日本語訳:阿井幸作
……人びとよ、わたしたちは鳥の言葉を教えられ、また凡てのものを授けられた。これは明らかに恩恵である。
——『クルアーン』27-16
実に、それ(=口のなかの息)は最初にことばを(死を)超えて運んだ。それ(=ことば)が死から解放された時、それは火になった。死を超えているので、死のかなたで、この火は輝く。
——『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』Ⅰ,3,12 湯田豊・訳
はじめに
ホモ・エイビス語はホモ・エイビス族の現在の共通語だ。その誕生と発展はホモ・エイビス族の歴史と密接な関係があり、代替不可能な文化的基礎と歴史的立場を有しているが、同様に発展の窮状にも瀕している。本文ではホモ・エイビス語の誕生と発展から書き始め、それが現代に直面している課題を探求する。
ホモ・エイビス語誕生の背景
周知の通り、ホモ・エイビス語は人類の協力によって生まれた言語だ。ホモ・エイビス集落連盟が二〇一三年に敗戦した後、残った各集落は全て人類連合政府によって統治された。人類にとって、数々の異なる文化的背景と母語背景を持つホモ・エイビスを戦後に管理することは最重要課題となった。
しかしホモ・エイビスの言語は人類にとって理解し学習することが困難であり、ホモ・エイビスも人類の言語を理解し学習することが同様に困難だった。ホモ・エイビスの言語を理解せずしてホモ・エイビスの思想を理解することはできず、ホモ・エイビスの動向を監視するのは難しい。植民地の管理者の大部分が現地人の言語を使えなければ、きっと破局を迎える。
各収容施設をより良く管理するため、ホモ・エイビスとの間に有効なコミュニケーション手段をつくり上げるのが人類連合政府の収容施設の最優先課題となった。
人工知能を応用したリアルタイム翻訳はすでに表舞台に登場し、早くは戦争が激化した二〇一二年に人類は十分に実務的な「人類-鳥類通訳システム」を完成させた。だが九三箇所(二〇一四年時点のデータ)ある収容施設に通訳システムを設置するための必要なコストは、当時の人類連合政府にとって承諾しかねるものだった。
発声機能を持って人類の言葉を操れるホモ・エイビス族の採用が、通訳と予定に組み込まれた。春雨集落(ギンムクドリを主とする民族)は戦争初期に人類への投降を選び、彼らの発達した発声器官が買われて双方にメッセージを伝える使者となった。だが春雨集落は戦争末期に集落連盟の自爆的斬首行動の対象とされ、休戦協定締結時に残っていた春雨族はわずか三名で、機能的絶滅と判断された。
人類連合政府はそれを戒めとし、ホモ・エイビスを「鳥奸」とする危険を再び冒そうとしなかった。だが二〇一四年の倫理委員会会議の記録によると、ホモ・エイビス族の通訳を使用する提案は全面的に否決されておらず、各収容施設は民族と出生地が異なる通訳を多くとも三名投入することを許可されただけで、人類連合政府側はその安全性を厳格に保証しなければならなかった。
しかしこの措置は無駄というほかなかった。その最大の原因は、当時のホモ・エイビスの集落間に共通の言語がなかったことにある。人類が英語を世界共通語とすることができるのは、人類がヒト科ヒト属の同種のホモ・サピエンスであり、声帯の構造にも差がないからだ。しかしホモ・エイビスは統一された名前を冠しているものの、実際は多くの同種の鳥類からなる異なる動物で構成されている。
人類間は科も属も同じくしているが、ホモ・エイビス間は目すらも異なり、生殖的隔離があり、発声システムはさらに千差万別だ。その多種多様な基礎の上で、初期のホモ・エイビスの各集落の言語は全く相互運用性を有していなかったばかりか、他の集落や他の種族のホモ・エイビスも習得することができず、ホモ・エイビス集落連盟敗戦の理由はある意味、超えられない言語の壁にあった。戦争中の多くの集落間の交流はいささか滑稽であり、双方の代表は言葉を聞き取れるだけで喋れず、相手の言葉を聞いて自分の言語で話すだけでそれぞれ勝手だった。
