ねえ。
私たちって結構長い付き合いだと思う。それこそ中学一年生、テニスコートで初めましてをした時から。ダブルスを初めて組んだ新人戦のころから。
色んなことがあったよね。一緒にお昼ご飯を食べたし、一緒に最近読んだ小説の話や、見た映画の話をした。休みの日にはスケジュールを合わせて一緒に映画を見に行った。一緒に服やコスメ、アクセサリーのウィンドウショッピングをした。これいいねって意気投合したアクセサリーが、到底私たちのお財布からは出せない額で、顔を見合わせて笑ってしまったことを今でもよく覚えているよ。
一緒に映画を撮ったりもしたね。三年生を送る会に向けて、クラスの出し物として映画を撮ることになって。私が監督兼脚本家、あなたが副監督兼美術総指揮みたいな形で。私たちはしょっちゅう揉めた。時に大喧嘩した。一番酷かったときはこのままだとスケジュール的に撮影が間に合わないことが分かった時だったよね。最終下校時刻を超えても撮影を強行しようとした私と、それは許されないと頑なにそれを許そうとしなかったあなた。結局私がキレて泣きながらあなたをビンタして。ノータイムであなたは私をビンタし返した。みんな大慌てで止めに入って。それでも翌日にはけろっとした顔で撮影のスケジュールの練り直しの話をしているんだから、大したものだと思う。結局スケジュールはあと一歩のところで間に合わなくて、酷い出来になってしまったけれど、あなただけは私を咎めなかったことをよく覚えているよ。
あなたはずっと優しかった。それこそ中学最後のダブルスの大会だってそう。この試合に勝てば、県大会への切符が手に入る。そんな大事な試合で。相手もなかなかの強豪で。このゲームをとれば何とか逃げ切れ県大会に行ける。そんな大事な局面で私はミスをした。私のストロークを打ち損じ、ふらふらと上がったロブ。それをスマッシュで叩きこみさえすれば私たちの勝ち。その場面で私はビビってしまった。見送ってもアウトになって私たちの勝ちなのではないかって。でも結果はイン。そこから私たちはタイブレークに持ち込まれ、そのまま負けた。みんなが馬鹿だなって顔をする中、あなただけはやっぱり私を責めなかった。ごめん、あたしがカバーできてたらと。
あなたはいつだって優しくて、皮肉屋で、一緒にいるのは楽しかった。高等部に上がって、私が生徒会選挙に出たときもたくさん助けてくれた。それでいて一番の批判者だった。やめときなよ、そんな扇動演説なんてさ、なんて。面白がられているだけで、支持されているわけじゃないよ、みたいに。結局、二期生徒会役員を続け、マニフェストを達成できなかった私は次の代の立候補者たちの猛烈な攻撃の的になった。かつて私がしたように。私は、3期目は諦めざるを得なかった。事実上の失脚をした私。でも、あの子はだから言ったじゃんとは言わなかった。黙って渡してくれたホットココアの美味しかったこと。
あとは、あなたも小説を書く子だったから。一緒に小説を書いては見せ合ったり、次の展開のアイデアを求めたりした。何でそんな展開になるの、話のつながりがわからないんだけどみたいな厳しいこともいわれたりもしたけれど、あなたと一緒に物語を作るのは嬉しかった。たくさん添削してもらった詩が結構大きめの賞をとった時など、我が事のようにことのように喜んでくれた。事実上の共作じゃない、なんて笑いながら。
私たちはずっと一緒にいた。高校を卒業しても。大学に入ってからも。進む大学は関西と関東で違えども、半年に一回は遊びに行ったし月に2,3回は電話した。サークルの話とかで盛り上がったし、書いた小説を見せ合っては感想を求めあったりした。
あの子は私について知らないことはなかった。親と仲が悪くて、沢山殴られて育ったこととか。朝起きて挨拶すれば舌打ちで返され、成績が悪ければ、習い事の成績が悪ければ、屑、馬鹿、気違いとさんざん罵られながら馬鹿みたいに殴られて。何でこんな馬鹿みたいな成績がとれる。きちんと勉強しないからだろ、練習しないからだろと。それこそ殴られすぎてだんだん頭がぼんやりしてきて。壁にもたれた私をサンドバックみたいに殴って。殴られるはずみで、ぴくぴく跳ねる身体を他人事のように眺めたり。
こんな成績で何になれるというんだと嗤われて。こんな無駄なもんばかっり読んでいるから成績が上がらないんだろと宝物のように何度も何度も読み込んで、折り目のついた伊藤計劃や米澤穂信の小説を破られて、目の前で捨てられて。次から次へとゴミ袋に投げ込まれる小説たち。お願い、それは友達から借りた本なのとあの子から借りた本だけは死守して。その代わり紛らわしい真似をするなと余分に殴られて。
