湿気と埃、甘く酸化した紙のにおいが漂う行きつけの古書店にて。毎日飽きもせずこの店に通い適当な本を買って帰るのは恐らく私だけなのではないだろうか。
堆く積み上げられた古書の塔をこの日も見て回っていた時のことである。妙に輝いて見える背表紙が私の目に飛び込んできた。
はて、昨日来た時にはなかったはずだが。新たに仕入れたのだろうか。
その本を手に取ってみると、滑らかな黄金色の絹で装丁されていた。表紙にはただ『私小説』とだけ手書きされた紙片が張り付けられているだけである。
ははぁ、これはいいものだナァ。きっと作者は金持ちだったに違いない。
ろくに中身も精査せず店主のもとへ持っていくと、本を受け取るなり訝しげにするものだからどうしたのか尋ねてみる。
「いやね、こんな本あったかなと思って。単に忘れてるだけかもしれんが。歳かなァ……」
毎度、と言って釣銭と共に渡してきた。
物覚えのいい店主にしては珍しく在庫を把握していないことが少々気にはなったが、それ以上考えることもなく家へ戻った。
改めて古書を開くと、中からはらりと一通の封筒が落ちた。前の持ち主の忘れ形見だろうか、稀にあることだが手紙は珍しい。期待しながら封を開け手紙取り出してみると、あちら側が透けて見えるほどの薄い紙に「この子は十三歳になります。そろそろ死ぬべき年です。 文子」と不穏な言葉が並んでいただけであった。
遺書、であろうか。それとも心中?
この手紙との関係性があるかどうかはわからないが一先ずこの私小説を読んでみることにする。
――大正八年如月。この日は空っ風が吹き荒れ何もかもが凍えていたので私も急いで奉公先から帰っていたのだが、この辺りで良く知られた華族の三条家の屋敷前で何やらひと悶着があったらしい。家の者が総出で一人の女を追い出しているところに遭遇した。
箒で叩き、水をかけるとやれバケモノだ、役立たずだと散々罵ったあと門を閉ざしたのであった。よくよく見てみれば、女は身重である。なんとまぁ、華族という身分であるとはいえここまで惨いことが出来ようとはね、と気の毒に思った私は女に声をかけた。
「もし、なにか事情があるようですがよければ私の家に来ませんか。見たところ身重でしょう、体に障るとなりませんので……」
女が少し考えるそぶりを見せた後小さく頷いたので、私は外套を女にかけてやり家へ連れ帰った。
急ぎ火鉢の火を起こし女に当たらせてやると、冷えで青くなった唇に少し血の気が戻ったようで安心した。それと同時に不覚にもまだ乾いていない艶やかな髪のかかる横顔にどきりとしてしまった。モガのような華やかさも美しさもないものの、秘めたる色気が見える。肉付きの丁度良い、寒さでほんのりと赤くなった柔らかな肌に触れたいと思ってしまった。
事情があって追い出されたとはいえ、婦人に一瞬でも欲情してしまった自分を恥じた。ましてや産女よ。
私は唾を飲み込み心を落ち着かせてから欠けていないほうの湯飲みを差し出した。
「あの、名をお伺いしても?」
「……文子と申します」
「して、文子サン。貴女のような人がなぜあのような仕打ちを受けていたのですか?」
そう私が尋ねると文子は俯きしずしずと泣き始めた。
「私が石女だからです」
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