- プロローグ「近寄るな、阿呆。馬鹿が感染る」
と、俺は吐き捨てた。阿呆はいつもの事といった顔でけらけらと笑っている。俺と阿呆は幼馴染だ。家が程々に近所で、昔からの腐れ縁である。全くもって好ましく無い。阿呆と俺は、保育園から、小学校、中学校、そして高校の同級生だ。家の近くだったからと言って、この高校に入学したのが運の尽きだった。しかも在ろう事か、クラスが違ってもこいつは休み時間のたびに俺の机の前にやって来る。全くもってどうかしている。勘弁してくれ。そんな僕の気などつゆ知らず、阿呆は俺に話しかけ続けた。面倒臭がられている事に気が付いて欲しいが、馬鹿にそのような期待をするのは些か可哀想なので、僕は、阿保を無視して、『鉄◯』(『鉄◯』とは、あの鉄○会が出版している英単語帳である。イキリヲタクはほぼ確実に持っている)の英単語を覚え続けた。これが俺の日常だ。そんな俺の様子を阿呆はにこにこしながら眺めている。全く馬鹿の考えることはよく解らん。いや、解りたくも無い。馬鹿が感染る。
俺は馬鹿が嫌いだ。会話が通じないことが多く、話しているとイライラするし、何より、将来に対する不安などにも気付かずヘラヘラしている馬鹿を見ていると虫唾が走る。全くもって不愉快だ。
しかし、今、俺と会話を交わす奴は馬鹿しかいない。もっとも、会話を交わす奴なんて、そもそも2人しかしいないのだが。
1人目は、勿論、あの「阿呆」もとい、佐藤 ひなた である。そして、もう1人は隣の席の、池田 俊 という男だ。
こいつは、高校の入学式の日に、誰にも話しかけられたくないオーラを身体中から放出させ、夏目 漱石 の『夢十夜』の、しかも、よりにもよってあの第三夜を読んでいたにも関わらず、
「あ~、夏目漱石読んでるじゃん。俺もその人知ってるよ、『走れメロス』描いた人でしょ‼︎」
と、もうこれ以上ない自慢気な顔で、俺にわざわざ馬鹿を晒しに来た男であった。入学して、1月経ったが、もう俺は学校が嫌になっていた。学校に行く度に、馬鹿2人へのストレスで、胃がキリキリと痛む。このままではそのうち胃に穴が開いてしまう。全くもって何故俺がこんなにも辛い目に遭わなければいけないのか。ああ、神様、俺が何をしたって言うのだ。
ー チャイムが鳴った
矢張り、俺の繊細な気持ちなど、1涅槃寂 静も理解していない阿呆は、
「じゃあね」
と笑いながら自分の席に戻った。第1章 映画を観よう
6月のはじめの、とある休み時間。いつもの様に俺の机までわざわざやって来た阿呆が俺に向かってこう言った。
「7月に、面白そうな映画がやるんだけど一緒に観に行かない? 」
「行くわけ無いだろ、馬鹿め。勉強で忙しいんだよ」
と俺が返事をすると、阿呆は、
「勉強だけじゃ社会でやっていけないよ」
と言って口を尖らせた。
全く何の根拠があるのか? 所詮馬鹿の負け惜しみであろう。
大変五月蝿かったが、まともに言い返していたら、確実に馬鹿が感染ってしまいそうなので、俺は阿呆を無視した。が、矢張り阿呆は、そんな俺の様子を眺めて笑っていた。全く変な奴である。
ーそれから2週間後の昼休み、彼女が満面の笑みで俺の席に寄って来てこう言った。
「私、彼氏が出来たの‼︎ 昨日告られて。エヘヘヘヘ……」
「あ、そう」阿呆は、ニヤリと笑った後、
「まあいいや。とにかくこの前私が言ってた映画はその人と観に行くから! 今更行きたいと言ってももう遅いからね!!! じゃあ」
と吐き捨てて、何処か別の教室に走っていった。第2章 池田の野望
