美しき生命

恐竜の街(第3話)

ポン_a_k_a_dm

小説

2,167文字

作品集『恐竜の街』第3話

――この街は日が暮れると様子が変わる――
真面目なところが欠点であり弱点で、いつも酒を飲み過ぎるジョー。
型枠解体業を営み、街を支配していると言っても過言ではないユゲ先輩。
飲み屋で働くものの、ほとんど店に座っているだけのムー。
彼ら彼女らは、朽ち果てるのを待つだけのようなうらぶれた街で生きる。

頭の動きが鈍く、半透明な皮膜に覆われているような感覚がある。窓から差し込む陽光が目の前で滲み、焦点が定まるまでに時間がかかった。頭痛を感じて、酒を飲みすぎたのだと理解した。

 

ジョーと一緒にいるとだいたい飲み過ぎる。絡み合ったあやとりの糸を解きほぐすように、昨夜の記憶を辿った。

三軒目に立ち寄った歩道橋のふもとにある小汚い店を出て、コンビニエンスストアで缶ビールを買い、飲みながら歩いて帰ったのだ。

空になった缶ビールをつぶしながらジョーは言った。「街を歩いてて女とすれ違うだろ?」
「ああ」俺は缶ビールを一口飲んで言った。
「すれ違った女がすげえ可愛い女だとするだろ?」
「ああ」
「土下座して頼み込んだら付き合ってくれるだろうかって考えたことないか?」
「ないね」

結局何杯飲んだのかはわからない。

 

熱いシャワーをあびて覚醒をこころみたが、頭は休みたがっていた。頭をまともにすることは諦めて、ため息をついた

機械的に髭を剃り、髪を整えた。時間がなかったので、ジャケットから出る部分だけワイシャツにアイロンをかけた。おまけにパンツのセンタークリースもプレスした。

ろくでもない頭をぱっと見はまともに仕上げ、つるっとしたポーターのブリーフケースを鷲掴みにして、足がもつれそうになりながら家を出た。

 

斜面を転がり落ちる岩のように、駅のプラットホームへと続く階段を一段飛ばしで駆け降りて電車に滑り込んだ。

呼吸が乱れている俺を乗客は憐れむようにちらりと見て、おのおのの世界のもといた居場所へと戻っていった。

呼吸を整えようとしたがうまくできなかった。肩で息をしながら、くしゃくしゃの白いハンカチで汗をぬぐった。目的地までのルートと電車の乗り換えを調べた。どうやら数分遅れそうだった。

それから電車の中でネイビーのソリッドタイを結んだ。大剣と小剣の長さの釣り合いが取れず、じれったく何度か結び直した。

乗り換えのタイミングで電話をかけ、数分遅れる可能性があることを告げた。気をつけてお越しください、と返ってきた。まるでレストランでも予約している客のような気分になった。

 

空に向かって一直線に屹立きつりつしたビルは温度というものを感じさせなかった。面積のほとんどが無機質なガラス張りで、直線の集合体だけで構成されている。てっぺんが刀の切っ先のように尖っていて、いかにも攻撃的に見えた。空は曇っていた。

二分遅れて会場に着くとライトグレーのパンツスーツを着た女が待っていた。ジャケットのインナーには、つるりとした白いカットソーをあわせている。華奢で小ぶりなダイヤのついたプラチナらしきネックレスと、動きに合わせて軽く揺れるピアスが静かに煌めいた。
「大変でしたね」女は微笑んだ。「電車で体調が悪くなった方の介抱をされたんですって?」
「介抱なんて、たいしたことはしてませんよ。具合が悪そうな方がいたので、駅員さんを呼んだだけです」もちろん真っ赤な嘘だ。

 

女は俺を席まで誘導してくれた。後ろからその姿を眺めた。女が着ているスーツは、袖丈もパンツの丈も、あるべきところにぴたりと収まっていた。ほどほどに高いヒールを履いて、肘と腰で何かを撃ち落とすようにして軽やかに歩いてゆく。

女の着こなしと身のこなしは嫌味なく、こなれていた。いったい社会人何年目でこの境地に至るものなのかと疑問に思った。土下座して頼み込んだら自分と付き合ってくれるか、ためしに考えてみようと思ったが、考えがまとまる前に自分の席に着いた。

ちょうど会社説明が始まったタイミングだった。居心地の悪さを感じながら、同じ席に座る学生に会釈をしてから椅子に座った。それとなくあたりを見わたすと、ゆうに五十人を超える学生が会場につめていた。

 

最初に茶番があった。活きがいい鯖のようにぎらりと光るスリーピース・スーツを着た男が前に出てきて会場の照明が暗くなった。男はスポットライトで照らされ、身振り手振りを交えて寸劇で会社のロールモデルを熱っぽく伝えた。

努力、挑戦、挫折、仲間、やりがい、信頼を勝ち取り顧客を成功に導く。ひいては自らの人生も成功させる。そんな調子だ。

男はどたばたと一人何役もこなし、二十分ほどノンストップで喋り続けた。すべてが終わると、コールドプレイの美しき生命が会場に流れた。渾身のライブパフォーマンスを終えたミュージシャンのように、男は恍惚とした表情を浮かべて退場した。男が胸に差していたポケットチーフの薄ら寒い白さがその場に残った気がした。

 

男と入れ替わりで、先ほど俺を席に案内してくれたライトグレーのパンツスーツを着た女が出てきた。
「当社の目指している姿は伝わりましたでしょうか?」女は満足そうに会場を見渡した。「それでは、これからグループディスカッションについて説明いたします。テーマは、日本をよりよい国にするために必要なことは何か? です。制限時間は四十分で、それぞれの席に配置してあるホワイトボードは自由に使用して構いません。また、不明点や困ったことがあったら、席についているスタッフに声をかけてください。ここまでで不明点はありますか?」

会場は水を打ったように静かだった。
「それでは、ただいまよりグループディスカッションを開始いたします」

2023年4月8日公開

作品集『恐竜の街』第3話 (全12話)

© 2023 ポン_a_k_a_dm

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