バベルの塔のエピソードのように、塔を建てた労働者が互いの言葉を聞き取れたとしても、本当の信頼とアイデンティティを打ち立てることは難しい。戦争後期の集落の内紛がおそらくその最大の証拠だ。
ホモ・エイビス語をより適切に管理しようとした人類が唯一できたことは、ホモ・エイビスの各集落および人類がみな使用できる言語体系を新たに打ち立てたことだった。だがそれは容易なことではなく、集落間の言語の違いは甚だ大きかった。ホモ・エイビス語誕生前にたくさんあったホモ・エイビス言語について詳しくない読者もいるかもしれないので、ここで当時入り乱れていたホモ・エイビス集落の方言の世界を簡単に紹介したい。
ホモ・エイビス集落の方言はだいたい擬人語と鳥鳴語の二つに分けられる。
当時のホモ・エイビスの世界では、春雨集落のように人類の言語を借りてコミュニケーションを取る(いわゆる「擬人語」)集落は少なくなかった。人類の言語を使用できる発声器官を持つ多くのホモ・エイビスの集落は人類の言語を直接借りた。ホモ・エイビスが知られざる発展をした百年間、人類の言語を借りた集落はたいてい独特の方言を形成し、そのうち大部分は人類の言語との相互運用性を失った。
アジアのインドシナ半島で生まれたドゥワンチャン集落(多種のムクドリ科を主とする民族)は、タイ語を基礎とした言語だが、大量にいるアジアの他のムクドリ科の難民が持ち込んだ中国語、ベトナム語、英語などの言語の語彙を吸収し、さらに発音能力があまり発達していない種族が集落に加入したことで、いくつかの発音が鳥類の発音により適した鳥鳴音に変わった。
ドゥワンチャン語は鳥鳴語の特徴を吸収した擬人語であり、当初は人類の言語を模倣した集落方言もいくつかあったが、人類から身を隠す生活が長期間続くにつれ、人類の言語の発音と文法の規則をミックスした一方で人類の言語から独立した擬人語へと徐々に発展した。これらの言語以外にも、いくつかの擬人語は人類の言語の特徴を多く残している。プラタ集落(ニョオウインコを主とする民族)のプラタ語は、非常に長い期間、人類から「スペイン語のホモ・エイビス方言」と言われていた。ホモ・エイビス族の言語学者で「春生まれの風・海河」は、二つの言語の発音方式が本来異なるため、プラタ語とスペイン語は互いに独立しながら極めて高い相互運用性を持つ二つの言語と考えたが、この見解は当時、主な学会には受け入れられなかった。
鳥鳴語は擬人語よりはるかに複雑だ。利爪集落(カササギを主とする民族)の方言は極めて典型的な鳥鳴語だ。
利爪集落が人類から「歌で話す種族」と称されていたのには理由がある。簡単に言うと、利爪語は「ドレミファソラシ」を用いて発音する。現在我々はC、D、E、F、G、A、Bでこの言語を表記している。利爪語は全部で四二の音がある。Cを例に出すと、それぞれC、高音C(,C)、低音C(’C)、長音C(C-)、長高音C(,C-)、長低音C(’C-)がある。利爪族の壮大な発展の後、一部地区の利爪語は促音C(C•)、高促音C(,C•)、低促音C(’C•)を使うようになった。長促音(C••)を使う地区もあるが、あまり多くない。
利爪語はあらゆるホモ・エイビス集落方言の中でも最も複雑な発音があり、まるでこれらの複雑な発音を際立たせるかのごとく、利爪語はホモ・エイビス集落方言の鳥鳴語の中で唯一の屈折語でもあった。大多数の鳥鳴語が比較的単純な孤立語で、語形変化がないのに対し、利爪語の語形変化は比較的豊富だ。
利爪語には動詞の変化と名詞の変格があり、複雑な冠詞体系もある。ここでは利爪語の文法の紹介に紙面を多く割くことはせず、簡単に説明する。
「私は昨日肉を食べた」という文章は、利爪語だとB-,C ,E-F’B AC- FDA,G(昨日/食べた/肉)と表記できる。
「B-,C」は「昨日」を指す。時の副詞節が文章の初めに置かれ、変化する必要はない。
「,E-F’B」は「食べる」を指し、元は「E-FC」だ。完成形の語頭音は高音に変わり、過去形の語尾音の一つ上の音となる。Cの一つ上の音は低音Bだ。だから「E-FC」の過去完了形――「過去に食べ終えた」――は「,E-F’B」となる。