9月になった。 夏休みは毎日の夏期講習だけで誰かと遊びに行くことも無く終わりを迎えた。寂しくなど無い。夏休みだからといって学業を放棄する様な馬鹿な輩は社会に出てから頭を抱えて、トイレでこっそり「こんな筈じゃなかった」と涙を流せばいい。7月の半ばから喜ばしいことに阿呆が休み時間に全くやって来なくなり、俺は、連日静かなる休憩時間を過ごしていた。非常に幸せだった。
しかし、そんな俺のささやかなる幸せは長くは続かなかった。とんでもない不幸はいつでも突然やってくる。そして、その日、俺の元にはあいつがやって来た。
俺がクラスで最も軽蔑している男、池田である。
俺は「優雅なる休み時間をこんな輩に潰されるのは癪だ」と思い彼を睨みつけた、激しい憎悪を込めて。しかし、こいつにそれが気付ける筈も無く、へらへらしながら、
「よう、文学少年」と声を掛けて来やがった。そしてその後に、
「お前、俺と文化祭出やへんか」
という衝撃の一言をかました。「な、何で俺なんだよ、まあ良い、とにかく俺は出ない。そしてお前みたいな馬鹿の相手をしている暇は俺には無い。はやく消えろ」
「ふっ、それは出来んな」
そう言って爆笑する池田の手にはあろうことか、俺と池田の名前が書かれた「文化祭出演許可書」と書かれた紙が握られていた。俺は頭が真っ白になり、そして気が付いた時、俺は池田を打っていた。池田は、「効かないなあ」と半泣きで言った。 奴の顔を見たらイラっときてもう一発ぶってやろうかと思ったが、万が一、担任にでもチクられたら、今までの俺の「教員の前での巧みな猫被り」がバレてしまい、成績に支障をきたすどころか、下手すりゃ自宅謹慎なので止めた。賢明な判断だ。つい一発ぶってしまったとはいえ流石だ、俺。
俺は冷静さを取り戻したが、「文化祭」という単語が頭をよぎった瞬間、腸に嫌な感じがした。 持病の「ストレス性胃腸炎」 によって俺はトイレに駆けこもうとした。 池田がそんな俺を見て、口を手で大袈裟に覆い、こっそり笑ったので俺はもう一発池田を殴った。
「何で俺なんだよ」地獄の苦痛を味わい、便所から帰って来た俺は人間のクズにそう尋ねた。
「お前、入学したばっかりん時さあ、皆で書いた自己紹介カードに書いてただろ」「え、なんか書いてあったけ」
「お前、特技にピアノって書いてたんだよ」
確かにそう書いた。昔、両親が「頭が良くなるから」と言って俺をピアノ教室に入れた時から、結局、中3になるまで俺はピアノを習っていたのである。ピアノは俺の勉強以外の唯一の特技だ。それがどうしたのかと、大変嫌な予感がしながら奴に尋ねたら、奴め、見事予感を的中させることを言い出した。「ライブでもやれたらと….」
「2人でか? 」
「そうや」
「大体、お前楽器弾けんのかよ」
「リコーダーと鍵盤ハーモニカなら! 」
池田は真顔でそう言った。俺はもう絶望を通り越して、無心になった。ピアノとリコーダーで何が出来るというのだろう。
俺は考えるのをやめた。
ー家に帰ってきた俺は、池田を恨みながら、青○ャートを進める・・・・はずだったしかし、何故か今、俺は、どうやってライブを盛り上げるかを考えている。
一人のピアノしか弾けない極度の人間嫌いの俺と、楽器の弾けない救いようのないアホがやるライブなんて盛り上がらないと確かに思っていた。ああ、しかし、なんということであろうか!俺は何故かライブでやることの案を紙に書き出していた。その上、その中には確かに俺の字ではっきり「ギターを練習する」と書いてあった。
ハッとした時、俺はそんな自分に驚き、「なんでこんなことをしているんだ」と思いながらも作業を続けてしまった。
少しだけ、馬鹿が感染ってしまったのかもしれなかった。
第3章 俺の変化
最悪の「ライブ出演」が決まったあの日から暫く経った。あの日からの俺の行動は、今までの俺からは有り得ないものだった。
