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あ、日本の詩人だ、石を投げろ

礼 室町

ほぼ実話です。

小説

3,122文字

谷町筋にある「大阪文学学校」というところへ詩を習いに

いったのは三十をこえてからのことだった。

1997年初夏のことである。

新谷町第一ビルの扉を開いて中に入ると三十前後の美人 が

ちょうど奥から出てきたばかりだった。

「すみません。大阪文学学校は何階にあるのでしょうか」

と低姿勢でたずねると その女はこちらを険しく睨んだだけ

で、まったく返事も しないで階段を上っていった。

(なんだ、ありゃ)美人とはいえ険のある顔つきをしていた。

人がお辞儀をしてものを訪ねているのに無視するなど

そんな人物にお目にかかったことはかつて一度もなかった。

大阪にはめずらしい人がいるものだと思った。

汗をかいて探し回り、ようやく教室を訪ね当てて中に入って

みると、新入生の歓迎会のようなものはもう始まっており、

先輩の学生(といっても多くは社会人だが)が座る席に先ほ

どの女がいた。 女は、Aという、豊川悦司そっくりな美男子

の腕に抱きつく ように身を寄せて座り、こちらを不愉快な目

つきで見ている。 この女も詩を書いているの!?

驚くべき人格だと思った。そんな性格でどんな詩が書けるの

か。 そもそも初対面だろ!? なんでおれがお前に睨まれな

きゃならんの と不快を覚えた。 これが最初のパンチだった。

この女に限らず大阪文学学校では苦々しい思いをさせられた

女が 次々と現れてくるのである。

朝から晩まで死にたい、自殺したい、リストカットしたいと

吠え まくる女がいた。 わたし

も腫れ物をさわるように丁寧に扱ったつもりだった。 ぼん

やりしているわたしのことだから気がつかなかったが、私

の クラスの講師だった哲学者で詩人の細見和之がその女に

眉をひそめて 注意したことがある。実作詩の朗読中のこと

である。あとで細見 から聴いたところによれば わたしを迂

遠にデスる詩をかいていたという! まさか気がつか なか

った。 それもわたしの身体的欠陥をデスる詩を。それに気

がついて細見は 厳しく注意をしたのだという。 あの女、い

つから死ぬ死ぬっていう詩ばかり書いてるんですか。 尋ね

ると、 ああいう女に限って長生きするんだよ。ヒゲをこす

りながら細見は 薄笑いを浮かべた。それを聞いてほっと安

心すると同時に、 世間知らずで人の好い自分に少なからず

落胆した。 詩人なんて容易な連中じゃないぞと思った。

ほかにもこういう女がいた。 入学して三月ほどすると秋期の

新入生が入ってきた。 その中に光がさすような可愛い女の

子がいた。講師の細見までが 講習のあとその子を呼んで屋

上に通じる人の来ない階段に腰掛けながらいろいろと相談

に のってやっていた。 その女の子と廊下で出会ったことが

ある。わたしは教室から出て帰る ところだったが、その愛

らしい新入生の子は夜間生でこれから教室に向かうと ころ

だった。 その女の子がすれ違いざま、いきなり年長のわた

しの前に立ちはだか った。 「おい、なぜ口を利かない、挨

拶くらいしろ!」 と恫喝したのである。晴天の霹靂だった。

まさかズベ公でもあるまいに

なんでおれがこんなヤクザみたいな言葉を受けなければな

らんのだ。 女の子はドスを利かせてそういうと、呆気にと

られて立ちすくんでいる わたしを置いて、何事もなかった

ようにすまして教室に消えていった。

 ったく、詩人め。

その後、わたしは事あるごとに女の子からイジメを受けて

いた。ある女の子からは飛び蹴りを食らったこともある。

どうもわたしは女からみてイジメの対象にしやすいようだった。

わたしは内心腹を立てているのだが、相手が女だから顔に出

すことは しなかった。女たちはわたしがマゾだとでも思っ

ていたのだろうか。 そういうことを繰り返すうちにわたしは、

詩人ってのは下手するとロクでも ないやつらの集まりかも

しれないという仮説を抱くようになった。 詩の教室はレベ

ルによってわけられ3つほどあった。 生徒は全員で50名