「AC-」は一人称単数の被格冠詞だ。利爪語の冠詞には三つの人称代名詞があり、格は格、属格、対格、被格、呼格に分けられ、数は単数、双数、三数と多数に分けられる。そのうち双数と三数の一人称の冠詞と一人称単数の冠詞は同じだ。
「FDA,G」は元は「CDAG」だ。一人称被格語頭がそれから三つ後の音に変わり、名詞過去形の語尾は高音に変わる。そのため「CDAG」の一人称被格過去形――「肉は私に食べられた」――は「AC- FDA,G」となる。
本題に戻る。人類の言語習慣と高度に一致する擬人語も、人類の発音に適合しかつ安定して完全な利爪語も、人類によってホモ・エイビス共通語の候補言語となったことがあった。だが前者も後者も、ホモ・エイビス族全体に普及させることは不可能だった。もちろん、ホモ・エイビスであれば擬人語を使えるというわけではなく、多くのホモ・エイビスは利爪語を使えたのだが、その発音は結局のところ数多くのホモ・エイビス個体群には合わなかった。猟獅集落(ダチョウを主とする民族)はこの言語の普及に猛烈に反対した。また、利爪語は複雑な屈折語で、短期間で人類とホモ・エイビスの各集落が身につけるのが困難だったため、人類連合政府の差し迫った事態を解決することはできなかった。
当時の人類連合政府は中止を決定し次の一手を探した。まず「ホモ・エイビス共通語」をつくり、それから人類とホモ・エイビスの間で障害のない交流を打ち立てるというものだ。
その際、彼らは数多くのホモ・エイビス言語の中から「共通語」の候補を選んだ。当時、人類からの評判がこれ以上ないほど高かったのが烈火集落(セキショクヤケイを主とする民族)の集落方言だった。烈火語の発音は至ってシンプルで、五つの異なるピッチの鳴き声しかなく、あいうえおと表記された。日本語のかな表記なのは、当時の研究員が現代の人類の表記体系になぞってホモ・エイビス言語を表記したがった一方、各言語にたいてい応用されているアルファベットとの混用を避けたかったからだ。
五つだけの音とはいえ、烈火語はさまざまなダンスの動作を組み合わせることで、声とジェスチャーを組み合わせた共通表意の言語を形成した。それぞれの動作は、表記する上で発音の後ろのカッコ内にそれぞれの動作を表すカタカナを記入した。例えば「あ(レユハ)う(ヤオヲ)」という組み合わせは「学ぶ」という意味だ。「あ」と「う」は発音を表し、カッコ内の(レユハ)と(ヤオヲ)は対応する動作を表す。
筆者は烈火語を研究したことがないためここでは触れない。
烈火語は発音が簡単で、組み合わせる動作も複雑ではない。だがこれをホモ・エイビス共通語として普及するに当たり、極めて大きな問題に直面した。その問題とは想像に難くない。それはつまり、人類が手話を世界共通語として普及させるようなものだったということだ。高度に意味を表現するジェスチャーは、文法もロジックも造語法もホモ・エイビス語とはまるっきり異なり、烈火族以外のホモ・エイビスの思考習慣に合わなかったため、烈火語をホモ・エイビス共通語とする計画も同様に失敗した。
人類によるホモ・エイビス共通語普及計画は頓挫し続けたが、この時になって人類言語学者の{ウェイ・ツァイミン}魏采茗があるホモ・エイビス言語に注目した。霜集落(文鳥を主とする民族)の集落方言である。
ホモ・エイビス語の誕生
霜集落はそれまで全く無名の小さな集落だった。数は極めて少なく、発展度も低く、ホモ・エイビス集落連盟にすら未加入だった。だが魏采茗は、霜語をテキストにすればホモ・エイビス間の交流に役立つばかりか、人類とホモ・エイビスの交流をも助ける言語に発展させられると気付いた。この言語を彼女は当時「長短調」と呼んだ。現在「ホモ・エイビス共通語」と呼ばれているものだ。
霜集落の言語は孤立語だ。文法構造は完成されているが、その発展レベルが低いために語彙数が非常に少ない。霜語の長所は「二進法で表現する」言語であり、長音と単音のたった二つの音しかなく(◯と△で表記)、あらゆるホモ・エイビスが使用でき、人類も学習し使用することができるという点にある。人類の言語にすでにあるモールス信号のようなものは霜語(またの名を長短調)と形式を同じくする表記方法であるが、符号化能力に限界があるため、冗長で低効率という泥沼に陥りやすい。その時人類は、この形式を持つ自然言語が存在するとは想像すらしていなかった。
