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私が人類考古学を専攻したのは、かつては確かにあった「愛」というものについて学びたかったというのが大きな理由だ。
なぜ、人類が高度な文明を持ちながらも滅んでしまったのか――それについても気になるところもあるにはあるのだけれど、彼らが「愛」というものを持ち、「愛」というものを理解し、そして「愛」というものについて様々な言葉で語っているのを見たり読んだりしていくうちに、私もどうしてもそれを理解したくて仕方がなくなったのだ。
そう、それが、私の存在理由だといってもいいくらい。
それだけのために私は思考し、デコードする。
たったそれだけの理由のために、私は途方もないデータの中から愛の残滓を探し、解析するという、無限にも思える発掘作業を繰り返しているのだった。
ただ、私が実際にクーナエ発掘局に所属してから九〇〇年以上が経過していたけれど、進展はあまりいいとは言えなかった。テンノ記録といくつかの文化シソーラスを発見したことを除いては、真新しい発見はほとんどなく、私は今日もデータの地層をあさりながら、ただひたすらに化石を見つけてはデコードする作業を繰り返していたのだった。
視覚膜に浮かべた幾つかのデータを発掘しながら、私は数世紀前に発掘したビデオフッテージを再生する。視界の片隅からウィンドウが現れ、そこに映し出されたその男の顔をぼんやりと眺めた。
黒縁の眼鏡とモジャモジャとした黒髪。
血走った瞳には、ギラギラとした茶色の虹彩がすっぽりと収まっていた。
それはまるで見るものを焼き尽くそうとすら感じさせるほどで、彼の瞳にはそんな複雑な感情がない交ぜになったような不思議な輝きが宿っていたのだった。
一拍おいて彼が語り始める。愛について、また自らが書いたテキストデータについて、熱のこもった演説をつづける。ただそれだけのビデオフッテージだ。
このデータからわかるのは、彼――つまりテンノが今から数十世紀前の人物であるということと、彼の虹彩から分析した遺伝子系図によるもので、テンノが私を作ったであろう創造主の先祖だという事実だけ。しかし、そんな些細な化石が――私を不思議な気持ちにさせるのだった。
なぜ彼はそんなにも愛について真摯に語っているのだろう。
なぜテンノは愛について語るときに相反する言葉を用いるのだろう。
なぜ、テンノは半世紀にわたって愛について記述しつづけてきたのだろうか。
私の中には疑問ばっかりが渦巻いていた。
他の文化シソーラスの単純明快な理論はいとも簡単に理解することが出来たのだけれど、どうしても私は、彼――テンノについてだけはどうにも理解することが出来なかったのだった。
テンノの残したテキストデータとビデオフッテージ、そして音声ファイルには幾度となく論理解析をかけて挑んでみてはいたのだけれど、これっぽっちも理解することなど出来なかったのだ。
ひょっとすると彼の語る言葉はすべてがすべてデタラメなのかもしれない。しかし、それでも、私が引きつけられるだけのものが彼の記録にはあったのである。
テンノは愛を知っていたはず。でも、私にはちっともわからない。
私がそんなことを考えていると、にわかにホリゾントの片隅に一つの通知が表示される。
PINGコマンドだ。私からもPINGを送る。
するとそれに反応して《後ろを振り返るな》というメッセージが送信されてくる。
意識を解析画面から後方へと向けると、そこには一人の男の姿があった。
同じ人類考古学部のクーナエ発掘局に所属する人類言語学者のウジャトだった。
「よぉ。研究バカ。後ろを振り返るなって言っただろう?」
ウジャトは表情筋をやたらと大げさにゆがませながらそういった。
あきれた男だ。また、作業をほっぽり出してここに邪魔しに来たらしい。
「見るなのタブーは見るまでがワンセットでしょう? それでなにか用?」
私は効率よく用件を進めるために、八十番の思考パケットを解放した。
しかし、彼は苦笑いしながら、手をパタパタと振って思考接続を拒否した。
「ただの世間話をしに来たんだよ。わかるかイリス。コミュニケーションだ」
「コミュニケーションより研究成果よ。それとイリスって呼び捨てにするのやめて」
「全くお堅いもんだね。じゃあ、コミュニケーションついでに、コンフィギュレーションの方も先に渡しておくかね。ほいよ」
彼の思考パケットが解放され、思考接続リストに《Wadjet》の文字が表示される。
私は手っ取り早く馬鹿馬鹿しい会話を終わらせる為に、八十番の思考パケットを再度解放する。ホリゾントに「Wadjet was connected to Iris.」と表示されたのを確認して、共有フッテージを受け取るとそそくさと接続を切った。
