ぼくは、しんだことがある。いっかいやにかいじゃない。きょうのあさだって、ごかいはしんだ。そのたび、おかあさんは、ぼくをたすけられないでいるんだ。すんでのところでまにあわず、タッチのさで、ぼくをすくえないでいる。かわいそうなおかあさん。
いっかいめはぼく、おもいおもいにもつをしょって、あるいている。すっごくおもくて、ぼくがいっぽあしふみだしたら、それはそのつど、さらにじゅうりょうをまし、いっトンずつおもくなるんだ。いっぽふみだせば、いっトン! もういっぽふみだせば、もういっトン! いくらちからもちのぼくだって、しまいにはむりがきた。がんばったけど、ペッチャンコになっちゃった。おかあさんはとおいところから、にもつをしょっているぼくをみつけ、いちもくさんに、もうとっきゅうに、はしってはしって、はしって、やっとのところまではしってきたけど、てをのばして、もうすこしのところでぼくにとどかず、まにあわなかった。
にかいめはぼく、やたらとのどがかわいて、すいどうをぜんかいにひねって、みずをがぶのみしていた。そしたら、だんだんと、このまちじゅうのみずがみあたらなくなってきて、どうやらぼくががぶのみしたせいで、ちいきてきなみずぶそくになってきてしまって、まちじゅうのひとがみんなみずをのめなくなって、こえもでないほどにみんなやつれて、そう、じっとぼくのほうをみつめているんだ。つめたいつめたいしせんで。ぼくはからだがひんやりして、きづいたらすいじゃくしていた。おかあさんはまちじゅうに、ぼくのそそうをあやまってまわった。ぼくにえんえんとおせっきょうをした。でもそんなしゃざいのことばも、たしなめのことばも、くうちゅうをふわふわおよぐおんぷにすぎなかった。まちのひとのしせんはきえない。ぼくは、なんだかつかれてしまって、いきをするのを、やめてしまった。
さんかいめ。ぼくは、こいにおちた。こいしくてこころがはっかする。すきすぎてめがみえなくなる。しつめいしたぼくはくらやみのなか、あのひとのオーラだけをたよりに、まえにむかってつきすすむ。しょうがいぶつはぼくをさんざんいためつけるけれど、いためつけられればいためつけられるほどに、こころはたかくもえあがる。こげるこころのおととにおいがあたりにひろがる。ぼくはまだきづいていない。しょうがいぶつのしょうたいがおかあさんだということに。おかあさんにとってあのひとはあくまにしかみえない。ぼくにとってあのひとはエンゼルとしかおもえない。こいはからだとこころじゅうのつうてんをまひさせる。ぼくはまだきづいていない。あしもこしもくだけまくって、じつはげんかいがきていることに。どんなにこころがもえあがっても、からだがほろびれば、これいじょういっぽもすすめなくなるということに、ぼくはきづけない。あのひとのようになりたいとしんそこおもう。あのひとのようになれないぼくは、すでにからだはほうかいし、ほんとうはもうじぶんはこのよにそんざいしていないというしんじつに、きづいてもいない。
よんかいめ。ぼくが、ふたりいる。ぼくとぼくはなにもかもがせいはんたいで、でも、たしかにおなじにんげんだった。おかあさんはめをこらし、どちらがほんものかみきわめようとする。ぼくとぼくはふたりとも、じぶんがほんものだとしゅちょうする。おかあさんはなやんだすえ、どちらかひとりをえらぶ。えらばれたぼくはてをひかれ、えらばれなかったぼくのほうをなんどもふりかえる。えらばれなかったぼくはぼうぜんとたちつくし、とおざかっていくえらばれたほうのぼくをみつめつづける。ぼくとぼくが、はなればなれになっていく。じぶんじしんがいちばんよくしっている。もうひとりのぼくが、けっしてにせものなんかではないことを、ぼくがまちがいなくしっている。おかあさんは、ぼくからぼくを、ひきはなしていく。ぼくがぼくじゃなくなろうとしている。ぼくはぼくじゃなくなろうとしている。こころが、からだが、まっぷたつにちぎれ、とぶ。
ごかいめ。ぼくはとしをとる。ぼくだけがみるみるとしをとる。いちじかんごとに、いちねんぶんの。はじめはよかった。せものびて、かたはばもできて、こえもかっこよくひくくなって、りっぱになって、だけど、ふつかめみっかめとすごしていくうち、いつのまにかぼくはおかあさんのねんれいをおいこしていた。おかあさんよりもしわがふえる。おかあさんよりもてがあれて、おかあさんよりもあしこしがよわくなる。あたまのけやえいきゅうしがぬけおちて、おととかしかいとかかんかくがまるごと、せかいがみるみるあいまいにしずんでいく。ぼくはこわくてしかたない。こくこくとぼくのじかんだけがはしりつづける。めのまえにいるひとのこえがききとれなくなり、こまかいじがよみとれなくなり、てのかんしょくがゴムてぶくろごしのそれのようにふたしかになる。せなかがぎしぎしおとをたててまがり、からだじゅうがおもくいたくなり、どんどんどんどんおじいちゃんになっていくぼくのろうかをくいとめるすべをおかあさんはかんがえつかない。ぼくは、しぬのがこわい! と、こころでさけぶ。このよにいきるひとたちのなかで、ぼくのじかんだけが、だんとばしで、どんどんどんどんかけあしでさきをいそぐ。よっかめのひぐれごろ、ぼくはとうとうむかんかくのせかいにしずむ。しぬのがこわい! という、つよいおもいだけがのこる。ぼくはこころで、たすけて! とさけぶ。
「たすけて!」
おかあさんは、めをさました。
ふとんをひらいておきあがると、かおをあらって、はをみがいて、きのうやおとといもそうしたように、せんめんだいのかがみのまえで、ひょうじょうのれんしゅうをする。かおぜんたいのきんにくをひきしめるためだ。
わらったかお!