魏采茗は霜語を研究し、情報の冗長化を防ぐ方法を発見し、霜語に存在する多くの複雑な概念を統合してかばん語とした。これらかばん語はその元となった語彙との関係が大きくないこともしばしばあり、複雑な意味を表現するフレーズにより似ていた。例えば「○△△○○」の意味は「近くの地面で食料を拾い集める」、「△△○△○△○△」の意味は「自領を守り、侵入者を消す」、「○△○△△」の意味は「(私は)周囲の木材を集めて家を建てたいが、(私を)手伝ってくれるか?」だ。
読者の大半が現代ホモ・エイビス語を読めるとはいえ、いま挙げたフレーズは多くの読者にとって意味が分からないかもしれない。これは初期霜語の語彙のほとんどがすでに使われていないからだ。特に原始的な暮らしぶりと郷土を防衛する戦いの雰囲気に満ちた言葉はとっくに歴史の塵に埋もれてしまった。
魏采茗は霜語の文法と基礎語彙を整理し、その造語法に基づいて収容施設の中でのホモ・エイビスの生活に適した語彙を一二七個つくって範例とし、「ホモ・エイビス共通語の提案」を人類連合政府の言語学会に提出した。翌年(二〇一五年)、政策の推進の下、言語学会は「ホモ・エイビス共通語の提案」にある語彙を四〇三一個に増やし、「ホモ・エイビス共通語課程」として補い、極めて乱暴な方法で強制的に普及させた。
当時発表された「ホモ・エイビス個体群の平和が継続する上での規範書(二〇一五年版修正案)」には次のように書かれている。「全てのホモ・エイビス族構成員は必ず『ホモ・エイビス共通語課程』の規定に基づきホモ・エイビス共通語を学び、使用すること。全てのホモ・エイビス族の学校は一年以内に全ての授業をホモ・エイビス共通語に変えて行うこと。あらゆる成人のホモ・エイビスは二年以内に必ずホモ・エイビス共通語を習得し、二年後のホモ・エイビス共通語目標基準テストに合格できなかった成人のホモ・エイビスは終身監禁に処する。あらゆるホモ・エイビスは五年以内に次世代をホモ・エイビス共通語の母語話者にしなければならず、五年後にホモ・エイビス共通語目標基準テストに合格できなかった幼年のホモ・エイビスとその保護者を終身監禁に処する」
大半がホモ・エイビスのコミュニケーション内容の無理解から来る恐れによるものだが、この件に対する人類連合政府の対応は狂気的といえた。圧政の中で小規模な反抗が続出したが、大多数のホモ・エイビスが当時の戦争を鮮明に記憶していて人類との戦力差を知っていたため、より規模が大きな反抗は生まれなくなった。
ホモ・エイビス族が「ホモ・エイビス共通語課程」を受け入れざるをえなかったとしても、それは極めて不完全で乱暴な言語綱領を覆い隠せなかった。魏采茗は「課程」をこう評価している。「『長短語』という別名は全く馬鹿げている。これは言語ではなく強姦であり、覇権主義による強姦だ。そして私は共犯者だ」
ホモ・エイビス族との対話方法をずっと探していた人類連合政府にとって、魏采茗の提案は折しも当時実行に移せる唯一のものだった。こうして彼女は光栄ではない形で歴史の表舞台に立たされた。
「ホモ・エイビス共通語課程」に列挙されているホモ・エイビス共通語の基本文法は、我々が知っている現代ホモ・エイビス語と大きく異なる。現代ホモ・エイビス語は基本的に「かばん語+人称冠詞+アスペクト名詞」の文法を採用してかばん語を使っているが、この文法は「課程」には存在しない。課程で上げられている文法は全て霜語から直接来た簡単なSVO型で、連体修飾語と連用修飾語を後置する形式だ。かばん語に至っては全てが単独で使用されている。
「課程」に添付されている表には、(全部で四〇三一個ある語彙の中から)当時整理された二〇七一個のかばん語が列記されている。その中には「○○△○△△(人類連合政府の命令に永遠に従う)」、「○△△○○△△○(人類に奉仕するのが私の栄誉)」、「○△△△△○○(人類の利益は何よりも勝る)」と言ったファシズムのスローガンのようなかばん語が少なくない。だが「○△○△○△○△○(ご飯を食べるのは家族全員が揃ってから)」や「○○△○△○△△○△(今日仕事が終わったら一緒に家に帰る)」などの大部分のフレーズは、現在のホモ・エイビス語に流用されている。