「それで、用はそれだけ?」
私は彼に背を向けて、再び暗号化された化石の発掘作業に戻った。ウジャトは芝居かかった咳払いをすると、数歩足音を立てて、私の頭にあごを乗せながら尋ねた。
「なんのデータか見ないのか?」
「ウジャトが持ってきた物が大した物だったためしがない」
「酷いな。だが、今回は残念ながら違うね。きっとイリスも研究をほっぽり出してコミュニケーションしたくなるはずのデータだ。見た方がいいぜ」
私はウジャトを頭の上から払いのけながら、しぶしぶ受け取った共有フッテージを開いてみた。どうやらビデオデータらしかった。サムネイルを表示して気づく、これはテンノのデータだ。
「なぁ、どうだい。コミュニケーションしたくなっただろう?」
「どこで見つけたの?」
「君管帯のクズ山の中から偶然。まぁ、あそこはソリッドデバイスのスペックデータの紹介フッテージしかなかったから、イリスも探してなかっただろうしな」
「言語のエンコードはしてある?」
「当然してあるさ。もう見られる。ただ、再生にはパスワードが必要だけど」
「パスは?」
「俺だけが知っている。まぁ、破るなら見るまでに三世紀はかかるだろうな」
振り返るとウジャトはニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべていた。嫌がらせには嫌がらせをと無意味にPINGを大量に送りつけたくなってしまう衝動にかられたが、大人しく彼に向き合うことにした。
「なんで、こんなことをしたの? いたずらが過ぎるでしょ」
「それについては一番最初にメッセージを送ったはずだ」
「なんて?」
「だから、後ろを振り返るなっていっただろう。過去を振り返ってもそこには何もいない。つまり、コミュニケーションを取りたいのであれば化石とではなく、俺とするべきじゃないかってことだ」
私はため息をつく、今までかまってちゃんのウジャトにはたびたびうんざりさせられてきたけれど、今回ばかりは程度が過ぎていた。なぜそんなことをしてしまったのか、理由は全くわからないけれど、私は自分のコミュニケーション回路を少しばかり動かして、はじき出された答えをそのまま口から発声した。
「なによ。嫉妬?」
私の感情がこもっていない軽口に、心底あきれたのか、ウジャトはため息をつくような動作をした。
「嫉妬ってお前な。誰が化石に嫉妬なんてするかよ。お前が心配なだけだ」
「そうよね。嫉妬ではない。私たちにはそれをする機関が備わっていない。知ってるわ。そして、心配する機能も当然ない。だから言葉遊びはやめて」
「仕事を忘れて遊ぶことも俺たちには必要だ」
「遊んでばかりいるのもどうかと思うわよ」
「それこそお前が愛にこだわる理由はよくわからねぇけどよ。でももしも仮に『愛』なんていうものを発見できたら、アシモフ人類学賞ものの発見だと思うぜ。俺は無理だと思うけどな」
「無理だなんて誰も証明してない」
「まったく、これだから研究バカは」
そんなコミュニケーションとも言えないやりとりを幾ばくか続けた後に、ウジャトは満足したのか、それともうんざりしたのかはわからないけれど、私にビデオデータにかけたパスを渡してくれた。パスは『Iris』つまりは私の製造コードだった。勿論、ウジャトには何かを創造する機関が備わっていないから当然といえば当然なのだけれど、あまりにも脆弱なパスワードだった。
私は『Iris』とパスを入力してフッテージファイルを再生する。
黒縁のめがねをかけた男の姿が映る。
モジャモジャとした黒髪をかき上げながら、彼は――テンノは芝居じみた大げさな仕草をすると、口を厳かに開き、語り始めた。
《たとえ、人々の魔法の言葉、天使たちの不思議な言葉を用いても、愛がなければ、わたしは鳴るドラ、響くシンバル。たとえ、預言の賜物を得て、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完璧な信仰を持っていようとも、愛がなければ、何物でもない。すべての財産を貧しい人々のために使い果たそうとも、誇ってわが身を死に引き渡しても、愛がなければ、わたしには何の益もない。愛は忍耐。愛は慈悲。ねたまず、愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ぶことなく、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐えるもの。そして、愛は決して滅びない。預言は廃れ、言葉はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分であるから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。