アポクリファ

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数日前、ヨハネはドゥームにいた。 球形に削り取ったドゥームの天井には、けっして交差することのない、不思議な格子（グリッド）が張りめぐらされている。それは雨上がりの蜘蛛の巣のように光っていた。遠近感が狂うのか、思わず宙をかき回さずにはいられなくなる風景。 巨大な空間の中央には小さな突起。近づくにつれ、しだいに大きな構造物になっていく。それは回転している透視図形の多角立方体だった。グリッド上には次々と次の次元が現れる。この不思議なビューワーを考え出した男は偉大だ。そして狂っている。 長雨がグリッドにそって降りつづく。 そこは広く、しかしにぎわいはなく、ひっそりとしていた。 物語は破片となって、砂漠の砂のようにちりぢりに風に飛ばされていった。 雨に打たれながら、その小さな断片を拾い集める。 寂しい文字で「 Aリス」と書いてあった。

「アリスをさがせ」頭の中に言葉が響いた。こうしてヨハネはドゥームを後にした。 崖にはさまれた地、絶壁のはるか上方から、ミルク色のもやが流れこんでくるせまい空間が開けた。このあたりの密度が異様に濃いのは、もやのせいだ。あらゆるもやは、山肌をなで、ここに集まり、そしてとどまる。 ヨハネは、口をあけ底のぬけた嚢の気分にひたっていた。 あれは、そうだ、「宙吊りの」、「ひどくやるせない」、「遅れつづけている差延の彼方」ではなかったか。これらの言葉が、つなぎとめようとして、同時に突き放そうとしているもの。ヨハネは運命的な少女の時刻にいた。そこにはたくさんの宙吊りにされたアリスの物語があった。ヨハネは結晶する前のアリスを知っていたような心地がした。 確かに長旅の途上、少女はどこにでもいた。しかしどこでもみつからなかった。途方もなく遠く、さびしい、宙ぶらりんの旅。新しい日記帳は白紙のまま。（ヨハネとイエスの出会い挿入） 予言屋・ヨハネは新しい街に落ち着いた。 「新しい魔地に堕ちついたんだよな。」

第一日目、天の大門からの使者が来て笑った。 ヨハネは顔を紅くしてうつむいた。何も言えなかった。

桄二日目。 ヨハネが新しい日記帳を開いていると、戸口に立つものがいる。入って来るでもなく、ただ無言で柱によりかかっているので、声をかけた。 「だれ。」「イエスだよ。」 ヨハネはあわてて近寄って言った。「どうした、しばらく顔を見ないと思ったが。」「しんどかったなぁ。」と、イエスはあくびをして目をこすった。「どこへいっていたんだ。」「うん、ちょっと荒野に行ってた。」「ずっとか。」「ずっとだ。40日くらいかなぁ。」 ヨハネはぎょっとした。 「すごいな・・・それは」ヨハネはナルド印の香油でイエスの足を洗ってやった。「ベルゼブルが山ほどハエをつれて来てさ。わんわん五月蝿いのなんの。あれ、1レギオンはいたね」「す、すごいな・・・」「うん。だから、ちょっと眠らせて」そう言うと、イエスは香油に足をつっこんだまま横になって眠りに落ちた。 ヨハネはペンを執り、新しい日記帳の一ページ目を書きはじめた。

三日目。午前11時。「ペテロ君、元気」「先生。めずらしいですね、こんな時間に」「魚でも食べに行かない」 バー『ゲヘナ（地獄）』は混んでいて、マンドラゴラの臭いがした。 三人は人をかき分け、店の隅のテーブルに陣取った。「酒。 インの新酒あるかな。」「おれ、魚ね。油で揚げたやつがいい。」 「はいはい。わたしはパンと、豆のスープにしましょう。」 ペテロがてきぱきと店の娘に注文をするのを見ながら、イエスとヤコブがささやき合った。 「先生、新入りの娘みたいですぜ」 「あ、そう」 「年の頃は十五六、いやもうちょっといってるもしれん。先生、どうです、ひとつかけませんか。」 「おれには悪鬼が化けているように見えるぞ」 「ちぇっ、それじゃあ賭けになりませんぜ」 ペテロが気づいてヤコブを叱る。 「不謹慎ですよ。」 「おまえ、いくつと見る」 「知りません」 ワインが運ばれてきて、三人は杯をかわした。 「わるい。1コドラントもないや。」「いいですよ、
別に。」「おれも1アサリオンしかないぞ」「わたし、100デナリありますから」「まあ、いいよ」「何がいいんですか。わたし、払ってきますので」「おまえはそれで羊でも買っておけ」と、イエスは言うと、テーブルにこぼれていたパンくずを両手で集めて、店の主人に渡した。「何ですか、それ」すっかり酔いがまわったヤコブが笑った。

