スマホが鳴った。電話の着信だ。
俺は嫌ーな予感がした。見ると実家の電話番号だった。不吉だ。でてはいけない。俺は聞こえないふりをした。カレンダーを見た。11月18日だ。今日は俺の誕生日だ。まさか、母が電話をかけてくるとは。どうしたんだ、あいつは。
9月に親父が死んで母に呼ばれた。
それ以来母はウンともスンとも言って来なかった。最後に会った時だって喧嘩別れのようなやりとりで、相変わらずむかつく女だった。二度と会いたくない、と俺は思ったのだった。
それが、よりに寄って今日電話を寄越してきやがった!
俺は長く息を吐いた。嫌な予感が止まらない。手の震えも止まらない。
昨日から寒気がして具合が悪い。
俺は布団を被って寝た。
布団から病人の匂いがする。俺の寝汗を嫌というほど吸い込んで布団はしんねりとしていた。くそったれた誕生日だった。
「行助。いるかー」
玄関ドアが予告なく開いた。
俺はビクッとしてしまった。
「具合が悪いって聞いたから見舞いにきたよー。」
ガサガサと買い物袋の音をさせながら朋ちゃんが入ってきた。
「朋ちゃんか。びっくりした。」
俺は布団の中から言った。
朋ちゃんは寒くないのか短いデニムスカートに素足だった。
「お店に行ったらいないんだもん。マスターに訊いたら具合悪くて休みだっていうからさあ、朋ちゃんがおじやでも作ってやるかなって材料買ってきた」
朋ちゃんは俺のそばにしゃがむと買い物袋からネギやりんごやヨーグルトを出して畳の上に並べた。
「朋ちゃん暇なのかよ。こんな汚ねー部屋にわざわざ来なくても良さそうなもんだ」
俺はだるくてたまらず朋ちゃんのムダ毛一本もないきれいな生足をじっと見た。
顔のそばに置かれたりんごからフレッシュなりんご特有の甘い果実臭がした。
「りんご擦ってあげよおかなって思ってりんご買ってきたよ。あたし病人看病するの好きなの」
朋ちゃんは26歳の俺の店に飲みによくくる子だ。別に付きあっている訳ではないが何度か俺の部屋に遊びにきた。
肩までの茶髪を切りそろえて、きれいなおでこをしている。二重の瞳は大きく澄んでいる。可愛いが少し変わっている。
「悪いけどおろし金とかないから、擦りりんごは無理だ。おじやもうちは米の買い置きもないから無理だ」
俺は言った。
「ええ?米がない?まじか」
朋ちゃんは買い物袋をガサガサいわせてガックリという風に頭を垂れた。
そこへ、また俺のスマホが鳴った。
俺は枕もとのスマホを手にとって見た。
見なくてもどうせまた母だろうと思ったがやっぱり母だった。俺は仰向けになって鳴っているスマホ画面を見つめた。
「でないの?」
朋ちゃんが不思議そうに訊いた。
「嫌な奴からだ」
俺は電話が切れるまでスマホの画面を見つめた。
「嫌な奴って誰?」
朋ちゃんがりんごを手でもてあそびながら言った。
「おふくろだ」
「お母さん?え〜行助はお母さんと仲悪いわけ?」
「そうだよ。憎みあってんだ。用なんかないだろはずなのに。嫌がらせの電話だ。」
俺は着信の切れたスマホ画面を見た。
「行助、お父さんとはどうなの?」
「親父はこないだ死んだ」
「えーっなんで?病気で?」
朋ちゃんが横座りになって俺の方へ顔を寄せてきたので、俺は布団から起き上がった。
「親父は孤独死みたいなもんだ。」
「孤独死?お母さんと暮らしてたんじゃないの?離婚したとか?」
俺は親父に放浪癖があり、1ヶ月くらい帰って来なくて普通だったのでおふくろも放っておいたら、死体になって発見された、と説明した。
「橋の下で死んでたんだってさ。酒飲み過ぎて吐いて、吐いたもんを喉に詰まらせて窒息死したんだってよ。不審死だから解剖されて調べられたんだと。」
「ふーん。殺人じゃなくてよかったね」
朋ちゃんは感心したように言った。
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