台所にはドーナツを切り刻む包丁の、静謐なリズムが響いていた。
ピアノ奏者のように繊細で嫋やかな指先は、今やカスタードと油にまみれ、猥雑にベトついている。それでいて、振るわれる麺切包丁は一分の誤差もなくドーナツを蕎麦状に解体しており、意図が不明であること以外は、見事な手捌きであると言えた。
幾つもの傷が残るヒノキのまな板。そのすぐ横で、ぐらぐらと鍋が煮えている。直上のフックに、湯を切るための振りザルも吊ってある。間違いなく、料理人は、ドーナツを麺として茹でるつもりなのだ。
それは何故ですか?
かつて、見た者が問い掛けたはずのその疑問は、この男の狂える正気の眼差しによって、遥か昔に根絶やしにされたのだろう。彼の脳には彼独自の論理があるのだが、外科的にそこを切り開いても脳漿が見えるばかりで、論理の兆しは形而の線上に散ってしまう。だから、口下手な彼のドーナツヌードル・ロジックを理解することは不可能であって、不必要な些事なのであった。
あるのはただ静謐と、茹で上がるドーナツ。それだけだ。
にゃあん。
居室で猫が鳴く。猫にとっては、麺が茹でられようがドーナツを茹でられようが、他所の世界の知らぬことなのだ。
始終、世界とはそれでよい。
やがて、男の手ですべてのドーナツが麺になった。小麦と糖とバニラビーンズの匂いがして、ショウジョウバエが狂喜乱舞してまな板はぐにゃぐにゃであった。
じゃっ。
ためらいなく、傾けたまな板を男が包丁の背で払うと、一斉にドーナツ麺が鍋に降下する。かつて別の鍋で揚げられた日の事を、ドーナツは思い出すのだろうか。
ピ。
冷蔵庫に磁着されたキッチンタイマーが、三分間の計測準備に入る。
タイマーといえばポモドーロ・テクニックとよばれる仕事術があるのは有名だろう。
やるべきタスクを決め、二十五分の集中作業と五分間の休憩によってそれをこなしていく、三十分サイクルのメソッドだが、由来は発案者がトマト型タイマーを利用したイタリア人だからだそうだ。
飛来したミサイルが男のアパートメントをぶち抜き、生煮えのドーナツ麺ごと都市区画を木っ端みじんに引き裂いていく。
不世出のレシピが一つ、この世から失われていく。
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