めくるめく世界

砂川アンドロギュノス

小説

4,997文字

据わった目で女子高生グループを尾行する男、川原。大事なのは場所とタイミング、と呟く川原の目的とは。

川原はひらひらと揺れるミニスカートの裾を見つめながら、制服姿で歩く女子高生グループの後ろを歩いていた。快晴の空の下、快活に笑う彼女達と比べ、一定の距離を保ったまま据わった目で付いていく川原の姿は、いかにも怪しい。

「大事なのは場所とタイミング、それと……」

誰に言うでも無く、自らを確かめるように呟く。

「この中の誰が爆弾なのか、ということだ」

急に強い風が吹いたが、川原の視線の先にあるスカートは、一種の老練さすら思わせる彼女達の所作によって危うく揺れただけであった。落ち着いて考えろ、と今度は心の中で川原は呟く。爆弾の特徴はある程度分かっている、絞り込めるはずだ。

まず、あの一際髪の長い少女と、髪を明るく染めた少女は違う。爆弾の髪は黒髪で、そう長くない。カーディガンを着た少女も候補から外れる。残り三人。その中で通学バッグに「ビッチちゃん」のキーホルダーを付けているのは…二人だった。この二人の内、水色のブラを着ている方が爆弾だ。川原は白い制服の背中に意識と目線を集中するが、何とも判別が付かない。二人の背中を凝視しながら少しずつ距離を縮めていく。すれ違ったスーツの男が、怪訝そうに川原を見た。

手が届きそうな距離まで近づいたが、やっとブラのラインが透けて見えるか見えないかというところだ。少女達は歩きながら、相変わらず下らない話でケラケラと笑っている。すぐ後ろにいる川原には気付いていないようだ。ミニスカートが、彼女達の涼しげな膝裏に陰を落とす。川原は持久戦の覚悟を決めた。この暑さだ。必ずチャンスは来る。

 

15分が経過した。川原は汗だくになりながら、なおも白い背中を睨みつけている。そしてついに好機が訪れた。彼女達が汗をかき始めたのだ。その汗はやがてブラウスを濡らし、ブラのラインを徐々に明確にしていく。川原はそのチャンスを逃さず、今日一番の眼光を発した。まず一人目。カールのかかったセミロングの女子高生のブラは…ブラは…無かった。ノーブラだ。彼女は爆弾ではない。そしてショートカットのもう一人。そのブラウスに透けていたのは、水色のブラだった。川原の心臓が一度大きく跳ねた。彼女が爆弾だ!川原は今にも飛びかかりそうになる自分を必死に抑えた。落ち着いて、彼女が一人になるのを待たなければならない。

 

川原がこの世で初めて聞いた声は、母の声でも産婦人科医の声でもない。あらゆる記憶の以前に、川原の根底に刻み込まれた言葉があった。

「お前はこれから23年後、女子高生のスカートをめくって世界を救うのだ」

その言葉は幼い川原にとって、意味は理解出来なくとも、光が眩しいのと同じくらい当然のことであった。しかしやがてその言葉の意味を理解し思春期に突入するにつれ、その言葉に疑問を持つようになる。この疑念は川原少年を多大に苦しめた。川原少年自身、その言葉が絶対に正しいという事は脳神経の根本で理解している。だがスカートめくりで世界を救うとは? なぜスカートめくりなんだ? 何よりスカートめくりなんて出来るはずが無い。そんなことすれば羞恥心で死んでしまう。川原少年は誰に相談する事も出来ず、苛立ちから周囲に対して辛く当たった。その様子は端から見れば、ありふれた思春期の迷走に見えた事だろう。だがやがて時が経ち、熱病が去るように疑念は消えていく。川原にとってはそれこそが大人になる、ということであった。やがて川原は予言と現実を結びつけるように、予言に欠けている部分、スカートめくりが世界を救うまでにいたる物語を、自ら積極的に作り上げていくようになった。そして決行の時が迫った今、川原の中で予言と現実はほぼ一つのものになっている。

 