ほどいたかもしれない。あるとき合同で飲み会があった。

そのとき集まった男たちの顔をみてわたしはうんざりした。

悪相ばかりなのである。映画でいえば詐欺師やヤクザしか

つとまらないような 険悪な人相の連中ばかりだった。 しか

もその中の一人はオウム真理教の信者で山口組の構成員だ

という。全身に入れ墨 を入れていた。講師の細見和之など

はその男にすり寄り「ぼくのボディガードに なってくれな

いかな」などと真面目な表情で囁いていた。 そしてそうい

う悪相の自称詩人が例の死ぬ死ぬ女や意地悪女と高邁な詩

論を戦わせ ているのである。それをみて、わたしはうんざ

りしてしまった。 ああ、もう詩はいやだ。詩人にだけは会

いたくない。そう思った。 今思い出したが、詩の本が一冊

欲しくなりジュンク堂難波店に行ったことがある。 谷川俊

太郎の詩集ばかりが並べられていた。その一冊を手にとった

わたしは飛び退いた。 あやうく詩集を落としそうになった。

表紙一面に谷川の顔写真がモノクロで 印刷されており、そ

の丸坊主の顔が凶悪な殺人犯のようにしか見えなかったから

だ。こんな顔で詩を?

いったいどうなってるのか? この国の詩壇は──。

(まあ、さすがに顔に責任はないのですがね)

 

わたしが大阪文学学校で結局仲良くなったのは、例の意地悪

な女が抱きつくように していた豊川悦司そっくりのAだけだ

った。 Aは男前だけでなく自分で小さな会社も経営しており、

またH氏や中也賞の候補に もあがるなど、詩壇では名のある

中堅の書き手だった。 わたしたちは授業が終わると一緒にな

って裏手の立ち飲み屋で酒を汲み交わした。 Aは文学学校の

女性受講者たちの人気者で、ダンスもやるし語学もプログラ

ミング も得意だった。また、 立ち振舞も優雅だった。そのA

がいつもわたしと連れ合っていることに、件の女が ヒステリー

を起こしていた。 わたしが教室に入っていくだけでヒスを起

こして「ガタン」と音を立てて立ち上がり 教室から出ていく

のである。 わたしには同性愛の趣味も傾向も皆目なかったが、

なぜかAとは気があった。 Aとの間で互いに詩ってものが持つ

「ほんとうのほんとう」については了解しあって いたつもり

だった。 それだけが二人のあいだをとりもつものだとおもって

いた。 知らなかったのだが、後日、Aはフィリピンで男性器

摘出手術を受けて女性 になってしまった。わたしはAがそんな

ことで苦しんでいるとはつゆ知らなかった。 長い間、性自認

と身体性の違いに苦しんでいたようだった。 ある日、二人で

ミナミの酒場に飲みに出かけて、Aがテーブルにうつぶしてし

まったこと がある。わたしはバーのママに彼を起こさないで

といって先に帰った。 そのあと、目が覚めたAはわたしが居な

いことを知ると大暴れしたという。 それきりAとは会ってい

ない。 今から思うと、わたしは大阪文学学校の連中にいつも

殴られていた。 一番酷い目にあったのは、玄月という在日の

男が芥川賞をとったときである。 北朝鮮人が経営する鶴橋の

料亭で祝賀会があり、文学学校の校長で 詩壇の重鎮である長谷川

龍生以下、 金達寿、金時鐘、金石範という大物在日文学者も

顔をみせていた。 わたしがその席で乱れたのは、 件のヒステ

リックな女が玄月の横にぴったり座って恋人のように振る舞っ

て いたからだった。ろくでもない意味不明な詩しか書けにくせ

に! もうAから玄月に乗り換えてやがる! わたしはその席で徹底

的に玄月の幼稚な小説をこき下ろした。たちまち、 料亭の二

階座敷は乱闘の場になり、孤立無援、わたしは全員から袋叩き

にあって 二階の階段からつき落とされた。 よくまあ救急車が

こなかったものだと思う。身体中打撲だらけで鼻血を出して と

ぼとぼと歩いて家に帰ったのを覚えている。

結局わたしは三学期の終了を待たずして二年半で大阪文学学校

を放り出された。 今から思うと殴られっぱなしの日々だった。

© 2026 礼 室町 ( 2026年1月25日公開

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