毅は柵の中で目を覚ましブオンブオンと鳴る換気扇の音をただただ聞いていた。
この音色はいつも聞き慣れていた音だった。昼寝の微睡みのうちにだ。溶け込んでいく音だ。サーキュレーターから轟々と響くファンの音が不安と安心感を螺旋状に掻き立てていく。僕はいつの間にか牛になって飼われていることに特に違和感を感じない。これは僕の望んだことだから、と彼は思い藁の上でひと眠りする。 軽い運動ののち長い長い眠りは毅の安息だ。昔は転寝なんて逃避行動だった。そうせざるを得なかった。でも本当は誰よりも騒ぎたくて、誰よりも自分を見てほしくて、思い返すたびにだ。いつもはしゃいでいた。
思春期の頃は電車の中で無邪気に自己アピールに励み「俺さ、とにかくビッグになるからさ…」なんて言って。何のビッグかはさておき、電車で誰かれ構わず絡んでいた。同級生に、幼なじみのオンナに、知らない仕事帰りのおっさんに。みんな誰ひとりとしてまともにかまわってもらえない。
いつも電車を降りれば結局ひとりで、ひとりぼっちでガタンゴトン…と走り去っていく電車に向かって鼻にぶら下げたピアスをフンと振り上げ威嚇して、結局誰もかまってもらえやしないからそっぽ向いて帰るぐらいしか出来なくて、電車降りてそこから車の運転にしたって運転なんて恥ずかしい話よくわからないし、じゃあ免許取りに行くかってそんなの取れるかもわからないし、そんな頭も正直あるかわからないし、そんな金稼げるかどうかもわからないし、結局今日もふて寝するしかないし。孤独が弧を描いて毒を撒き散らしているよな、そんな感じを繰り返していた。
毅は家に帰り着くと適当に靴を脱ぎ散らかし、着替えもしないままコンビニで買ったハンバーガーを取り出し一口咥え適当に雑魚寝する。彼の胃はそれ以外受け付けない。ひとりぼっちの部屋の中でテレビは付けたまま。何か変化があればと思うけれど、彼はそんなものを願うなら寝ているうちにと思っている。諦めにいこう、と虹が随分と小汚く描かれた錆びた鉄橋の上から何度思ったろう。
——見てみて、これ牛さん、だなんて折り紙に折ってママに何度エゴを強請ったろう?
それはそんなにいけなかっただろうか? 人から牛になってしまうなんて、夢から現へと誘われる眠りは浅いものだった。
毅が違う何かになりたいなんて願うのはそれが最初で最後だった。
目覚めたら牛だった、なんて。おなじ「たけし」なんて呼び名だけれどある時は「4129」なんて番号になる。そんなことを夢想していたらまことの話になるなんて。今までになかったことをもうひとつ上げるとしたら、毅は父親の見つめる目を知らなかった。呼びかける声の野太さと自分だけに何でそんなにムキになるのかと思うよな熱のこもり方を知らなかった。父親の叱りをまともに受けたことが彼にはなかった。
「バカタレ、どこほっつき歩いてたんだ! こんだけ探してやっと見つけたんだぞ、たけし!」
——探した? 俺を?
毅は怪訝に思いながら尋ねようにもにも嘶くことしか出来ない。既に牛だから当然だ。
「たけし、なあ。お前明日大事な品評会なんだ。そんな時に迷子になるとかどういう神経してるんだ?」
お父さん、とやらは毅の首根っこを力強く羽交い締めし説き伏せるようにして耳元でがなり付ける。その声の大きさたるや傍目からは怒号としか形容し難いものであるが。ただねえ、それが毅には何か父親を知らない彼には強さと熱さが混じっていて、良いと感じたのは確かだ。毅はいつの間にか牛となったことを嬉しく感じ、自分がなぜ牛となったかなんて尋ねることもしなかった。どのみちできなかった。牛だもの。
「お前はうちでようやく仕上がった特上の作品だ。明日お前の名前が読み上げられんのが楽しみで仕方ねえんだ。仏壇の母ちゃんにも一言添えとかねえとな」
そう言ってお父さんはにっこり笑い「なまんだぶ、なまんだぶ」と唱える。
——なんだのんきなものだ、と毅は思う。
ここのお母さんは仏壇の中にいる。牛舎から居間までそう距離はない。居間のテレビは付けっぱなしのままだった。自分の部屋と同じようでいて。毅はふと自分の母親のことを巡らせた。毅の母親は毅のことをまともに向き合ってくれない人だった。
毅は産んだ母のことを「ママ」と呼んでいた。ケータイを片時たりとも手離さない人だった。焼き付いているのはいつも幼い頃のことばかりだ。一緒に走って遊ぼうって言っても知らんぷりで、誰かの読んでいた絵本や誰かの遊んでいたおもちゃを奪っても知らんぷり。「あ、そう」の一言で終わってしまう。
(あのケータイには何か素敵な事が見えるのかな?)