四〇三一個の語彙のうち、応用範囲が限られたかばん語が二〇七一個含まれていることから見て、ホモ・エイビスがこの言語で複雑で流暢な対話や交流を行うことが難しかったのは言うに及ばない。この点について「ホモ・エイビス共通語課程」が取った解決方法は、直接モールス信号を持ってくることだった。「課程」に載っていない語彙については、所在地の言語のモールス信号を併記した。
魏采茗は当時、言語学的観点から「課程」を次のように批判した。これをホモ・エイビス間の共通語として流通させるのは不可能である。なぜならこれらたった二〇七一個のかばん語ではホモ・エイビス語を冗長さと低効率さから脱するには全然足りないからだ。魏采茗はまた次のような皮肉を述べた。もし自分が霜語をテキストとしたホモ・エイビス共通語を提起していなければ、人類連合政府は遅かれ早かれモールス信号を共通語にして普及させていっただろう。
しかし事態は魏采茗の考えとは裏腹に、圧政の下、ホモ・エイビス共通語は応用と発展に成功することになった。
ホモ・エイビス語の発展
人類連合政府言語学会は九三箇所の収容施設におけるホモ・エイビス族の言語の発展を二〇二一年に再び考察した。その時点で、大部分のホモ・エイビス学校は「ホモ・エイビス共通語課程」を使って授業していた。その後生まれたほぼ全ての幼年のホモ・エイビスは家や学校でホモ・エイビス共通語を第一言語とし、収容施設で働く多くの人類も流暢なホモ・エイビス共通語を話した。しかしこの時、ホモ・エイビス共通語の文法構造はまだ定まっておらず、かばん語の用法も千差万別で、各地で独自に発展し誕生した方言も統一するのが難しかった。この時のホモ・エイビス共通語は、安定して独立した言語とは到底言えなかった。
言語学会は同年に「ホモ・エイビス共通語課程(第二版)」を発行した。「課程(二)」で学会は各地の独自に発展した語彙や文法を整理し、かばん語を使用した文法構造を定めた。「課程(二)」でかばん語の数は一万四〇三二個にまで増え、語彙の総数は三万二九〇個となったが、この圧倒的な数は各地のホモ・エイビスの生活のニーズに従って自然と生成された言葉である。
続いて人類連合政府は「ホモ・エイビス共通語課程(第二版)」を教材として全面的に採用し、ホモ・エイビス共通語の母語化プロセスを強制的に押し広め続けた。
二〇三〇年になると大多数の幼年のホモ・エイビスが彼らの親たちよりも文法がより複雑なホモ・エイビス共通語を流暢に喋れるようになった。この現象は人類連合政府が半人工言語を自然言語として普及させたことの成功を意味している。ホモ・エイビス共通語の関連規定に違反して人類連合政府が拘留したホモ・エイビスは二〇二二年で三四六七名いる。二〇三一年になるとこの数字がゼロになり、「ホモ・エイビス共通語課程(第四版)」に収録されている語彙は五万四九七個にまでなった。
しかしホモ・エイビス共通語の発展に伴い、多くの問題も浮上してきた。ホモ・エイビス語には二つの音しかないのに、表現しなければならない事柄がますます多くなっていったのだ。ホモ・エイビス語という独特な複合語は、複雑な意味を乗せることができるが、その長さも増していった。また一方で、いくつかの複雑な科学技術用語や学術用語、または高度に抽象化された哲学の概念のほとんどはモールス信号で外国語の原語を綴るしかなかった。
ホモ・エイビス共通語の冗長化は避けられないことだった。
しかし生命には必ず活路がある。二一〇〇年前後になり、ホモ・エイビス族は世代交代を経て、人類に押し付けられた「母語」に徐々に適応していった。母語話者として、コミュニケーションの効率を保とうとするなら、この冗長な言語の話す速度を上げる必要があった。ホモ・エイビスたちの話す速度は、収容施設で働く多くの人類がホモ・エイビス語の長音と短音が全然聞き取れないと愚痴をこぼすまで速くなった。ホモ・エイビスたちは共通語によって徐々に言葉の壁を超えていったが、語学に天賦の才能を持つ一部の人類及びホモ・エイビスを母語とするごくわずかな人類(二〇九七年でたった一七人)を除き、ほぼすべての人類はこの二つの音しかないが話す速度がとても速い言語を聞き取るのがますます難しくなっていった。