まず、あの後、俺は犬より嫌いな従兄弟のいる家に行った。ここで少しそいつについて述べておく必要があるだろう。そいつ、こと平賀之雄は俺と同い年で、この辺で中堅レベルの高校に通っているにもかかわらず、夢だけは無駄に大きく、「俺は将来大物になるからよろしく」などというとち狂ったことを俺に会う度に言う正直俺が世界で1番嫌いなタイプの人間だ。
勉強も大して出来ないような奴が、なんの努力もせずに大物になんてなれる訳がないではないか、どうせこういう奴は酔生夢死のまま死んでいくのだ。全く見ていて胸くそが悪い。これが俺が奴に対して抱いているイメージの全てだ。
しかし、奴はギターを持っていた。そしてギターが弾けた。よって、俺はあろうことか奴にギターを習うため、そしてギターを貸してくれと頼む為に奴の家行ったのである。
事情を話すとヤツは、俺がライブに出ることを一通り冷やかした後、あっさり俺の頼みを承諾した。そして、「ギターは一日にして成らず」と主張し、俺に毎週日曜日にギターを習いに来るように言った。と、言う訳で、俺は今、何故か毎週、奴の家にギターを習いに行っている。
因みに、奴は、「家でも練習しろ」と言って俺にギターを貸したが、そのギターが如何にも厨二臭い純白のギターに真っ黒のクソみたいなセンスのドクロステッカーが貼ってあるというもので俺は何かが嫌になった。(しかも、ドクロと目が合うとなんか怖い)だが俺は、それにめげずに、奴にギターを渡された日から少しづつ時間を見つけ、一日一時間位はギターの練習をしているのである。
更には、今はやっている曲を調べるために、「アーティスト 高校生 人気」みたいなことを検索しまくったり、今まで観たことがなかった音楽番組を毎週観るようにまでなってしまっている。
やはり、馬鹿が感染ったのかも知れないな、と俺は思った。
第4章 謎
文化祭が、あと10日に迫っていた。文化祭での発表は着々と進んでいた。まあ、進めていたのは、ほぼ俺なのだが。結局のところ、俺がギターを弾き、池田が歌う事になった。池田が歌う事になったのは、奴がカラオケで90点台を取りまくっていることが、池田と奴の友人の会話から判明したからだ。早くそれを言えよ!
歌う曲も決定した。そして、何故か俺は、毎日、放課後も学校に残り、池田と本番に向けた練習をしている。
俺はどうしてしまったのだろうか?
ー放課後が来た。今日の授業を終えた俺は、池田と練習をするべく、音楽室に向かった。教室の前の階段を降り切ったところで、俺は約5ヶ月ぶりに「阿呆」に会った。しかし、何かが違った。
そして、何より、阿呆の目には涙が浮かんでいて、俺は驚いた。何故なら、俺は今まで阿呆が泣いているのを見たことがなかったからだ。俺は思わず、「なんで泣いてんだよ」と阿呆に尋ねた。自分から阿呆に話しかけたのは初めてだった。
しかし、阿呆は「目薬を注したばっかりなだけだから、気にしないでね」と言っただけで、まるで俺を避けるように走り去ってしまった。前はあんなに馴れ馴れしかったあの「阿呆」がである。
俺は、絶対に目薬でないことは、阿呆の目の周りが真っ赤だったことから判った。しかし、このままこの微妙な空気が続くのも嫌だったので、俺は黙って阿呆が走り去るのを見ていた。
余程ラブラブだと思っていたが、もしかして喧嘩でもしたのだろうか。まあ、そんなこともあるだろう。俺の知るところではないが。
しかし、幾ら阿呆と俺が違うクラスとはいえ、たったの一度も5ヶ月間顔を会わせないということが、同じ学年でありえるのだろうか? と俺は不思議に思った。今日まで何度か文化祭に向けて学年で集会があったりもしたが、俺は阿呆を見ていない。そんなことがありえるのだろうか? 俺は不思議に思いながらも音楽室に向かった。