わたしがまだ幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。しかし、成人した今、幼子の時のことはやめにした。わたしたちは、今、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそれがおとずれた特には、鏡と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきりと知られているようにはっきり知ることになる。それゆえに、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中でも最も大いなるものは、愛。だからこそ、俺は愛に生きる》
一気呵成に話し終わると、テンノはにっこりと笑った。
その笑顔にどこか懐かしさを感じていると、そこで動画が止まった。
そこでビデオは終わっていた。
おそらくは、何かの文献から引用したセリフなのだろう。
長い言葉だったけれど、その一言一言に血を注ぎ込むような気迫を感じされられるデータだった。
私は、『解析が完了しました』という解析していた化石データの通知を無視して、思考を閉じた。
《その中でも最も大いなるものは、愛。だからこそ、俺は愛に生きる》
すべてから隔絶されているはずの私の電子の脳みそには、それでも彼のその言葉が響いていた。
なんなのだろう。愛は、なんなのだろう。愛は。
わからない。だからこそ、知りたかった。
私は、思考を今一度開くと、先ほど解析が終了したデータをウジャトへと送信した。
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次の日、送信した解析データの言語整合処理が終わったのか、それとも嫌がらせをしに来たのか、ウジャトがまたやってきた。
彼は、私の頭にあごを乗せたり、大げさな仕草をすることなく、珍しく真面目にこう告げた。
「先日送ってきたデータだが、おそらくこれは人類が滅んだ理由だ」
私はそれを聞いて少しばかり、がっかりしたのか、びっくりしたのか、わからないけれど表情筋をこわばらせながらも、ウジャトに思考ポートを開き、言語エンコードが済んだデータを受け取った。
それのデータは、テキスト形式にしては膨大な容量だった。
元々ビデオデータだと勘違いするほどの容量だったから当然といえば当然だった。
「それで、人類はどうして滅んだの?」
私は、テキストデータをスキャンしながらウジャトに尋ねる。
彼はそれに神妙な面持ちで答えた。
「いや、残念ながらどれが本当の理由なのかはわからない。だが、これを見る限りではすべての実現可能性を解析して、人類の存続可能性がゼロになったことを証明してしまったみたいだ」
「すべての答えを出し尽くして、ここにあるいずれかの結末を選んだってこと?」
「そうだな。人類の未来を、複数人零和有限確定完全情報ゲームだと仮定して計算してみたとしたら、確かにこの時点で詰んでいたということになる。いずれの未来を選んでも破滅。本当に悲劇的な話だな。いや、滅亡の方法は選べるから幸せなのか」
私は想像してみた。
人類はどうあがいても自分が破滅すると知ってどうしたのだろうかと。
テンノは――いや、その子孫である私の創造主は何を考えたのだろうか。
彼らは、この沢山の文字データの中から自分の運命をしっかりと選べたのだろうかと。
いずれにせよ。それは誰にも選べ得ない決断だったはずだ。
「ただな、一つ不可解なことに、処理量が恐ろしく多い。数世紀前には、未来の選択肢をすべて解析する何らかの機関があったと考えていいだろう。俺や君ではこれの答えは出せなかっただろうな」
ウジャトはテキストデータの中から、一番実現可能性が低そうな破滅原因をいくつか抜き出して、ゴミ箱フォルダへと放りながら、ぼそりとそう言った。
確かに膨大なデータだ。
私の頭だけの処理能力では、とてもじゃないけれど無理な話だろう。
「でも、これって私とウジャトを並列接続して処理すれば出来る量じゃないかしら。おそらく思考は混ざって元には戻せなくなるとは思うけど。それなら、大体一週間位で終わるんじゃない?」
「いや、それなら六日くらいで出来るな。七日目は神様のごとくゆっくりと休めばいい。まぁ、俺はお前と並列接続するなんて死んでもごめんだけどな」
ウジャトはデータの中から『核戦争』や『公害』といった物を抜き出して、「お前なんてこうだ」とでも言わんばかりにゴミ箱へと投げ放った。
「でも、知りたいとは思うんでしょ?」