人類連合政府にとってホモ・エイビス共通語は、統治と安定を維持するという本来の目的をますます失っていった。
ホモ・エイビス語の窮状
ホモ・エイビス共通語は現代ホモ・エイビス族の主流言語であり、ほぼ全てのホモ・エイビスの第一言語だ。多くの弱小ホモ・エイビス集落方言はホモ・エイビス集落時代の終焉(人類統治時代の始まり)に伴い消失していった。ホモ・エイビスたちは強制されたホモ・エイビス語を話すにつれて、自分たちの過去の言語をすっかり忘れていった。
ドゥワンチャン語、利爪語、烈火語、プラタ語のような集落方言が今日まで残ることができたのは、これらが人類の言語と親族関係にあり、人類から保護されていたからで、またこれらが極めて独特で強烈な文化的属性を有して集落の歴史や文化とリンクしており、他言語によって消滅させられづらいからだ。他の多くの無名の鳥鳴語は歴史の流れの中に消失した。
たった三十年間で一つの言語を消滅させられる。そして数十年ごとに同一言語にも小さくない変化が起きている。アジアのドゥワンチャン語と南アメリカのドゥワンチャン語はすでに発音や言葉遣いに大きな違いがあるが、ドゥワンチャン族がアメリカに移住してから二七年しか経っていない。
音韻が言語の重要な構成要素であり、言語は口語で使用されることによってしか存続できないのは明らかだ。だが現代の我々が使用している口語は、取って代わられ淘汰されることが必然なのだろうか。筆者が現代中国語でこの文章を執筆した時点で、原始漢語を母語とする人間はもう数千年間存在しておらず、ただ屈折語という荒廃した建物が言語の存在を示している。
ホモ・エイビス語の中で比べると、霜語はホモ・エイビス共通語普及の強制政策後初期に絶滅したホモ・エイビス集落方言だ。ホモ・エイビスが現在使用している言語は霜語に由来するが、霜語本来の姿を再び知ることはできない。初期霜語の面影がかろうじて残っているのは、魏采茗の「ホモ・エイビス共通語提案」の中だけだ。
芸術性を育めなければ、その言語の真の姿を現代に残すことは不可能なのだろうか。言語学者が残せた文法と語彙だけは、言語が歴史の中に文化と芸術の魂の光を留めることができた。
そのためこの意味において、言語は文学の需要があってこそ存続できると言えるかもしれない。霜語のように消えた言語は一篇の詩も歌も残さず、ほとんどが文字体系を打ち立てず、消失とはすなわち永遠の消失を意味し、破片をわずかに残したのもあれば、霧の中に溶けていったのもある。
ドゥワンチャン語やプラタ語のような擬人語そのものは人類の文学を模倣するのに適しており、ホモ・エイビス作家のグエン・カチュアンのドゥワンチャン語小説『無限大、無限遠』はポリフォニー小説の手法を使ってドゥワンチャン属と人類の聖三一月面要塞における有名な戦争「サイイド宇宙港閉塞作戦」を記し、種族を超えた勇気と気概を讃えた。「聖なる戦争の本当の意味は、邪悪が勝った世界で正義を堅く守ることだ」は、ホモ・エイビスの民族的英雄ユースフ少佐による作中で最も有名なセリフだ。ドゥワンチャン族自治公国成立後、この言葉はその国の標語となった(この言葉を言ったユースフ少佐は、ドゥワンチャン族のムクドリではなくエルアレフ族のエミューだが)。
プラタ語の小説は彼らの文化的根源であるスペイン語文学を模倣するのをより好んだ。風刺作家ジェズス•フランコのプラタ語小説『千年の自閉』は、人類の作家ガブリエル・ホセ・デ・ラ・コンコルディア・ガルシア・マルケスの名著『百年の孤独』をオマージュし、人類連合政府当局の役立たずぶり痛烈に皮肉り、連合政府に禁書扱いされたこともある。
利爪語を用いた詩人はとても多かった。利爪語の詩は音楽性と内容を共に重んじ、聞けば調べに酔い、読めば内容に心打たれた。利爪語詩に最も大きく貢献したのは海風族の「水中の巨蟒•蓮花」で、彼が利爪語で書いた『詩韻の秘訣』は、美しく歌う利爪語詩を書く上で遵守すべき韻律を整理している。
