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大丈夫だよ

祐里

ある日、友達のナオちゃんはあたしの制服を新しく作ってくれると言った。

2025年9月10日、不破安敦さん主催の暗黒文学祭にて大賞をいただくことができました。
https://note.com/anton_farton/n/nb6cf01db42f2
第一回 暗黒文学祭 結果発表(不破安敦さん)

タグ: #純文学

小説

3,226文字

 中二で同じクラスになったナオちゃんは、あたしにとても親切にしてくれる。

「ねえ、友達だから言うんだけど、ユカちゃんの制服におうよ」
 すごく申し訳無さそうに、困ったように、ナオちゃんは笑顔を作った。
「におう? ごめんね」
 あたしの制服は近所の家からのお下がり。校章の刺繍やワッペンなんかはないけど古いものだし洗濯機で洗っても大丈夫かな、と思っていたら、ナオちゃんはびっくりするようなことを言い始めた。
「大丈夫だよ。あのね、うちのお母さんに言ったら、制服作ってくれるって」
「……えっ?」
「今度一緒に採寸に行こ?」
「お金、いくらくらい……」
「お金いらないよ。バス停でジュース飲もうね。おごってあげる。バス代も二人分もらえるんだ」
「そ、そんなの……悪いよ」
「私、ユカちゃんと仲良くしたいから。ダメ?」
 キラキラの笑顔で言われたら、あたしは「ダメじゃない」と言うしかなかった。

 一緒に採寸に行った翌月、ナオちゃんは突然あたしの家に新しい制服を届けに来た。
「試着しなきゃね」
「……うん」
 壁が煤けて黒くなっている市営アパートの五階に、きれいな服装のナオちゃんは似合わない。言ってくれれば取りに行ったのに。
「おじゃましまーす」
 せめて、ナオちゃんが来るとわかっていれば台所のカビくらいは……ううん、あたしとお姉ちゃんが掃除してもお父さんがお酒をこぼしてそこら中にゴミも唾も撒き散らすんだから、ちょっとカビを掃除したところで、なんにもならない。
「ごめん……、汚くて」
「大丈夫だよ、気にしないで」
 ナオちゃんはグレーの靴下で玄関を上がる。そうして、いつものポニーテールで微笑む。
「どこで着替える?」
「……えっと、ここ、で」
「家でも制服なんだね。ねえ、今度さ、一緒にお祈りに行かない? 制服でも大丈夫だよ」
「お祈り?」
 ところどころ黒ずんでめくれている廊下に上がったところで、キラキラの笑顔で、ナオちゃんはお祈りがいかにすごいかを語る。薄いビニール袋に包まれた新しい制服をしっかり抱えたまま。
「毎週日曜日に家族で行ってるの。すごくきれいな教会なんだよ。苦しいことも楽にしてくれるよ」
「あ……、うん……」
「一緒に行こう、車で連れてってもらえるから。でね、帰りはファミレス。何頼んでも大丈夫だよ。ね?」
「う、うん」
「ほんと? うれしい! じゃあ制服着てみて」
 やっと渡された制服はナオちゃんの体温が移っていて、誰かが座ったあとの椅子みたいに生温かかった。