午後3時。 田舎道を逍遥していたイエスたちが、ふらふらと現れた男たちによって行く手をさえぎられた ﾐB 「ここは通すわけにゃあ、いかんでの。」「あんたらすごい臭いだね」「ああ、長らく土の中でやってたもんだで。」「ガダラの豚ね。」イエスはさっと手を振るような仕草をした。するとプニューマが変わって、もはや臭いはしなくなっていた。「わしらトラウマに悩まされておってのう。」「トラウマって何だっけ。」とイエスが弟子たちに聞く。「えっ。なんでしょうか。」アンデレもペテロもわからない。ヤコブが鼻をひくつかせて言う。「プネウマだったらおれ知ってるけど。」「ああ、それならわたしも知ってます。」「知ってる知ってる。おれも昔、2頭ばかり飼ってたよ」 皆がイエスの顔を見た。

午後4時。 石畳の坂道で、イエスと、ヨハネと、ナタナエルが、ピリポに出くわした。「ピリポ、どこへいくの」 「シオンまで、ちょっと人形を取りに行くんだ」「どこ、それ」「角の人形屋」「ああ、あの娘のいる店ね」「見た見た、刺青の娘な」「刺青なんかありましたか」「あるよ、二の腕のうらがわ」ピーン、と街頭の台座の時計が時刻をはじいた。『ニノウデ・・・』ヨハネはイエスの言葉を反芻した。 『ニノウデの、ウラガワ・・ ﾟE?』言葉の余韻が耳にしみついて残った。

要は人形屋という場末のクローン店の話だ。「正確に言うとクローン屋と人形屋は違うんだよ」人形の引き取りの待ち時間に、ピリポが言う。「人形屋は、ナノマシンを使ってたんぱく質合成から細胞分割まで疑似的に発現させて擬体を作っている。だから合法。クローン屋は、遺伝子レベルの生化学反応操作で人を作る。極端な話、便所で拾った髪の毛とか、風呂屋の垢からでも人を再生しちまう。だから非合法。当然、商売も闇市場ばかり。街に店を出しているのはだから健全な人形屋だけさ」ポーン、と呼び出しのベルが鳴り、人形が店の奥から出てくる。 全身を厚手のビニールにつつまれ、まるで大きな贈り物のような包装だ。タグの番号を店の親爺が確認して言う。「お待たせ。中身確認してくれる」「だいじょうぶだと思うよ」ピリポが、人形のまわりを歩きながら言う。「ええと、初期化処理はすんでるけど、刷り込みしておかなくてよかったんだよね「ああ、自分でやるから。持ち主認識だけしてくれたでしょ。それでいい。袋、やぶってくれる」イエスとナタナエルは、ビリビリと人形のビニールをやぶった。「どうすんの、 #ｱれ」「おぶっていくよ」ピリポは抜け殻のような人形を器用に背負った。三人は、白い歩道をのろのろ歩いた。溶けかけた夕陽が、三人の影を長々と道に落としている。 石でできた古い橋を渡っているとき、イエスがふと下に目をやると、同じように白い人形をおぶって、のろのろと道を歩く者たちの長い影が、いくつものびているのが見えた。「いけね。刺青の娘、見そこなった」 同じ時刻。ヨハネは家にいて、日記に書いた一行を見つめていた。「ニノウデ・・・ウラガワ・・・」

4日目。午後2時。イエスはノアの工房にふらりとやって来た。 太い木材で支えられた、建造中の巨大な舟があり、その真下に隠れるように小屋が建っている。小屋の中の部屋には、設計図やさまざまな工具、作りかけの部品などが散らばっていた。「ひでぇ臭いだな」「油の臭いだろ。支えの木枠にたっぷりしみこませているからな。そうしないと、完成してからカタパルトまで舟が動かせなく Mなっちまうからな」「へぇ、いろいろ大変なんだな」イエスがものめずらしそうにあたりをながめまわして言う。「舟、いつできるの」「終末までにはでき上がってないと話にならんからな」「今週の?」「さあな。すぐと言えばすぐ。先と言えば、まだまだ先。それにしてもお前さん、ずいぶん余裕があるの。」「そう?」「そうとも。でも、気をつけておいたほうがいい。わしは人の口の端にのぼるようなことに興味はないが、この頃は何やら不穏な風が吹いているようだからの」「おれ? おれのこと?」ノアは無言で落ちている図面をひろいあげると、三角定規をすばやく合わせて、ザッと線を引いた。ゆったりした袖がまくれ、二の腕の筋肉がのぞいた。 遠くで街の鐘が、一つ鳴った。

10日目。午前7時。「おまえ、イエスか」「そうだよ」「ピラトがおまえを呼ばわっている。来い」見ると、横向きの官吏たちが城へと一列に並んでいる。おそろしい数の整列だった。

（プライトリオン（総督官舎）の戦い挿入）Z N DSET 2H 9ﾀ ｼ ｬ 6 * eDSET N 2H 杭 <猊 9 ｼ
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