いつのまにか女子高生は友人達と別れ、一人で静かな住宅街を歩いていた。川原は覚悟を決めた。世界を救うのだ。暑い日差しに焼かれながらも、身体の芯を冷たいものが奔る。と、無意味な突風が吹いた。その時川原はあることに気付いて目を見開く。俺が彼女のスカートをめくれば世界は救われる、ではそれ以外、例えばこの突風でスカートがめくれたらどうなる? パンツが見えたらどうなる? ……分からない。俺の任務は失敗に終わり、世界が滅亡する可能性だってあるのだ。川原は女子高生の尻を凝視した。……パンツは見えなかった。この突風の中にあっても、そのスカートは彼女の絶妙なボディコントロールによって、何とも可愛らしく踊っただけだった。

川原はほっと一息つくと同時に思う。あのスカートは本当にめくれるのだろうか。もしかしたら何か大いなる力のようなもので、絶対にめくれないようになっているのではないか。しかしすぐにその考えを振り払う。そんなことがあるはずが無い。あれはただの布切れだ。片手で軽くめくれるに決まっている。迷いを捨てるように、川原は息を止めた。そして意を決して走り出そうとしたその時、何者かが川原の耳元で囁いた。

「やめなさい、あなたがスカートをめくれば、地球が滅亡します」

いつ近づいたのか、川原のすぐ隣を色白で大柄な男が歩いていた。がっしりとしているが、理知的な空気を持つ男だ。川原は虚を突かれたが、それを悟られないよう、歩みを止めずに小声で尋ねる。

「お前は誰だ? 地球が滅亡するって? どうしてお前にそんなことが分かる」

「私は杉本です。あなたにスカートはめくらせません。話せば長くなりますが、神のお告げみたいなものです」

杉本は前を向いたまま、穏やかだが遊びの無い声でそう言った。その視線の先で、ミニスカートがからかうように揺れた。

「神のお告げねえ。悪いが俺は神様なんて信じていない」

「それなら聞きましょう、なぜあなたはそうまでして彼女のスカートをめくろうとするのですか?」

「俺が彼女のスカートをめくらないと、地球が滅亡してしまうんだ」

二人の歩く速度が少しずつ上がる。

「なぜ地球が滅亡すると分かるんですか」

「根拠なんてない。だが俺にとっては水を飲まなきゃ喉が乾くっていうぐらい自明のことなんだよ。原因と結果だ。地球に重力があるって理屈は中学で習ったが、石を投げれば地面に落ちるってのは生まれた時から知っている。そういう類のものだ」

「ああ、上手く例えますね。私の確信もそれと似たようなものです。だからこそあなたにスカートはめくらせられない。あなたがスカートをめくれば彼女のパンツのある部分で核融合が始まり、結果、核爆発を引き起こします。そしてその爆発が引き金となって最終戦争が勃発。地球は死の星になるのです」

「陳腐なストーリーだな」

「あなたの頭の中にある妄想も似たようなものでしょう?」

「俺のは妄想じゃない。事実だ」

「異常者はみんなそう言います」

「それは自分のことを言ってるのか?」

「とにかく、スカートはめくらせません」

痺れを切らした杉本が、川原を押し倒した。二人は揉み合いになりゴロゴロと歩道を転がる。争いはしばらく続いたがやがて杉本が上になり、川原を完全に抑えつけてしまった。アスファルトが川原の背中を焼く。

「お前のわけの分からない妄想に付き合っている時間は無いんだ! スカートをめくらせろ!」

川原は必死にもがくが、格闘技でもやっていたのだろうか、杉本に完全に抑え込まれていて動けない。と、頭上で低い声がした。

「やれやれ、手助けしてやるからさっさとスカートをめくってこい」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに川原の全身の筋肉がモリモリと盛り上がった。そして抑えていた杉本をあっというまに押しのける。杉本は尻餅をつき、信じられないと言った様子で声の主を見上げる。視線の先には黒い体、コウモリのような翼、禍々しく捻れた角、典型的な悪魔のようなものが笑みを浮かべて宙に浮かんでいた。

「ほら、力を分けてやったんだから、さっさと行ってこい」

確かに川原には力がみなぎり、全身が浅黒く変色していた。今なら杉本に負ける気はしない。その時、今度は杉本の背後で高い声がした。

「全く、ルール違反もいいところですよ。悪魔というやつは本当にどうしようもない」

声と共に杉本の全身が眩く発光し、背中の肉が隆起して白い翼に変化する。シャツは破れ上半身があらわになるが、その姿は古い巨匠の宗教画を思わせる程美しい。頭上に輪こそ浮かんでいないものの、その姿はまさに天使のようだった。