あるいは親の機嫌を損ねては時々家を追い出されて。下着一枚でも雪の日でもお構いなしに。開けてよ、お願いだから。ごめんなさい、ごめんなさい。肌を刺すような寒さの夜空の下、薄着でそうやって泣きじゃくる私を、見てはいけないものでも見てしまったかのように目を背ける近所の人とか。何も聞かなかったふりして足早に立ち去っていくサラリーマンとか。吐く息ばっかりが白くって。寒さから逃れるために、体育すわりをしてぎゅっと丸まって泣くしかなくて。
それでドアが開いたと思いきや、うるさい、近所迷惑だろうがと罵られるか、罵られながら髪をつかんで引きずりこんで、どんな教育しているんだと思われるだろと余分に殴られるか。ついでに髪の毛をつかんで柱や壁の尖っている部分にめがけて何度も叩きつけて。それはとても痛いので踏ん張れば、抵抗するなという唸り声とともに倍の勢いで倍の回数叩きつけられるから。おとなしくされるがままにされていて。
食事もたまに用意されなかったりとか。みんながご飯を食べているとき、私の分だけご飯が用意されていなくて。仕方がないのでキッチンでこっそり電子レンジで残り物を温めてためていたら、洗い物増やさないでくれると罵られたり。みっともない、将来は泥棒にでもなるつもりといわれたり。あるいははたまた、帰りが遅かったりすれば私の分の料理がシンクにぶちまけられているのを見る羽目になったり。
そんな家が嫌でトイレで一人泣いていた話とか。我が家で鍵をかけられるのはトイレぐらいだったから。悔しさと憎しみと痛みで泣きじゃくっていた事とか、全部全部知っていた。いつか殺してやる、ぼこぼこのズタズタに殴り殺してやるって泣いていたことだってよく知っていた。だって、私が話したから。私が話しても、黙って聞いてくれる唯一の人だったから。家族なんだから分かり合えるよ、あなたにも悪いところがあったんじゃない。そんなことを言うことなく。
それこそ、あの子は私が処女じゃないことだって知っていた。中学生の頃、そんな家に帰りたくなくて。友達の家に入り浸っていたら、お前可愛く見えてきたわとある日突然襲われた。泣いてもちみぎっても振りほどけなくて。男の人の力にまるで敵わなくてなくて。服をまくり上げられて。揉まれて触られていじられて。
やめてよお願いだからって何度も言って。やめてくれなくて。覚えているのは彼の荒い息と。私の肌を撫でるぬめった感触。涎が私の肌をつうっと垂れる感覚とか。せめて目を閉じキスだけはされまいと顔を背けて。舌を入れられまいと歯を食いしばって。彼の普段とはまるで違う目なんて見たくもなくて。目をぎゅっと閉じて。あとからあとから涙が溢れてくるのが惨めでたまらなくて。いいやろ、なあという言葉とか。良いわけないだろって言う勇気もなくて。ただ黙って首を振って。いやいやをするように。涙だけが溢れて。私の誰にも触らせたことの無い場所ばかりはいずる手の感覚とか。まさぐられてつねられて。友達だと思ってたのに。ちょっといいなって思ってたのに。
頑張って頑張って抗っても、どうやっても抗えないと悟った時のあの気持ちとか。彼もまた男の子なんだってわかった時の気持ちとか。手を振り払うどころか、まくり上げられた服すら直すことができなくて。どんどん大事な場所ばっかり触られて。触り方もねちっこくて。それで私が喜ぶとでも思っているみたいに。そうやって、馬鹿みたいに目を血走らせて、息を荒くして私をもてあそぶ彼。
そんな姿を見ているうちに、なんだか全部馬鹿らしく思えてきて。もういいよって諦めて。好きにすればって体から力を抜いて。なすがままにされて。頭をぼんやりさせる。父親から殴られているときと同じように。そうすればあまり痛くないから。それでも感じた吐きそうなぐらいの痛み。内臓をこねくり回されているような、入らないところに異物をねじ込まれているような。そう作られていないところに異物をねじ込まれたかのような。二度と感じたくないあの痛み。勝手に身体は逃れようとうごめいて。それでも逃れなれなくて。思わずあまりの痛みに吐きそうになったこととか。全部全部話したから。
あの子は黙って聞いてくれていた。下手な慰めを打つことなく。それはあの子もまたそういう被害にあいかけたことがあるからかもしれないけれど。押し倒されて、まさぐられて。あの子は偶然助けが入って助かったけれど。本質的に私たちは似たものだったから。それこそ、魂の双子といっても差し支えないぐらい。あの子だって家とうまく行っていなかった。立派な家業を継ぐのが役目と身に合わぬ理想を押し付けられて。結局弟が家を継ぐからお前は好きにしたらと放り出される、そんな家で育った似た者同士だったから。