ないたかお!
おこったかお!
いまにいたかぞくにおはようをいう。あさごはんにすこしのヨーグルトと、おんやさいのサラダをたべる。せいふくにきがえ、かみをととのえ、リップクリームをつける。ごぜんはちじにじゅっぷんごろにいえをとびだし、がっこうへむかってはしる。スクールバッグはおもたい。たちどまる。あかずのふみきりのまえで、とおせんぼされている、なかよしのクラスメートをみつけた。そのほかにも、おなじがっこうのせいとたちが、おおぜいふみきりにまたされている。でんしゃがとおらないのをみはからい、せいとたちはしゃだんきをくぐる。むこうがわへかけわたる。でんしゃがやってきて、きょうぼうなおとをあげてとおりすぎる。またちがうせいとたちがくぐり、わたる。ふみきりをまつせいとのかずがへっていく。おかあさんはわたらない。なかのいいクラスメートも、しゃだんきをくぐり、むこうがわへいってしまった。おかあさんはひとりでそこにのこる。カンカン、カンカンカン、というおとがやんでしゃだんきがあくと、おかあさんはいそいでわたる。ぜんそくりょくではしり、そしてたちどまる。ひざにてをつき、かたでいきをする。めのまえのつうようもんはしまっていた。
おかあさんは、けっきょくようりょうがわるいんだ。そんばかりしている。ばかしょうじきなんだ。
ちこくとどけをかかされた。しょくいんしつをでて、ろうかにかかったおおきなかがみのまえにたつ。おかあさんのまえには、びじんじゃない、スタイルもよくない、あかぬけないおんなのこがおかあさんをみつめている。おまけにちこくはするし、これといったとくぎもない。
かたちやいろやにおいやなんかには、かんたんにさゆうされないせかい。おかあさんは、そんなばしょがあればいいなとおもっている。かたちやいろやにおいやなんかには、さゆうされないせかい。ぼくは、そんなせかいなんて、つまらないんじゃないかとおもう。おかあさんも、ほんとうはきづいている。じぶんのかんがえがあまいことを。だけどなにかのせいにしておきたいとしごろなんだ。おかあさんは、すてきなじぶんにうまれかわりたいと、せつぼうしている。
クラブかつどうをおえて、かえりみちをひとりであるく。そらはあかとあいいろのまじったいろをしている。さかいめはむらさきだ。アスファルトのほどうにしかれた、もうじんようのいぼいぼのきいろいてんじブロック。あおしんごうが、すすめ、をしめし、おうだんほどうのむこうからオレンジいろのじてんしゃがはしってくる。すれちがうとき、かぜをかんじた。このせかいには、いろがあふれている。
かえりみちのとちゅう、ふるめかしいひらやのまえに、みどりいろのアロエがうわっている。ほかにもいくつものうえきばち。ポーチュラカ。ひゃくにちそう。マリーゴールド。ベゴニア。かにしゃぼてん。おかあさんはとおりすぎる。やっといえについて、げんかんのひきどをあける。
「ただいま。」
ぼくは、しんだことがある。いっかいやにかいじゃない。おかあさんのゆめのなかで、ぼくはいくどとなく、くるしみや、つらさや、いたさをたいけんする。きょうのよるだって、きっとそうだ。
ぬるいブラックコーヒーでみたされた、にじゅうごメートルプールで、ぼくはすいえいをしている。けのびをして、ビートばんでバタあしをして、とびこみをして、クロールをして、ひらおよぎをして、せおよぎをして、せんすいをして、バタフライをする。ゴーグルがこげちゃいろにそまっていく。はだのいろも、ひにやけたからでなく、こげちゃいろにそまる。プールサイドにあがったぼくはたちくらむ。バスタオルをひろげたおかあさんが、つつむようにぼくをだきとめる。ぼくはカフェインで、はっきょうする。からだをぶんぶんふりまわす。わけのわからないことをがなりわめく。あばれるぼくをおさえこもうと、おかあさんはひっしでつよいちからでだきしめる。おかあさんもなにかさけぶ。はっきょうしているぼくのみみには、ただしいげんごがききとれない。ぼくはおかあさんのかみのけをつかみ、うでにかみつく。おかあさんとぼくはプールにおちる。ぼくはそのままくるいじぬ。
