんでしょう。」
「初対面の方にこういったことを聞くのは失礼だとは思いますが、今の世の中が平和になって欲しいと思ったことはありませんかな。」
若者は少し驚いた顔をしたが、すぐもとの愛想のよい顔に戻った。
「そりゃあ平和になるに越したことはありませんね。」
と手元のギターの弦を爪弾きながら答えた。
男は、
「それを聞いて安心しました。実は私、世界が平和になる薬を作ったのです。私の努力が無駄にならなくて済んでよかったです。」
と言い、なにか思い悩むような顔をしている若者の前を立ち去ろうとしたがすぐに呼び止められた。
「えっと、その、その話は本当ですか。」
「ええ、本当です。五十年以上の時間を費やし完成したのです。」
と男が自慢げに話すと、若者の顔色がどんどん悪くなる。心配になって男は声を掛けた。
「どうしたのですか。」
「いやぁ、ああいうことを言った手前申し訳ないんですが、その薬を使われてしまうと曲が作れなくなってしまうんですよね……」
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