ママもきっと自分が嫌いで嫌いで生まれ変わりたくて、でもあんまりにも太っちょでそれが出来ないから毅がある日「一緒に走ろう」って言ったら、思い切りぶん殴られて、引きずり回されて連れ帰られた挙句部屋に閉じ込められたこともあった。
どんなに声高に「話聞いてよママ。こっち向いてよママ」こんなに呼びかけたって毅の母親は彼に無関心なままだった。ときに目を剥き出し訴えたけど、彼女はいつもいつもケータイに夢中で。子どもホールに毎日毎日通っていても、ひとりポツンとウレタンマットの上に放り出されていて。野原に一匹放逐された牛にしたって牧草を慕うのに。慕うもの求めてママにすがりたいのにママはケータイのアイコンをカチャカチャ弄ってばかり。聖像(イコン)はママに啓示をくれた? 彼とママの間に遺恨は残るばかりで。公共の場で誰かが咎めるわけでもない。そこに聖人君子がいて「ちょっといい加減お子さんを見てやったらいかがです?」なんて言う人がいたら毅の運命は変わっただろうか? 毅のママは涙を流してその人に感謝を述べただろうか? いいや違うだろう。
「あんたみたいなのがいるからわたしは幸せになれないんだ」って食って掛かって不幸せを撒き散らし延々と絡んでしまったことを後悔させるだけで。「だからね、言おうとしてもどうしようももなくて…」と言うものなら、出禁なりして子どもホールに入れないのが得策なのだ。苛立つならこのママからケータイを取り上げてしまえば良いのだ。あわよくば生きる呼吸を奪えば良いのだ。何もかもだ、させないようにすればいい。怒るなら時に起こしてしまわねば何も始まらない。それにしてもどいつもこいつもまあ縋る縋る。「あれまあ…言おうにもねえ…何とか言ってもらえませんかねえ」って。言い聞かせの掲示物ばかり増やして効きもしない厄除けが精一杯で。
毅は小学校に入学するころ給食をよく残した。偏食気味で特に嫌ったのが野菜だった。食べきらないと机ごと給食の残りをぶちまけクラスメイトにぶつけることがあり度々問題になった。学校の先生に呼び出され「一度病院に診てもらっては…」なんてことを勧められ、予約を待つこと3ヶ月。
待合室で待ちぼうけして、毅は一度きりだけど母親と『先生』を訪ねた。『生きる資格』は何ですかね、と四角を見つめて死角を探す。いつも刺客ばかり現れて追い詰められてく日々だった。追いかけっこが追い詰められる側になり、それが終わると追いかける側になった。
変だな、という存在で浮いてきた時まずいじめられる側となった。毅は蝿のように扱われた。便所に逃げ込むこともしばしばで、トイレ洗剤で髪の毛をシャンプーされたこともあったな、なんて思い出したりして。でもいじめを無くすなんて簡単だ。吠え続ければいい。毅の場合はいじめた相手を不意打ちで硝子に突っ込ませ、頭に12針縫わせるほどの大怪我を負わせた。それを見て怯まずに笑い続けていた。
「お前がしたから俺もしたんだ! ざまあみろバカバーカ!」。
ただ毅の引き起こしたそれは当然リスクも大きくて、吠え続ければ周りに誰も寄って来なくなる。なんとなく寄ってくるのはなんとなく興味本位でキラキラしてるからだとか、ギラギラしてるからだとか、変だからだとか、そういうことで、いなくなればあっという間に忘れてしまえる。そういうものだ。脂が滴る良い肉のように「溶けて消えちゃう」感じでするりあっという間に。
良い肉が良い餌で育っているかと言えばそういうわけじゃない。酒は飲むし、タバコも吸い、時にまがい物も口にする。毅はいつもコンビニのハンバーガーでやり過ごされてた。幸せになれるようなマスコットがおまけが付いてくるようにファストフードでも、なんてこともなかった。
紛い物に紛い物を重ねるよな、いつかはもどかしさがなくなるよね僕らは、と希いながら、決して手が繋がれることなくて。母と子は突き放し合いながら「何でお前なんかと!」ということを確認しあっていく。いい歳を重ねた具合にお互いに悟っていった。この社会とやらは、ママときたら、どんな場所でも辛辣で、こんなヤツがいるから、何があるから目に映る何がウザいだの社会で生きる価値なしだの一点張りで。そして自分が最も価値が無いんだと、どうしたら自分は価値がある人間になれますか、と縋るばかりで。
そんなに捨てられたことが嫌なことですか? 廃棄されたことはそれは厭でしょう? 掃いて捨てるほど物は溢れているし目に飛び込んで来ない出来事なんて世の中に溢れかえっている。どんな悲劇も簡単に忘れ去られるし、例えば人殺しもいつの間にか忘れ去られ一度罪を消せばまた社会に紛れ込める。詐欺師だって簡単に社会に舞い戻れる。毅は素直に思うがまま純真で無垢なままにやっていたことなのに、結局打ち捨てられたままこの立ち上がれないままの純粋な悲しみや落ち込みのところから来るやるせない気持ちの歪さを質してくれる人がなく、毅はもどかしくもヒトモドキのまま成長してしまった。