私はそんなあの子が好き。ううん、好きというのは適当ではないかも。だって私は昔押し倒されたあの日以来、誰かを好きになる感覚がわからなくなったから。でもこの気持ちをなんと表現したらいいのだろう。胸の底に巣くう、このチリチリと胸の底から火であぶられるように込み上げてくるこの気持ちは。私はあの子になら触れられても構わない。触られても身をこわばらせたりしない。手が動く度に怯えたりしない。頭を庇ったりしなくていい。
むしろ、私はあの子になら触れられたい。抱きしめて欲しい。親にも抱きしめてもらったことなんてないけれど。頭を撫でて貰えたら最高だ。あの子の体温に包まれて。あの子の柔らかな身体に覆われて。膝枕とかもされてみたい。あの子の体温を感じながら眠りに落ちたい。そしたらきっと、ずっと安らかに眠れるから。ぎゅうっと力強く抱きしめてほしい。この汚い身体が砕け散りそうになるぐらい力強く。
あの子の温もりでこの身体を覆いつくしてほしい。私を埋め尽くしてほしい。細胞の一つ一つに至るまで。私をあの子のものにしてほしい。そのためなら私はあの子になら抱かれたってかまわない。いや、抱かれるのも悪くない。他の誰かであれば、下着姿を見られるのだって嫌だけど。あの子は特別。あの子が私をあの子のものにしてくれるのなら。そう思うだけで身体の奥がぞくぞく震える。あの子のものにしてもらえるのなら、それも悪くない。
私はあの子とずっと一緒に居たい。あの子の傍に居たい。だってあの子の傍に居るのは快適だから。気持ちがいいから。一緒に喋っていたら楽しくて、黙っていても、お互いが自分の作業やゲームを黙々としていても気にならない。一緒にいても沈黙が気にならないタイプ。一緒に呼吸するのが苦にならないタイプ。気が向けば話し、気が向けば作業する。一緒にいて居心地がいい人。私はそんなあの子と一緒になりたい。おはようと朝起きたらあの子がいる生活。それはまるで夢のよう。
でもそれは駄目なのだ。それは私たちが女だからなのかな。結婚しようぜいとじゃれついても縁があったらねと躱されて。寂しいよう遊ぼうようと甘えてもたまにタイミングが合わなかったりする。そんなあの子から出会いがなくてさ、なんて愚痴を聞くと気が狂いそうになる。そろそろ30台見えてきたし婚活しようかなあみたいな言葉を聞くと泣きたくなる。私を置いていかないで、みたいに。私じゃダメなの、みたいな。何で私を独りぼっちにするのよ、なんて。こういう時、自分の性を疎ましく思ってしまう。もし私が男の子なら付き合ってくれたのかな。こんな思いせずに生きてこられたのかな、なんて。
私はあなたのためならなんだってするよ。だってあなたは私を救ってくれた人だから。何度夜中に死にたいと電話したことか。昔の夢を見たり、思うように夢を追えなかったり。泣きじゃくる私の話を黙って聞いてくれたあの子。あの子がいなければとっくの昔に私は自殺していた。このつまらない世の中を、少しでも明るくしてくれたのはあの子のおかげなんだから。あの子がいるから、この世界はまだ退屈じゃない。
結局のところ、私はあの子が好きなんだと思う。ずっとあの子の傍に居たくて。あの子と一緒に過ごしたくて。これが愛というものなのかもしれない。あの子以外に愛したことなんてないから、本当に愛といえるものなのかはわからないけれど。それでも私はあの子が大好き。好き好き好き好き愛してる。それこそ気が狂いそうなぐらい。世界中の誰もが敵に回っても、私だけはあなたの味方でいるよ。なんて、そんな事を思うぐらい。
でも愛というには若干どろどろしているような気もする。だって結局のところ、私はあの子にどこにも行ってほしくないだけなのだから。私のものでいてほしいだけなのだから。私を置いていかないで、見捨てないでと願っているだけなのだから。愛より、もっとドロドロしているのが私。ドロドロで、汚くて、ねばねばしているのが私。それこそナプキンにたっぷり吸われた、どろっとしてべったりとして、じっとりと生暖かい経血のごとく。
だから私は思ってしまう。ああ、神様。こんな私でも、まだあの子は私を友達と呼んでくれるのだろうか。なんて。
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