アナルパール

エメーリャエンコ・モロゾフ翻訳集(第3話)

諏訪靖彦

小説

1,852文字

エメーリャエンコ・モロゾフが仙台市国分町のニューハーフヘルス嬢に入れ込んでいた頃に書いたとされる短編を翻訳しました。

 仙台市国分町のニューハーフヘルス嬢ユキエはアナルパールのパール一粒が肛門から抜け出るたびに肛門括約筋が収縮しローションを排出することによって生ずる「コポッ」という音を聞きながら自分の人生を振り返っていた。坂の上に立って買い物かごにスーパーで買った沢山のレジ袋を詰め込み、自転車を降りてハアハアゼイゼイしながら並木道を(歩道)を上ってくる主婦に注ぐ木漏れ日を拾うような人生だった。坂の下から何度も自分を呼ぶ声を聞いた気もするが、声の主を思い出すことはできない。
「ユキエさん、じらさないでくださいよ。抜くなら抜く、押し込むなら押し込む、しっかりとメリハリをつけてやってください」
 全裸で両腕を床に付け、ドギースタイルからユキエを見上げる男が「ワン」と吠えた。「ワン」と吠えたように聞こえた。いけない、過去を振り返ることに気を取られてプレイが疎かになっていた。ユキエは右手に持ったアナルパールを男の肛門にゆっくりと押し入れる。「コポッ、ボロン、ボロンボロンボロン」とアナルに吸い込まれていく白磁器のような白い塊を見ながらユキエは考える。父親は真面目だけが取り柄の男だった。タバコは吸わず酒も飲まず、家と市役所を往復するだけの男だった。ユキエは高校生のころ、そんな父親の生き方に疑問を覚え、父親に向かって「そんな人生のどこが面白いの?」と聞いたことがある。父親は恥ずかしそうに笑いながら「私は世間に対して真面目であることをアピールすることでしか自我を保てない側の人間なんだ。そんな人間にとって唯一誇れる生き方というのは、他人に不自然に思われないよう、持てる側の人間から与えられたルーティーンをただ黙々とこなすことなんだ。不平など言わない。それが精いっぱいで、それ以上は望まず、それで満足なんだ」などと一見意味深そうでよく考えれば中身のないことを言っていたが、電波少年のドロンズ「南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク」に感銘を受け「幸せの青い鳥を探しに行く」のようなことを言ってバックパックを背負い南米へと旅立った。十年前のことだ。今父親が何をしているかは知らない。それっきり連絡がないため、生きているのかどうかすら分からない。
「ユキエさん、また手が止まってますよ。最後まで押し込んだら抜いてください。もしくはグルングルン回転させてください。何でアナルパールを入れたっきりにするんですか? 今は止めるタイミングじゃないです。グルングルンさせてから出したり入れたり、入れたり出したり繰り返してください。そうやって私を高めていってください。お願いしますよ、高いお金を払ってるんですから」
 いけない。仕事に集中しなければ。ユキエは男に「ごめんなさいね、エメーリャエンコさん」と言った後、男の肛門からアナルパールを半分ほど抜き取る。そして手首をクイクイと動かしてアナルパールをグルングルン回転させた。一秒間に二回転半するアナルパールを見つめているとユキエの脳裏に母親の顔が浮かんだ。父親が家を出てから、ユキエの家は経済的危機に直面することになった。母親は大学生のころ父親に見初められ、社会に接することなく専業主婦となった。社会経験がないからだろう。母親は働きに出ることも両親に金の無心をすることもなかった。どちらも恥だと考えていたようだ。父親の退職金で完済するはずだった家を抵当に入れ、西川口にある月五万円のアパートに引っ越した。片親家庭の子はグレる。グレるに決まっている。グレなければ母子家庭らしくないと思われる。そんな世間の目に晒され、ユキエは家を飛び出した。しばらく西川口に居を構えて駅前西口風俗店で働いていたが、NK流に慣れることができず、旧赤線を渡り歩て北へ向かった。そして現在、仙台市国分町ニューハーフヘルス「地下室の手技」で働いている。
「ユキ……さん、ああ、ユキ……を、おぉ」
 そう、あの時、母親は大きな声で「ユキオ!」と叫んだ。西川口四丁目の「コーポ金子」を飛び出すときに玄関先で母親にそう呼び止められた。ユキエは振り返ることもせず「うるせえババア」と言って出て行った。あれからたくさんの時が流れた。もう何年も母親とは会っていない。母親は今何をしているのだろうか。
「ユキエ、さん! い、痛い! はや、はやすぎるます! ユキエ、ユキエさん、と、止めてえ!」
 また考え事をしていたようだ。ユキエは仕事に集中するためアナルパールに目を向ける。するとアナルパールを起点にエメーリャエンコがドギースタイルのまま、ぐるぐると回転していた。

2019年2月11日公開

作品集『エメーリャエンコ・モロゾフ翻訳集』第3話 (全6話)

© 2019 諏訪靖彦

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