にかいめ。おかあさんは、ビンのふたをあけようとしている。ビンのふたはかたい。おかあさんはひっしで、かおをまっかにして、ちからいっぱいかけて、あけようとするけれど、ビンのふたはまわらない。ビンのなかにはぼくがいる。みかいふうのパッケージなんだ。ビンのなかからは、そとのひかりのつぶがむすうにぼんやりとかさなりあってみえて、みっぷうされたようきのなかでは、さんそがしだいにうすくなる。かんそうざいがはいっていて、それにやられてぼくのヒフはからからにひからびる。でかいこえでたすけをよんでも、ビンのガラスにはんきょうして、そとのせかいにはとどかない。ガラスのかべをなんどもなぐったこぶしから、ちがこぼれ、そのちもすぐにビンのそこでひからびる。ぼくのからだは、とうとう、かんぜんにひからびる。いっしょうけんめい、おかあさんはビンのふたをこじあけようとどりょくする。まっかなかおで、ちからのかぎり、やっとまわったビンのふたをあけて、なかをのぞくけれど、ぼくのからだはしんぞうまでもかんそうしきって、もうすでに、びくともうごかない。
おかあさんは、めをさました。そしてこの、まいにちみるゆめのしょうたいはなんなのだろうかとおもう。この、いつもゆめにでてくるちいさなおとこのこは、だれなのだろうとふしぎにおもう。
おかあさんはげんかんをとびだした。あのふるめかしいひらやのまえで、たくさんのうえきばちのなかからアロエをみつけ、ボキッとおると、またいそいでいえにもどってくる。げんかんのひきどをらんぼうにしめて、かけあがってだいどころへいく。すてきなでまどからひかりのふりそそぐ、ひかりのあふれるだいどころにたって、すいどうをじゃあじゃあながし、アロエのみきをごしごしあらう。アロエのとげをほうちょうでとりのぞく。にかいのこどもべやでねこんでいるぼくのまくらもとまではこんできて、そのぬすんできたアロエをぼくにたべさせようとする。ぼくはねつをだしてうなされている。あせがだらだらながれる。なにをたべてももどしてしまうんだ。いがかんぜんにやられてしまっているみたい。アロエはいにきくというから、おかあさんは、それをぼくにたべさせようとする。ぼくはそれをバリバリたべた。くちのなかじゅうニガニガで、それでもバリバリたべた。なみだがだらだらながれた。
ぼくは、めをさました。
なんだ。けっきょくゆめおちだったのか。
まっしろいかべに、しほうをかこまれたへや。そう、ずっとまえからここにいる。ここからでることはない。だって、どこにもでぐちはみあたらない。まっしろいかべ……。ひとり、ここにいる。へやのまんなかに、アロエがはえている。さいしょはちいさなつのだったのが、まいにち、ねむっているあいだに、すこしずつせいちょうして、いまではたいぼくみたいにたかくそびえて、つののさきはもはやみえない。へやがしだいにせまくなる。アロエのみきがふとくなって、いばしょをせんりょうする。しまいには、アロエのみきとかべのあいだにはさまれて、おしつぶされてしまうかもしれない。でも、もう、くるしみのなかでしぬのはいやだ。
そうだ。ひとつ、ひらめいた。
このアロエをよじのぼれば、てんじょうにとどくかもしれない。そうして、てんじょうにはてんまどがある。きっと、ある。なぜだかかくしんをかんじた。だってぼくがいまここにいるってことは、このへやのどこからか、はいってきたっていうことだから。
アロエのとげに、あしをかける。しんちょうに、おっこちないように、てんじょうをめざし、よじのぼりはじめた。
ぼくはこうしょきょうふしょうだから、ほんとはこんなげいとう、むりなんだけど。でも、ぼくは、へいしょきょうふしょうだから、アロエにいばしょをうばわれた、せまいへやではいきてやいけない。それに、ぼくは、せんたんきょうふしょうだから、アロエのとげがこっちむいてはえている。そんなばしょではくらせやしない。アロエのみきにだきついて、こうやってよじのぼるぶんには、とげはけっして、ぼくにむかないだろう?
おかあさんは、めをさました。
ふとんをひらいておきあがると、かおをあらって、はをみがいて、きのうやおとといもそうしたように、せんめんだいのかがみのまえで、ひょうじょうのれんしゅうをする。
わらったかお!
ないたかお!
おこったかお!
ぼくは、しんだことがある。いっかいやにかいじゃない。それでとうとう、あきちゃった。もうしぬのは、やめた。つぎはいきることをしよう。ぼくがこのよにうまれるひをめざすことをしよう。そうきめて、ぼくはアロエをよじのぼる。おかあさん。てんまどは、きっとある。どうか、まっていてほしい。
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