狭い部屋の中でたまに会う母と罵り合う度彼は思う。
——ああそうか、この顔は結局捨てた男の顔だから、いがみ合って当然だ、と。
牛の姿になった毅はすっかり温まった藁の上でうたた寝しながらどの部分が一番美味かろうか、ふと考える。食べられたらただの肉だしその時僕はもう「いないもの」だ。ただなんとなく「ハンバーガー」は嫌だった。良いことを運んでこない気がした。たくさん作られてたくさん捨てられて、それで終わり。誰かの幸せを充たすのならそれで良いのかもしれないけれど誰かの腹を壊して不幸を運ぶのかもしれない。やっぱり大きな幸せを運ぶのなら、大きな目標を持つに限る。だから、高い志が必要だと考える。ないないないない、なんて言いながらいまだ根強く根深く穢れ信仰が深く強く残るこの国では特にそう。
毅が牛になったのも、少しお察し戴けただろうか?
眠りのときだけは、枷が外れた気がして柵の中にいることも忘れこのまま人の感性を忘れてしまおうか、そう願ってやまない。明日競り場でランク付けされる、A評価を受け召される。それで素敵な結末を迎えよう。そうだ。明日は品評会、牛になってよかった。良い牛になって、食べられて幸せに死ねる。人を満足にできたらどんなに良いだろう…と。
——人間やるなんて、もうたくさんだ。
目が覚めて翌日、毅の終焉を一変する事態が巻き起こる。一向に呼ばれない毅はずっと釘が刺さったバットを眺め柵の中で少しでも美味い肉になることをを願っている。なのにだ。
(まったく僕はどうして生まれたのか…。僕はこの怒りをどこに振り下ろせば良いのだろうか? 思い出すだけ嫌いな顔、嫌いな手、嫌いな魂…生まれ変わりなんて信じないし有り得ない。)
県知事さんと、大臣さんとお父さんの口論を見ながら一時そんなことを胸に秘め小さく嘶いた。
——僕のことを愛おしそうにみつめてくれたお父さん。一生懸命に育んでくれたんだろうにな。
「…どうして殺処分に応じてくれないんです? 是正指示に従わないのなら、移動制限解除は出来ない。あんたのところだけだよ? あんたのそれを殺せばみんなが幸せになる。国益を損ねるんだよあんたんとこの牛は」
「しかし蒼崎さん。うちのを殺したところで何の意味もない」
「…国のためにならないんだよ。みんなのために死んでくれ。口蹄疫かもしれない以上むやみに残すなんて考えちゃいけないんだ。早く殺しちゃいなよ。欠陥品は、生まれ変わっても欠陥が遺伝するんだから」
「待ってくれ、陽性と出たわけじゃないのに殺せだなんて…」
蒼崎さんと名乗る、聞き耳を立てれば農水大臣らしい偉い人は「だから早く殺しちゃえって言ったのに…」と毅に冷淡に言い放ちその場を後にする。
毅が殺されたらこの街から、この県から種牛が居なくなりようやく作り上げたブランドが喪われてしまう。長い長い時間をかけて作られたものがあっという間に喪われてしまう。
きっかけは国の対応が遅れたことから始まった。最初の感染例が確認された時に県の陳情に対し、議員の陳情に対し、もっと早く政府が対処してくれたら。三三九度あげていた知事の願いを首相や農水大臣のお歴々が素直に聞き入れてくれたら。「どうせ協力したところで見返りがあまりない件だからあそこは放っておこう」と外遊に奔走していなければ、ようやく帰ってきたところで既に犠牲となった牛は10万頭にも達し、二時間ちょっとの滞在で「行ってみたよ、言ってみたよ」とマスコミにアピールするだけの張り出し顔でマスコミも国民も釣られて騙され風評被害にさらされて今日もみんな体裁の良い肉ばかりを買い漁る。誰が何を言って、何を仕出かしてここまでのことにしてしまったのか、いまさら振り返ってももらえない。
毅はおのれを責めた。結局のところ魂というか、頭というべきか、思考というべきか、欠陥はついて回り誰や彼やにご迷惑をおかけして、怒りを思い起こさせる。今度生まれるとするなら僕は硬い石となりずっと黙って過ごしていたい。特段なれないわけはないだろう、と思った。結局こういうことは親から子に子から孫に何かしらで遺伝していくものだから、食べても感染ったりはしないけれども穢れは穢れだ。だから黙って石になりたいと願う『国の意思』に沿うというより、せめて僕は僕の意志に添いたい。
——大臣さん、あんた簡単に消えろなんて言うけれど、あんたあんなに盛んに感染のおそれがある牛なんて入れておいて、病気感染拡大してる間は外遊ばかりで話も聞いてくれなくて、やっと来てくれたら「だから早く殺しちゃえって言ったのに…」だと?
