最近の趣味はカフェで人間観察をすることと言っても過言ではない。手元の本は単なるカモフラージュで、2時間前から数ページしか進んでいない。どのみち興味のある本は大抵読み尽くしてしまい、この本だって既に3周目だ。
窓ガラスに、コーヒー片手に本を読む自分の姿が映っている。物静かで古風な、文学を愛する若者といったいでたち。怪しいところは何一つとしてない。前に比べても、我ながらだいぶ様になったと思う。
カフェには居酒屋とは違う属性の人間が来るから面白い。斜め前に、女子高生二人が向かい合って着席した。見ているこちらが気持ち悪くなるほど生クリームをてんこ盛りにしたミルクティーをそれぞれ持ち、更にはたっぷりシロップをかけたパンケーキまでシェアするようだ。人間の中でも、女子高生という属性の個体は区別して考える必要が絶対にある。特に、それなりに悪食とも言える自分から見ても、彼女たちの味覚は異常だ。
本に目を落としながら聞き耳を立てる。カフェは満員で、グループ客が多いため、会話がうるさく、更に壁の素材もあまり音を吸収していないが、ノイズの中で、狙った情報を聞き取る聴覚には自信がある。
「最近太ったんだけど」
「それな」
「試験前ストレス溜まるし、気がついたら食べてる」
「マジわかるわ」
女子高生の一人が足を組み直すと、制服の短いスカートから、むっちりとした太ももが覗く。横の席に座る男が、ちらりと目をやったようだが、女子高生は気づいていないし、気づこうともしていない。ミルクティーとパンケーキが太もものたるみに変わりつつあることも、「意識的に」意識の外へ追いやっているのだろう。刹那的に短い生を謳歌する彼女たちの姿勢には清々しささえ感じる。
「3年生のさあ、担任の話、聞いた?」
「え?なんか行方不明になった人でしょ?」
いつもの癖で、脂肪の厚みを目で測り、その下に埋もれる若い筋肉と血管の構造を推測する。尤も、皮下脂肪は決して好きな部分ではない。
「死んでたらしいよ」
「マジ?」
「なんかやばい死に方だったらしい。野犬?とかに襲われて食われたみたいな」
「激やばじゃん」
「都会で、変だよな」
「ね。都市伝説」
「3年生とか受験する人いんのにかわいそ」
「それな〜」
「そう言えば進路調査みたいなやつ、書いた?」
「あ、書いてないわ」
「うちも。親と話さないといけないから、たるすぎ」
「わかる〜」
わかる?それは欺瞞だ。そもそも、食事に夢中で、ざっと見積もって集中力の約7割は目の前の皿に向かい、2割は雑音の多い周囲の空間にほぼランダムに分散され、残りの1割が辛うじて相手に向けられているに過ぎない。とはいえ、飢えを満たすことを最優先してしまう気持ちは大変共感できる。
無論、専ら話している女子高生も、自分の発言にも相手の理解度にも、大して注意を払っていない。野犬とは聞き捨てならないが、それはともかく、女子高生に限らず、特に酒に酔っている場合など、会話の中身ではなく、会話をしたという事実こそが重要なのだということが、最近の大きな発見ではある。本来ならば相手が提供した情報をよく咀嚼して、初めて相手を「理解」したことになると思うのだが、どうもそういう理屈では動いていないようだ。
極めて浅い、表面的なレベルの相互理解を前提とした人間関係。弱者同士がふらふらと支え合い、トランプタワーのように絶妙なバランスを取ることで、辛うじて成り立つ不安定な社会。繊細、緻密、脆弱。理解に苦しむし、だからこそ面白い。
いずれ自分も女子高生としてカフェに来て見たらどうだろう?どこまで溶け込めるだろうか?文学青年や老人でいるより、刺激的な体験ができるかもしれない。彼女たちの振る舞い、味覚はともかく、精神構造まで真似するのは難しいだろうか?
学習する時間なら、ある。
どんな美女でも皮を剥いでしまえば髑髏なのと同様、人間が表現する感情や振る舞いにも必ず仕組みがある。肉体の内部構造は飽きるほど見たし、今度は、物理的な手触りのない部分も攻略したい。
もう一度、女子高生の体型をチェックする。若いし、脂肪を無視しても可食部分は少なくなく、多分、血の味も悪くはない。普段ならマークしていい相手だ。だが、今は腹も減っていないし、何しろこの興味深いゲームに、狩りを持ち込むなどという無粋な行為はしたくない。
「すみません、当店お席は2時間制となっておりまして・・・」
店員がすまなそうな笑顔を浮かべて声をかけてきた。尤も、その裏には、客に対する思いやりなど微塵もなく、面倒だから一刻も早く帰ってほしいという、傲慢で横柄な思いが透けて見える。相手が本当は誰なのか知ったら、どんな表情をするだろう?
愉悦を微笑みに変え、本を鞄にしまう。
「居心地が良すぎて長居してしまいました。ご馳走様でした、また来ます」
時間ならある。いくらでも。
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