烈火語文学は近年最も広く流行している。どこの土地から来たホモ・エイビス劇団でも、「全てを切り開く喙•羽毛」の『昨夜の隣人』を上演するだろう。烈火語が分からない人が見ればやかましい無声喜劇にしか見えないが、烈火語が分かる人が見れば心を引き裂く愛情悲劇に見える。この種の言葉遊びは面白さを求めた卓越した技術と言える。
しかしこの一世紀余りでホモ・エイビス共通語から生まれた偉大な芸術作品はごくわずかだ。それはホモ・エイビス語そのものの冗長性と関係があるかもしれず、話す速度で補えるとはいえ、文字に起こした際に読者がスムーズに読むことは難しい。今日、ますます多くのホモ・エイビス作家が人類の言語を選んで創作している。詩歌でも小説でも、おそらく人類のどのような言語であれホモ・エイビス語より文芸創作に適している。特に詩歌の場合、ホモ・エイビス語が声調言語ではなく二つの音しかないため韻を踏むことができないため、声調と長短音のみで韻律やリズムを表現するのは難しかった。その上、その冗長性が詩歌の味わい深さと衝突した。
文芸創作以外の他にホモ・エイビスたちが学術的な執筆を行う際、あるいは説明が複雑になりすぎる問題に遭遇した際、示し合わせたかのように他の人類言語を媒介とすることを選んだ。なぜならどんな学術用語あるいは複雑な概念も、ホモ・エイビス語で書けば冗長になりすぎるからだ。
だが人類の言語は本当にホモ・エイビス言語の創作に適しているのだろうか。簡単に例を挙げてみる。翻訳の習慣にならって我々が人類の言語を使って鳥鳴語地区の姓名、民族名、地名を表す時には、人類の言語に相応する音がないため意訳を選択せざるを得ない。このような翻訳の結果は往々にして微妙な滑稽さを醸し出し、言葉の意味が曖昧になることもある。比較的有名な例を挙げてみよう。
「生臭い潮風が春の垣根に吹き、美しいフェレットが真夏の夜の胸に寝転ぶ」
利爪語文化を解さない読者が読んだ場合、「生臭い潮風」と「美しいフェレット」が利爪集落の民族的英雄であり、「春の垣根」と「真夏の夜」が利爪族の詩人であることを知らないと大きく読み間違うだろう。
しかし、これらはすでに過去の話だ。これら以上に目下最重要の問題は、我々がホモ・エイビス語を話す映画をどれぐらい見ていないのか、ホモ・エイビス語で書かれた書籍をどれぐらい読んでいないか、ホモ・エイビス語で歌った曲をどれぐらい聞いていないかだ。
ホモ・エイビス語は人類がホモ・エイビスに強制した言語であり、かつてはホモ・エイビス族の苦難の歴史だった。だがホモ・エイビス語もまたホモ・エイビス族の不屈の精神を象徴しており、「覇権主義による強姦」から実用的な言語に変貌を遂げた。ホモ・エイビス語が大部分の人類には聞き取れず、ホモ・エイビス族を団結せしめる言語に発展した時、反逆の角笛が鳴り響いた。
ホモ・エイビス語はホモ・エイビスの苦難の歴史であるだけではなく、ホモ・エイビスの勝利の歴史でもあるのだ。
我々はまた、どのようにしてこの言語が直面している文化の窮状から救えるのだろうか。
終わりに
ホモ・エイビスはかつて人類に虐殺され、文化を消された。ホモ・エイビスの歴史と尊厳は剥奪されたが、ホモ・エイビスは歴史を奪い返し、尊厳を奪い返した。これら全てが行え、全てのホモ・エイビスが団結できたのは、ホモ・エイビス共通語のおかげだ。ホモ・エイビス語は主としてホモ・エイビスという種族間、ひいては生殖的隔離がある複雑なグループに「ホモ・エイビス族」という広大な文化的アイデンティティを持たせるに至った。
歴史がどのような過程を経て今日に至っていたとしても、ホモ・エイビス語は紛れもなくホモ・エイビスの民族言語である。
ホモ・エイビス族の唯一無二の民族言語をどう振興するか。ホモ・エイビス語という最も偉大な文化遺産をどう保護するか。ホモ・エイビスが人類に替わって地球を統べる種となったいま、これは我々ホモ・エイビス全員が考えるに値する問題である。
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