「サイズ、ちょっと大きいくらいだね。よかった」
「うん、ありがとう」
「大丈夫だよ。じゃあ私は帰るね」
 そう言うと、ナオちゃんは持っていたトートバッグから白い靴下を出して履き替え始めた。
「靴下、持ってきたの?」
「うん、お母さんが帰る前に履き替えてきなさいって」
「……何で……?」
「さぁ? わかんない」
 ぺろっと舌を出した笑顔もキラキラしている。
 その途端、あたしは突然の怒りに襲われた。
 ラメ入りシュシュに揺れるポニーテールと真っ白に輝く表情が、気味悪くて仕方ない。どうしてこんな気持ち悪いものを見せられているのかと思うと、激しい苛立ちが自分の中で膨れ上がる。
 気持ち悪い。気持ち悪い。何なのこいつ。気持ち悪い。
「……ああ、わかった」
 笑顔は偽物。
 ナオちゃんはあたしのことを友達だなんて、本当は思っていない。『かわいそうなクラスメイト』、きっとそう見えているんだ。
 そう思った瞬間、あたしの右手はシュシュを引っ張って奪い取り、左手はナオちゃんを突き飛ばした。
「痛っ! 何!?」
「バカにしないで!」
「バカに、なんか、してないよ……!」
 ナオちゃんは目を丸くして、震える声で叫んだ。まるで本当に何もわからないみたいに。
 玄関のスニーカーの上に尻もちをついたままのナオちゃんに、右手のシュシュを投げつける。
「何が『一緒に行こう』よ! バカにする相手がほしいだけでしょ!」
「ち、違うよ、そんなことないよ、私は本当にユカちゃんと一緒に……」
 ナオちゃんの何もかもにイライラを抑えられない。何もかもが頭にくる。バカにして! バカにして! バカにして!
 制服をクリーニングに出せないのなんて、あたしのせいじゃない。におうのだって仕方ないじゃない。三日に一回しかお風呂に入れないのもあたしのせいじゃない。
「あたしのことバカにしてたんでしょ! 家族揃って! 適当に何か買ってやれば懐くだろって!」
 そうだ、こいつらは違う世界の人間なんだ。お金がなくて何もできないあたしを、空の上から見ているだけなんだ。空から気まぐれに何かを落としてやって、餌に食いつく飢えたあたしを面白がっているんだ。
 そのうち靴下も降ってくるかもしれない。『ユカちゃん家の廊下、汚かったよ』『そう、やっぱりね。じゃあ靴下も買ってあげましょう』簡単に想像がつく会話。
「違うってば! 本当に、私はユカちゃんのこと心配して、だから、一緒にお祈り行こうねって……」
「……出ていって」
 こんなに低い声が自分から出るなんて思わなかった。痛いくらい握った手が震えている。
「しん……、信じて、お祈りもっ……」
「出てけ!」
「お、お祈り、すれば幸せになれるから……! お祈り、一緒に、行こう?」
 あたしに怒鳴られても、後ずさりしながらも、怯えながらも、しつこくお祈りのことばかり繰り返す白靴下。それしか言えない人形のように。あたしは尻で潰されているスニーカーを乱暴に引き抜いて足を入れた。
「……ユカちゃん? ユカちゃん!?」
 白靴下を振り返ることなく、あたしは玄関を飛び出した。

 アパートから少し離れた公園にたどり着いたときには、息が上がっていた。仲の良さそうな親子。制服でブランコに座ったあたしなんか、きっと目に入っていない。砂場ではしゃいで楽しそうにしている。
 世の中には、あたしたちみたいな貧乏人を見下す人間がいる。空の上から見下して、適当に何か放り投げてやって、食いついたら喜んで。同じ地面の上で同じように生きているだけなのに、あいつらはずうっと上からあたしたちを見ている。
『お祈りすれば苦しいことも楽になる』
『お祈りすれば幸せになれる』
 つまり、お祈りしなかったら苦しいまま、幸せじゃない。そうやってあたしたちを脅す。
 そうか、思い出した。クソみたいなアル中の父親にも選挙権はあるから、それが狙いなのかもしれない。きれいな娘を使って『投票してください』と頼みに来る宗教狂いの一家の話を、前に聞いたことがある。
 貧乏な中学生にだって、世の中のバカらしいことくらいは見えている。

 時間を潰してから家に帰ると、白靴下とシュシュはいなくなっていた。
 お父さんは酔っ払って奥の部屋で寝ている。お姉ちゃんはまだバイトから帰ってきていない。
 廊下に脱ぎっぱなしにしていた古い制服を、あたしは乱暴に洗濯機に突っ込んだ。

「この間はごめんね。そうだよね、中学生になったら日曜日は予定があって忙しいもんね」
 ナオちゃんが、教室で座るあたしの横からキラキラの笑顔で話しかけてきた。ポニーテールの毛先がうっとうしい。
「……あの制服、返したいんだけど」
「あっ、それはユカちゃんが持ってていいよ。今度お祈りに小学生の子連れてくことになったんだけど、まだ三年生だから制服はいらないんだ。だから大丈夫だよ」
 バカにする相手をあたしから小学校三年生の子に変えたんだ。そう思ったけど、言わなかった。

 どうせあたしはこのアパートの黒い壁から出られない。出る時は、もっともっと黒い深みにはまる時。死ぬ時にはきっと黒という黒が心の奥深く、体の隅々までしみ込んでいるだろう。
 貧乏な中学生にだって、そのくらいは想像できる。

「おい、引っ越し準備しとけ。おまえのだけでいいから」
 ある日お父さんは、あたしに言った。
「これから優しいおじさんのところに住めるんだ。風呂だって毎日入れるようになるぞ」
「……そんな、荷物なんてないよ」
「ああ、そういや『制服で大丈夫だよ、その方が稼げるから』だってよ。よかったな」
 あたしは黙ったまま、玄関を見つめた。

© 2025 祐里 ( 2025年11月14日公開
※初出 2025年7月29日12:54 note

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