そういうことには特に興味がないのかと思っていた。短絡的でずいぶんと都合のいい考えだ。数えられる最初のつみ。一。
「先生、これわかんないんですけど」
言ったあと、「わかんないんだけど」と言い直す。バイトのカテキョ相手に丁寧になんてしゃべってやんない、という意思をわざわざ表現してくるあたりに、根っこの真面目さがにじむ。
出会った頃の麻衣は高校生で、学校や親に怒られないのか心配になる程度に明るい髪色をしていた。もともと大きい目をくっきりと縁取るまつげ、を、伏せてノートに数式を書き込む。まつげはななめに格子状になっていて、そこにちいさな菱形がたくさんあることにおれは不思議を感じていた。なんだろう。じっと観察してしまう。それは捕まえた昆虫をしげしげと眺めるのと同じ行為だ。手足に細かくびっしり生えた感覚毛は、外界の振動や風を感じ取る。ああいった類のものだろうか、と思っていると目尻の方が皮膚から少し浮き上がっているのが見えた。黒く細い線が目の端から分離していく。
「あ」
まばたきをする筋肉の動きで、それははらりと頬に落ちた。片方だけ素に戻った目。あのとき、はじめてちゃんと麻衣の顔が見えた気がした。麻衣は隠していたのに、だ。
再会は十年後だった。すっかりとおとなになって見えた。この、おとなというのは何なのか。たとえていえばむきだしの凹凸が消えた様子、厚みがとれた様子、銀の薄いスパチュラでファンデーションを均一に乗せきるようななめらかさ、それだっておれの年齢ともなればまた溝が深くなるのだ、ろうたけた美人、などそうそうお目にかかれるものではない。
「先生?」
塗り重ねたメイクは封印され、目元の菱形もない。洗い流したような。「洗練」という言葉が浮かんだ。
逃げられない罠を踏んだかもしれない。右足の裏に嫌な感触が残っている。まさかそんなはずはないと払拭するため、そして逃げ道を作るための行為だった。後先を考えてはいられないほど追い詰められていた、というのはただの言い訳に過ぎない。つみ二、そして三。
「女の子だからおとなしくしなさいとか、男の子なんだから泣いちゃだめとか、そんな風に育てたくはないけど、女の子なんだから脚を閉じなさいだけは言っちゃうだろうな」
麻衣がおなかを撫でながらいう。まだ目立たない、食べ過ぎだの便秘だの言われたら納得するような腹に、にんげんがいる、らしい。
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