「さあ、あの浅黒いものどもをぶちのめし、私達が正しいことを証明するのです」

「ちょっと待ってください。一体どういうことですか?」

今や天使となった杉本が尋ねる。

「これは天使と悪魔の代理戦争なのです。ある日、この宇宙の全てを創造なされた絶対神は私とあの悪魔を呼び出し、こうおっしゃられました。我の選ぶ女子高生のスカートをめくることが出来れば悪魔の勝ち、めくらせなければ天使の勝ちとする、と」

「馬鹿な、一体なぜそんなことを」

「戯れだよ、絶対神にとっちゃあ、この世の全ては戯れなんだ」

悪魔が吐き捨てるように言った。

「そんなことはどうでもいい! お前を殺して俺はスカートをめくる! めくるぞ!」

川原がほとんど吠えるように叫んだ。空気がビリビリと震える。その太腿の筋肉は限界まで張りつめ、今にも杉本に飛びかからんばかりだった。

「……スカートをめくらせるわけにはいきません。あなたにはここで死んでもらいます」

杉本は宙へ舞い上がり、光を両手に集中させた。ほぼ同時に、川原の身体がミシリと唸る。と、その時、

「ちょっと待ちなさいあんた達!」

天使も悪魔も、その場にいた全員が声の方を見る。その先には、例の女子高生が堂々と立っていた。

「さっきから聞いてたらなんなの!? 核爆発とか地球滅亡とか、天使とか悪魔とか絶対神とか!! 女子高生を馬鹿にするのもいい加減にしてよね!?」

女子高生の目が怒りに燃える。

「私のスカートをめくるなら! パンツを見るためにめくりなさいよ!」

場の時間が止まる。天使と悪魔でさえも、あまりの事態に言葉が出ない。

「いい!? スカートをめくったらそこにはパンツがあるの! パンツがあるからスカートはめくることができるの! これは神様がそう決める前から決まっている、この宇宙で唯一不変の法則! 全ては一つ! 一つは全て! スカートはパンツ! パンツはスカート! お前がスカートをめくるならば、パンツもまた等しくお前をめくっているの! スカートをめくる時はパンツを見るためにめくる、そんな簡単な事も理解出来ないあなたたちの、あまりにも下らない代理戦争とやらに巻き込まれるぐらいなら……」

女子高生はスカートの中に両手を入れる。そして、

「自分から脱いでやる!」

一息にずり下げた。白い布地にプリントされたくまのイラストがスカートの陰からさわやかに現れ、華奢な両膝の間を潜り抜け、白くくびれた足首を覆った。

「どうだ!」

女子高生が堂々と勝ち名乗りを上げたその瞬間、「世界」が小さく揺らいだ。川原は、足下を支えていた柱が不意に消えてしまったような、地に足の着かない不安を感じた。

「おおお……絶対神が………」

天使と悪魔は顔色を失い、所在なくフラフラと飛び回る。やがて二人とも唐突に消えてしまった。

「どういうことだ。何が起こった?」

川原は杉本に聞く。

「……私の天使の感覚と推測でしかありませんが、彼女の行為に原因があるようです」

「パンツを脱いだ事が?」

「絶対神はこの世の全てを創造した存在です。そして全ての事象の因果を決定する存在でもある。ところが今回の代理戦争において、彼女が自らパンツを脱ぐという事象の存在を認識することが出来なかった。……これは絶対神が持つ無矛盾性と矛盾してしまう状態です。絶対神は無矛盾性によりその神性を保っているのですから、それが失われてしまえば……」

「存在も失われる?」

「……おそらくは」

「神殺し! ……とんでもない女子高生だな!」

川原が笑う。女子高生は事態を飲み込めずに突っ立っている。

「それで、創造主様がいなくなったこの世界はどうなる?」

「それは全く分かりません。ただ、今の宇宙とはルールが大きく変化するのは確実でしょう」

女子高生が声を上げた。川原と杉本が見ると、足首までずり下げたパンツの一点、くまのプリントが不可思議に揺れている。

「どうやら新しいルールの創造主はあのくまのようですね」

杉本が誰に言うでもなく呟く。そして次の瞬間、「ルール」が全てを飲み込んでいった。

2009年10月26日公開

© 2009 砂川アンドロギュノス

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