第5章 文化祭
11月15日が遂にやってきてしまった。遂に今日が文化祭である。午後の部1番で発表の俺達のバンド「神経衰弱と馬鹿」(お互いのイメージをバンド名にしたらこうなってしまった)の発表があると思うと、そわそわしてしまい、どこかを歩きまわりたい、座っていられないという気持ちになっている間に午前中が過ぎてしまった。午前中何が行われていたのか俺はよく覚えていない。
昼休みが来た。緊張で食欲が全くなかったが、無理やり模擬店で買ったたこ焼きを喉に流し込む。今までの人生でこんなに緊張したことが無かっただけになんだか気持ちが悪い。今までこういう行事はなくなればいいと思って生きてきた。そして今も「舞台に立つなんて嫌だ」と思っている俺がいる。しかし、しかしである。有り得ないことにこの最悪の状況にワクワクしている自分も確かにそこにいるのである。こんな不思議な気持ちもまた、俺にとっては初めてだった。
少し腹が痛くなってきて嫌な予感がしたので一応下痢止めを飲んでおいた。
ー遂にこの時が来てしまった、と体育館の舞台の袖にいる俺は思った。今、「神経衰弱と馬鹿」を、司会のよく見る顔の女子が紹介している。「もうあと数秒か……」と思えば思うほど心臓の音が大きくなる気がした。
そんな中、後ろから「おい」と声がした。振り返ると池田がこっちに手を出していた。「なんだよ! 」と俺が言うと、奴は「決まってるだろ、ハイタッチだよ、ハイタッチ」と言って手をこっちにグイッ差し出した。
そして俺たちはハイタッチをした。どうやら俺は、馬鹿が感染ってしまったらしい。
数秒後、「それでは、『神経衰弱と馬鹿』の発表です、どうぞ」と司会の女子が言い終え、俺達は、舞台の真ん中へゆっくりと歩き出した。
「皆さん、こんにちは。『神経衰弱と馬鹿』です。そんな僕たちが最初に皆さんに送る曲は『Beach Songs』の『地の果てでまた会おう』です。どうぞ」
第6章 阿呆からの電話
文化祭が終わった。俺たち「神経衰弱と馬鹿」のライブは意外にも結構好評だった。まあ、選曲のセンスもあって、観客は男子ばっかりだったが。 何曲も続けて、立ちっぱなしでギターを弾き続けるのは結構大変だったが、不思議と辛くは無かった。
しかし、池田が曲の演奏の間に行ったトークが(原因は俺にもよく分からないが)驚くほどウケなくて、ライブが終わったあとも奴の傷は癒えなかった。そしてやはり、文化祭でも俺が阿呆と会うことは無かった。ーそれから三日後のことだった。池田が文化祭のライブでの盛り上がりで調子に乗って勝手に作った「神経質と馬鹿」の公式ツイッターを観ていた時だった。なんと阿呆から、俺のスマホに電話がかかってきたのである。
文化祭の10日前からも全く会うことがなかった阿呆からの電話に俺は少なからず驚いた。しかし、俺が「もしもし」と応答した瞬間、阿呆が更に衝撃の一言を発した。「お願いだから、助けて」
電話の向こう側にいる彼女は泣いていた。
考えるより先に俺は受話器に向かって、「どうしたんだよ、おい」と叫んでいた。この俺が、いかにもな厄介事に自分から巻き込まれに行くなんて、ちょっとどうかしてる。そんな俺としては意外な対応に彼女は驚いたようで、「なんかあったの」と聞いてきた。声はさっきよりその時だけ少し明るくなった。しかし、「お前には、関係ない。とにかく何があったんだよ」と言うと、さっきまでの声に戻り、そしてこう言った。「この5ヶ月間、何があったのかを話すね」
彼女はことの経緯を、まるで違う奴のように静かに、そして淡々と語り始めた。話の内容は、こうだった。彼女の彼氏である「トキヒラ」(この後は面倒くさいのでTと置く)という男がいる。T は俺たちより1つ年上らしい。そんなT に阿呆は6月の中旬に告白されたらしい。阿呆はOKするか迷ったが、優しそうだったし、何より断る理由も特になかったので付き合ったらしい。考えが浅はかすぎだろ、流石、阿呆である。