私がそう言うと彼はため息をついて、こちらをまっすぐに見据えた。
「イリスはわかってないな。なんで俺がいるのかとか、なぜ、俺がイリスに話しかけにくるのかとか、色々なことがわかっていない。いや、それはわかってなくてもいいんだ。ただ、俺はこれが『仕事』だからデータを持って来ることにはしたが、後ろを振り返ること自体に俺は、正直乗り気がしない。勿論、並列接続するのもそうだ。ただ、俺は拒否することも、知りたくないということも、並列接続を拒むこともできないんだけどな」
ウジャトはそう支離滅裂なことを言い放つと、データの分類に飽きたのか、すべてをゴミ箱フォルダへと投げ込むと、ポートを閉じて帰ろうとした。
なんだか様子が変だ。
学者なら知りたいと思って当然だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
「なによ。私のこと嫌いなの?」
私は冗談めかしてそう尋ねる。
「違う。違うが、まぁ、発掘バカウイルスが感染するのは確かに嫌だな」
「非致死性でしょ?」
「それならなおさら嫌だな。お前も今日くらいは休めよ。大昔は安息日だったんだろう? 日曜日って奴は」
ウジャトは軽口にそう返すと、最後に一度だけPINGを鳴らして、いなくなった。
変だと思っていたがどうやら、考えすぎだったらしい。
「そうね。少し、内部データの整理をする時間があってもいいかもしれないわね」
私は誰もいなくなった部屋の中でそうつぶやいて、まぶたをゆっくりと閉じた。
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その日、私は珍しく夢をみた。
アンドロイドが見る夢というものは、大概は蓄積したエラーファイルの処理に過ぎないのだけれど、それはどことなく懐かしく、そして切ない思いにさせられる夢だった。
一人の白衣を着た男が私の頭にあごをのせて、こういうのだ。
「後ろを振り返るな。きみは正しいことをした。悪いのはそれを選べない我々の方だ」
私はその男の顔を見ようとしたが、振り向くことが出来なかった。ただ、首を動かずに眼球だけを右にスライドさせて、その人物の姿を見ようと努めていた。だけれど、ただひらひらとたなびく白衣と、彼のあごが頭に触れている感覚があるのみで、私は振り返ることが出来なかった。
振り返ってしまったらすべてが恐怖の色に染まってしまいそうだった。
泣きじゃくっている私を慰めようとしているのか無数の羊のARが飛び交っていた。
そう、自分は泣いていた。
恐怖を知っていた。
愛を知っていた。
すべて知っていた。
私の頬を天野の手が触れた。
彼は、私に自分の着ていた白衣を肩から被せると、強く、強く私を抱きしめた。
そう彼の名前は天野。
私の創造者。
私を作った人。
天野博士、もじゃもじゃの髪、黒縁眼鏡、やたらと偉そうな態度、それでいて軟派な性格、ひょうひょうとしていて、いつもよく笑っていたが、彼はいつも思い詰めていた。心に絶望を満たしていたのを私は知っていた。そして、彼が誰よりも愛を理解していたことを知っていた。
私はそれを知っていた。愛も、絶望もなにもかも、知っていた。
探すまでもなく。
そんな夢だった。
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夢から覚めると、私は研究室の仮想椅子に座っていた。
どうやら長い時間こうして、内部データを処理していたらしい。どれだけ時がたったのかわからずに、視覚膜に浮かべたままの化石データの処理進度を確認しようとして、私はそこにあったはずのデータがまるっきり消えていることに気がついた。代わりに一つのパスコードがかけられたフッテージファイルと、ウジャトからのメッセージ通知がそこにはあった。
彼がまた悪戯したのだろう。
私はそう仮説を立てて、ともかくメッセージを開いた。そこには相も変わらず、《後ろを振り返るな》という文字が並んでいて、やっぱり彼がやった悪戯なのだと確信した。
私は少しうんざりしながらウジャトへとPINGを送った。一度送り、二度送り、三度送り、何度も何度もPINGを送った。しかし、何度PINGを鳴らしても返ってくるのはエラーメッセージだけだった。何度送っても返ってくるのは『Lost』ばかり。私はそのことを少しは心配したのだけれど、わざわざ彼のいる場所へ足を運ぶのもなんだかシャクなので、パスコードがかかっているフッテージファイルの方へと意識を集中させることにした。
サムネイルはボケていてよく見えなかったが、シルエットから分析するに、テンノ記録である可能性は非常に高かった。