お父さんは、隣で農水大臣の最終通告を聴き怒りに打ち震えていた県知事さんに向かって、「知事さん、あんたはこの先知事を辞めてもずっとこの事だけは、大臣さん方に、生き残った国民にずっとずっと、喋り続けてくれよな」そう告げると毅を伴い牛舎へと向かう。茶の間には白い便箋が置いてあり中には手紙が認めてあった。お父さんの字はとても丁寧で、昨日から覚悟していたんだろう。ゆっくり時間をかけて一切迷いなく書き連ねてあった。
私はね、たけしと生まれ変わりを信じます。埋もれちまう悲しみはこれっきりにして欲しいので。骨はたけしと埋めてください。手間をかけますね。
私はね、たけしがいたから、孫にお年玉もあげられたし盆も正月も迎えられた。でももうそれが出来なくなってしまった。
どうか、どうかお元気で。
お父さんはこの後、毅にとびきり美味しいご飯を作ってくれた。銀のさらに盛られたそれは初めて食べる味でなんとも表現しがたい夢心地だった。ブラッシングは全身がキュッと締まっていく感じがありとてもこの身が軽くなった感じがして、最後に乳房を綺麗に拭われていったところで身体が徐々に徐々に重くなり眠気がまぶたを覆い、やがて倒れ込むようにして息絶えていく。
——ああ純粋とは、人にこんなにも嘲りを受けるなんて。(了)
藤城孝輔 投稿者 | 2017-06-16 23:58
主人公の自己憐憫と自己陶酔が真夜中に何かの勢いで書いたポエムのような文体でいきいきと綴られている。ただ、肝心のストーリーが伝わりにくく、主人公と他の登場人物の関係がもやっとしている。特に手紙が唐突に出てくるくだりでは、誰が書いた手紙なのかよく分からなかった。せっかく三人称を用いているのだから、主人公の心情をシニカルに突き放す客観的な視点があればいいと思う。
語句の反復や言いさし文、語呂合わせを多用した興味深い文体ではあるが、読み進めるにつれて次第に鼻についた。表現ばかりが上滑りしている印象を受けた。
@13KID 投稿者 | 2017-06-17 00:25
藤城孝輔様
お読み戴きましてありがとうございます。
貴重なご指摘も戴き参考になるばかりです。再度推敲し、より伝わる形で仕上げてまいります。
退会したユーザー ゲスト | 2017-06-18 07:06
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@13KID 投稿者 | 2017-06-22 23:58
瀧上ルーシー様
お読みいただきありがとうございます。
わかりにくい点があった部分を反省し、ヴァージョンアップに努めていきたいと思います。ありがとうございます。
Juan.B 編集者 | 2017-06-22 18:13
テーマには意欲的に取り組めていると思うが、後半になるにつれ、視点がぼやけてくる。「家畜」が置いてけぼりとも言える。それも家畜らしいと言えばそうかも知れないが、読む側としては勢いに頼りがちになる。(俺も反省)
@13KID 投稿者 | 2017-06-23 00:09
Juan.B様
お読みいただきありがとうございます。
後半の唐突さ、視点の曖昧さは反省材料と言えます。ここをもう少し熟慮し仕上げてまいります。
重ねて感謝申し上げます。
みゆ 投稿者 | 2017-06-23 00:42
こんにちは。みゆと申します。よろしくお願いします。
筋が錯綜していて、よく理解できませんでした。かなり混乱した心情を扱っておられるようなので、あえてそうしているのかな。
実家や学校という環境がもはや自分には遠く、心理的距離もあってあまり感情移入できませんでした。
ところどころに出てくる言葉遊び(しき、で繋がる流れとか) やカットアップのセンスがおありになると思いますので、それを使った軽い作品を読んでみたいです。
生意気言いました。読ませていただき、ありがとうございました。
@13KID 投稿者 | 2017-06-24 23:21
みゆ様
一本筋で書いた物語をバラバラに壊してブロックごとに配置し直しながら混乱の様相を描いてみました。アナグラムを盛り込んだり色々試行錯誤が行き過ぎた衒いがあったかもです。
お読みいただきありがとうございます。