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ババァがうるせーからハロワ行くわ

諏訪靖彦

【第10回】 私立古賀裕人文学祭 応募作品
お題は「ぼくにもできそう」

(未推敲なので開催期間終了後推敲します)

タグ: #ユーモア

小説

2,678文字

 

部屋のドアを開けたら廊下に食い物が置いてあるはずが、ババァが立っていた。いつもならドアを「トントン」と二回鳴らしてラップを掛けた食い物を置いて立ち去るはずのババァが、お盆の上に乗せたオムライスを持って立っている。俺はめんどくせーなと思いながらお盆の両端をもって引くがババァはお盆から手を離さない。

「は? なにしてんだよ」

「靖彦に大事な話があるの」

ババァはお盆を持つ手に力を入れながら、いつになく真剣な表情で俺を見つめる。ババァの顔をいつ見たか忘れたけど。

「お袋にとって大事な話は俺にとって大事じゃねぇから」

そう言ってお盆を引くがババァは手を離さない。仕方なく「めんどくせーな、何の話だよ」と訊き返した。

「実はね、今日お医者さんに言われたの。私の膝、手術しないといけないんだって。このままだと歩けなくなるみたい」

ババァの歳は忘れた。俺が四二歳だから六五歳は超えているだろう。ババァが何歳で俺を産んだか知らねーから、たぶん、おそらく、それくらい。それだけ歳を取ったらあちこちがたがきてもおかしくない。親父が死んでから心配したり心配されたりする相手がいないからって俺に話を聞いてもらおうとするな。

「だったら手術すりゃいいだろ。そんなことで俺の前に顔見せんな。俺は忙しいんだよ」

ネットゲームで急に離籍したらパーティに迷惑をかけるとは言わない。ババァに理解できるとは思わないから言わない。四二歳のおっさんが「やちゅい子」って名前で巨乳ロリを演じていることも一緒に冒険しているパーティには言っていない。

「うん、それで来週手術することになったの。でもね、手術をしても、もう立ち仕事は出来ないって言われた」

「ふーん、そうなんだ。それでなに?」

ババァはじっと俺を見つめたまま口を動かす。

「仕事を辞めなきゃいけないの」

ババァはレジ打ちのパートをしている。立ち仕事が出来なくなると辞めざるをえないだろう。しかし、ババァが働かなくてもうちには金があるはずだ。

「だったら辞めりゃいいだろ。親父の保険金があるんだから」

親父は数年前に死んだ。心臓近くに動脈瘤があったらしく心筋梗塞を起こして突然死した。死ぬ前まではぴんぴんしていたらしい。親父と顔を合わせることがなかったので、たぶん、おそらく、そうらしい。

「お父さんが遺してくれたお金はこの家のローン返済に使ったのよ。今まで私のお給料で何とかやりくりしてたけど、私が働けなくなったら靖彦を養っていけなくなるの」

は? じゃあ俺はどうやって生きていけばいいんだよ。

「は? じゃあ俺はどう生きていけばいいんだよ」

大事なことなので言葉にしてババァに伝える。ババァは小さくため息をついたあと「それは靖彦が」と言ったところでお盆を掴む力が緩んだのを感じてお盆を引っ手繰る。そして部屋に戻ってドアを勢いよく閉めた。部屋の外でババァが何か言ってるが聞こえるが、俺はゲーミングチェアに座ってヘッドホンを装着してババァが発する雑音を遮断する。そしてスプーンでオムライスを口に入れながら「カチカチ」とメカニカルキーボードを叩いた。

「みんな、ごめんにゃちゃい。たくはいびんがきたのでしたぁ」

俺が離籍した理由に対するパーティのコメントを読みながら、俺はこれからどうすればいいのか考えた。

家を出るのは久しぶりだ。二〇年外に出ていないから緊張するけど腹をくくった。朝食はいつものようにドアをノックする音が聞こえたあと、ドアを開けたら廊下に置いてあった。俺はそれを食べてから身支度を整える。整えるといってもまともな外着は持っていないから比較的最近ババァに洗濯してもらったボーダーのシャツを着てジーンズを穿いた。伸び放題の髪の毛は昨夜風呂に入るときに切った。バサバサ適当に切ってからこめかみから側頭部の後ろまでバリカンで剃って今風になったと思う。そう自分に言い聞かせて部屋を出て玄関ドアを開けようとしたところで声を掛けられた。ババァだ。

「出かけるの?」

ババァが目を丸くして訊いてくる。

「俺ができることをしようと思ってさ」

ババァは「それは昨日私が昨日言ったこと?」と訊いてきたので俺はババァを見つめ返して言う。

「そうだよ。仕事見つけにハロワ行ってくるわ」

ババァの驚き緊張した顔の筋肉が一気に緩む。そしてババァに目元から一筋の涙が流れた。ババァは口角を上げて泣き笑いの表情を向けて言った。

「行ってらっしゃい」

ハローワークは新卒で就職した会社を一週間で辞めたあと一度行ったってきりで緊張したけど、行ってみたらなんてことはなかった。パソコンで年齢や条件を入力してピックアップされた求人をプリントアウトして職員に渡せば職員が会社に電話して面接の日取りを調整してくれる。流石にこんな現状だから条件のいい求人はなかった。しかし、贅沢はいえない。

ハローワークでもらった雇用条件や面談日程が書かれたプリントを持って家に帰るとババァがリビングから出てきた。ドアを開ける音で気付いたらしい。ババァはエプロンをして満面の笑みを浮かべている。

「お昼ごはんできてるよ。靖彦が好きな唐揚げを作ったの。久しぶりに一緒に食べましょ」

うぜーと思いながらもハローワークで見つけてきた仕事の話はしなきゃいけないので促されるままリビングに向かった。テーブルには何人分だよってくらい大量の唐揚げが大皿に盛りつけられている。俺が席に着くとババァは「ビール飲むでしょ」と言いながら冷蔵庫から缶ビールを取り出して俺の向かいの席に座った。そして缶ビールのプルタブを開けて俺のグラスに注いだ。

「すぐにお仕事が見つかるとは思ってないよ。でもね、お母さんは靖彦が行動してくれたことがうれしいの」

普段の飲まないはずのババァが自分のグラスにもビールを注ぎながら言った。俺はビールを一口飲んでから言う。

「条件がいいとは言えない仕事だけど、面接の日時を決めてきた」

俺が帰ってきてから緩みっぱなしのババァの顔がこれ以上嬉しそうにできるのかというほどさらに緩む。よく見ると皺だらけだ。ババァもこんなに老けたのか。

「え、すごいじゃない! どんな条件でも働くことが大事なんだから」

俺はハローワークでもらった封筒からプリントを取り出してババァ渡す。ババァはプリントを手に取り両手を伸ばした。かなり老眼が進んでいるようだ。暫しプリントを見てからババァは「これってどういうことなの?」と不思議そうに訊いてきた。

「六五歳以上で立ち仕事じゃないのはそれくらいしかなかった。面接は来月だからもう歩けるようになってるだろ。よろしくな」

 

――了

© 2025 諏訪靖彦 ( 2025年12月6日公開

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