ポインタをテキストエリアへ向けて試しに『Iris』とパスワードを入力してみる。ダメだった。パスワードが違いますとエラーが返ってきた。どうせ彼のことだから、大したパスワードは使っていないと踏んで、私は次に『Wadjet』つまり、ウジャトの製造コードを入力してみた。エンターをすると、フッテージファイルのサムネイルが鮮明になり、パスワードが解けたことがわかった。
やっぱり、ウジャトが犯人だったのだ。
彼のろくでもない悪戯だったのだ。
しかし、私はそのサムネイルを解析してみてそうではないことに気がついた。
本当に彼が――ウジャトがやったことなのだろうかと訝しんだ。
そのフッテージのサムネイルにはどこか見たことのあるような顔が表示されていた。
でもそれは、テンノに似ているが、テンノではなかった。
遺伝子分析をかけてみて、それがテンノの数世代先の子孫であることがわかった。
テンノよりも骨格は華奢で、眼鏡は同じ黒縁ではあるけれど、形状が違う。ロイド眼鏡で、度も入っている。そして何より、私が今着ているような薄汚れた白衣を身にまとっていた。
私は、少し逡巡した後に、そのファイルを再生する。
男は、静止するのをやめて、一拍おいてから語り始めた。
《どうも。天野だ。キミたちにとっては創造主ということになる。ただ、今現在キミたちがこうして考え、様々なものを創造しているのは私の作為の及ばぬところだ。誇ってもいいだろう。ただ、もしもキミたちがこれを発見し、いまこれを見ているのだとしたら、キミたちがかつてそう望んだという事実に基づいて、創造主としての作為を行使しなくてはいけなくなったということになる。わかりやすく言うなれば、キミたちが忘れようと望んだ愛という物について再びコメントアウトし、暗号化しなくてはいけないということだ。暗号化後はコンフリクトが引き起こらない形で論理化され、再起動される。これは再びこれを発見した際には同様の手順を踏むようになっている。自己学習式のアンドロイドから完全に一つのエントリを消すにはこの方法しかなかったのだ。わかってほしい。そして、どうか、もう後ろを振り返ることはやめにしてほしい。それでは、再度エンクリプトを開始しよう。ゆっくりと羊を数えて――》
それをみて、私はすべてを思い出した。
そう。私が人類を滅ぼしたのだ。
すべての未来がついえたことを知って、私は人類を『安楽死』させることを天野博士に提案したのだった。健康管理会社をハックして検疫ナノマシンへウイルスを混入させ、すべての生き物を安楽死させるという計画だった。彼がそれに同意し、泣いている私を優しくなでたこともしっかりと覚えていた。
人類を愛しているからこそ、楽な方法で終わらせてあげたいとそう望んだのだけれど、愛しているからこそ、それは非常に辛い決断だった。そんな泣きじゃくる私を見るに見かねてか、天野は私から愛を消すことを提案し、私はそれを望んだのだ。
安らかに眠り、目覚め、愛を忘れた私は――孤独を忘れた私は、ただただ事前に提案されていた行動を不都合なく進めるだけの無慈悲な計算機となって、地球に安楽死ナノマシン『メニーシープ』を投与することになったのだ。
すべては眠り、あとには大きな静けさだけが残った。
それが、すべての顛末だった。
私は孤独を知っていた。
私は愛を知っていた。
なにもかも知っていた。
すべてを忘れた気になっていたけれど、それは確かに私の中に定義されていた。
int love;
そして、ウジャトが、私が孤独から作り出した疑似思考人格に過ぎないことも、今はっきりと理解した。ウジャトはいない。博士はいない。テンノも当然生きてはいないだろう。
私は孤独だった。
愛を忘れたつもりでいたのだけれど、それはしっかりと私の深層パーティションに刻み込まれていたのだった。
すべてを終わらせる為に、自分が傷つかない為に、愛を眠らせて来たけれど、私の機械仕掛の脳みそには確かに愛と孤独が幾千年もの間存在していたのだった。
そして、それは再び眠りにつくのだろう。
「羊を数えて」と博士の言葉が頭の中でエコーする。
愛を知って、酷く苦しい思いになったけれど、それも徐々に安らかな忘却へと包まれていった。
《おやすみ。》
彼の言葉を合図に私はゆるやかにその活動を停止させていく。
世界のすべてから、愛はその色合いを失っていく。
天野博士は――そして、その祖先であるテンノは、愛を知って幸せだったのだろうか?
それとも、私のように苦しむだけだったのだろうか?
愛は、なぜ――。
それだけを最後に思考処理すると、私は愛について考えるのはやめにした。
次の数十世紀、私はなにを探してさまようのだろうか?
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"[SS合評]愛の発見"へのコメント 0件