ー最初の一ヶ月は楽しい日々が続いたらしい。一緒に映画を観に行ったり、お互いのクラスに遊びに行ったりしていたそうだ。阿呆は、少しヤキモチ焼きなところもあるが、やっぱりT と付き合って良かった、と思ったらしい。聞いていて耳が腐りそうな話だ。しかし、そんな日々は長くは続かなかったようだ。
1ヶ月を過ぎたあたりから徐々に、Tのやきもち焼きが、それでは済まなくなってきたからだ。最初は、休み時間に「俺」に会いに行くな、ぐらいの軽いものだったが、段々エスカレートしていき、俺を避けるようにと命令するようになったかと思うと、休み時間などにクラスメイトの男子と話しているのを見ただけで、人がいなくなった放課後の踊り場に彼女を呼び出し、T はしつこく怒鳴りつけるようになった。夜中にしつこくラインの通知が来たりもしたらしい。更に、事態は悪化し、「今、お前、あいつのこと見てただろ」と言いがかりをつけて、怒鳴りつけた挙句、「死ね」「ゴミが」といった人間性を否定するような罵倒を1時間以上してきたりしたらしい。(どんだけボキャ貧なんだよ、そいつwww )そして、遂にはこの数日、暴力まで振るう様になったらしい。殴られたり、腹を思いっきり蹴られたりしたそうだ。ここまでいくと、聞いていた俺も流石に酷いと言えなくもないなと思えてきた。
しかし、と俺は思った。「しかし、なんでもっと早くそいつと別れなかったんだよ」と俺はそのままの気持ちを阿呆に尋ねた。そして、阿呆から返ってきた答えは意外なものだった。
「・・・・別れたら、學斗君をボコボコにするって」
なんと、俺のせいだった、なんて思わない。無茶くちゃだ。全くなんで俺が巻き込まれる。「そんなのどうせ冗談だろ」と笑い飛ばしたかったが、今までの話を聞く限り、T なら本当にやりかねない話だったので、俺は乾ききった声で
「はは……」と笑っておいた。数秒沈黙が続いた。
「どうしよう」と阿呆は今にも死にそうな声で言った。
「また電話が掛かって来ても面倒だから、念のため明日から朝ぐらいは付いてってやるよ」と俺は答えて電話を切った。第7章 暴走するガリ勉
1週間経った。いつもは阿呆よりも1本早いバスで学校に行っていたが、あの日から、阿呆と同じバスに乗るようになった。前より覇気のない阿呆の隣に座る。
バスを降りたあとも阿呆の制止を無視し、俺は阿呆の3歩くらい後ろを歩き続ける。校舎に入り、阿保の教室の前まで見送りに行く。これ日課になりつつあった。
しかし、俺がこんなに心臓に悪い思いをしているにもているにもかかわらず 、池田のやつは、毎日呑気に昼寝していた。ちなみに今日の奴の寝言は「やめてください、ヤメテクダサイ、僕は山◯賢人ではアリマセン」だった。家に帰る途中、車に轢かれて死ねばいいのに、と俺は思った。
ー何も無いまま3日が経った。今日は朝から異様に晴れ渡っている。俺の心と反対に。
既に習慣となった、阿呆との登校は今日も何事も無く過ぎた。
職員室の前に来て、「あとは真っ直ぐ歩くだけだ。よかった〜、何も起こらなかったぁ〜」と俺が心でスキップを踏んだところで、
一瞬、意識が飛んだ。そのあと、鋭い痛みが後頭部に走った。
後ろを振り返ったら1人のごつい男子がいた。阿呆の怯えきった顔を見る限り、こいつがT だと俺は確信した。奴は「このぉ、バカ女がぁ〜 このたらしが〜」と阿呆に向かって叫んでいた。目は焦点が合っておらず、完全にイッていた。はっとした俺が、「なんで殴るんだよ」と言った瞬間、俺は顔面を殴られて床へ倒れた。「ゴン」という馬鹿みたいに大きな音がなったので職員室から何人か教員が出てきた。気がついたときには俺の手にビッチャリ血がついていた。俺の鼻血だった。 奴は阿呆の顔面を殴ろうとしていた。流石にそれで殴ったら、阿呆の鼻が折れるだろ、と俺は思った。教員達はあまりのことに立ち止まっている。この状況を変えられる のは俺だけだった。
もういいや、放っておくか、という考えが頭をよぎった時、心の何処かで
「この弱虫が」
という声が聞こえた気がした。
「この学校を選んだ理由が家が近いから? いや、違うな。死ぬ気で難しい学校を受験して、失敗して恥をかくのが怖かったからだろ? 入学先で自分がどれだけ努力してもかなわない天才と出会ってしまうのが怖かったからだろ?自分より馬鹿なやつしかいないこの学校で周りを軽蔑しながら生きていたかったんだろ?大体勉強しているのだって、親の期待を裏切るのが怖かっただけだろ? そうやってお前は今まで逃げてきたんだよなあ?このままでいいのかよ!」
俺はハッとした、それは紛れもなく心の中のもう一人の俺の声だった。 そして、それは紛れもなく俺が見て見ぬ振りをして来た真実だった。
ー 気がついたときには俺は力ずくで奴の顔面を殴っていた。ヤツの鼻からゴキッと音がして、奴は鼻血を出した。やっと教員たちが走って来て俺たちを押さえつけた。この瞬間、おとなしくて優等生な俺は音を立てて崩れた。全く、俺は馬鹿が感染ってしまったんだな、と思い、俺は困り果てて笑ってしまった。
エピローグ
結局、俺はT の鼻を骨折させてしまったので1ヶ月の自宅謹慎処分になった。
俺の両親は教員なのだが、あの1件の後、一回だけ学校に両親が呼び出されたので「俺達の顔に泥を塗るな」ど叱られるかと思って、今まで一度も両親に怒られたことのない俺はビクビクしていた。しかし、意外なことに、帰ってきた父親は「全く困ったやつだな」と言った後、笑顔で「よくやった」と言って俺の頭を荒っぽく撫でた。俺はなんだか照れてしまった。その様子を観て母も笑った。なんだか不思議な光景だった。T はと言うと、あの後、あの一件と職員室で事情聴取を受けた阿呆が全てを話したことで、学校を退学になった。
あの一件の後、変わったことが2つあった。一つは今までほぼ一切話したことのなかったクラスメイト全員から、「よくやった」「お前は真の漢だ」といったようなメールが来た(ちなみに勝手に俺のメアドを教えまくったのは池田だ。ちなみに彼からも電話が掛かって来た。奴が「おお〜、元k」といったところで俺は静かに電話を切った)ことで、クラスメイトとの交流ができたことだ。
そして、もう1つはこんなメールが来るたびに、「返信が面倒くさいんだよ、全く」と言いながら、少し照れながらいちいち全部に返信しているこの俺自身だ。そんな俺は今、自宅謹慎中にも関わらず、映画館にいる。阿呆に映画に誘われたからだ。
ー阿呆が来た。2人で映画のチケットを買った後、俺はずっと気になっていたことを聞いてみた。「なんで、あの時、よりにもよって俺に電話してきたんだ? 」
彼女は少し考えた後、「何となくだよ」と言って笑った。メールの返信に喜びを感じたり、勉強時間を削ってまで映画に来て、その上、今の会話に幸福に感じるなんて今までの俺には有り得ないことだった。
「俺も馬鹿になったもんだな」俺は誰にも聞こえないような小さな声でそう言って笑い、阿呆を追って上映室へ歩き始めた。
TRiPRYO 投稿者 | 2017-11-06 06:17
ハッピーな気持ちになりました
永夜 はまか 投稿者 | 2017-11-11 22:00
コメントありがとうございます!
そう言っていただけると幸いです