戦後80年、まだ戦ってる
祖父は百五歳になった。畳の上を歩くたびに、杖の石突きが小さな銃声みたいな音を立てる。冬の家には灯油と古い塩の匂い、それにヤシ油の甘い残り香が混じっている。祖父が二十年前にやっと帰ってきてから、うちの座敷はずっと南風のにおいを引きずっている。
祖父は学徒出陣で南洋に送られ、そのまま戻らなかった。敗戦のあと、海の向こうの「とある国」で生きた。最初は港で荷を担いで、その次は沿岸の見張り、その次は政府の兵隊、政変のたびに肩書が変わった。祖父の言い方だと「制服の色だけが変わって、人間の匂いは同じ」だった。八十を過ぎるころまで、祖父は現役で銃を担いだ。帰国したのは、疲れたからだと祖父は言う。「骨が潮を吸いすぎた」と笑った。
俺が大学に受かったのは、この冬のことだ。行き先はアメリカとイギリスの合同プログラムで、まずはロンドンに一年、次にボストンで一年。戦争と帝国と記憶について学ぶ。米英関連、と祖父は呟いた。口の中で石を噛むみたいに。
「向こうの学校か」
「はい」
「向こうに連れていかれるのか」
「行くのは俺です」
「連れていかれるのは同じだ」
祖父の語尾はいつも硬い。だけどこのときの硬さは、昔の日本の硬さじゃなくて、南の国で覚えた英語混じりの硬さだった。「イッツ・ザ・セイム」と、小さな声で付け加えた。祖父の英語は、先生に習ったものではない。港と駐屯地と酒場で身についた、筋肉の英語だ。
夕飯の席で、母が「奨学金もあるし、なんとかなるよ」と言った。祖父は黙って湯呑みを置き、押し入れの奥から薄い缶を持ってきた。南の国の砂糖が入っていたという琺瑯の缶だ。ふたを開けると、軍票の束みたいに見える封筒が出てきた。中身は、日本円だった。祖父は封筒を俺の方へ押し出した。
「持っていけ」
ありがたかった。でも、俺はその手を押し返した。
「でも、じいちゃんは米英は嫌いなんじゃないの」
「嫌いだ。嫌いだが、それはもっと前の話だ。嫌いだけで済むのは、戦争の外にいるやつだけだ」
祖父の目は、遠くを見ていた。窓の外には何もない。祖父の遠くは、いつも見えない海だ。
「おまえは、何を学ぶ」
「戦争の続き。戦後という名前の続き」
「続きに、続きがあると思うか」
「終わったと言って終わらせた人の続きが、あると思う」
祖父は、薄く笑った。笑うとき、頬に銃床の跡みたいな凹みが出る。南の国でついた傷だと聞いた。「向こうの人は笑うときにも歯を見せる」と祖父は言っていた。祖父は歯を見せないで笑う。
祖父が騒ぎを起こしたのは、その三日後だった。俺のビザ申請の予約がアメリカ大使館に取れたと母が喜んだ朝、祖父は町の掲示板に手作りの張り紙を貼った。「米英関連大学へ孫を徴発させるな 署名願う」。達筆で、紙の端に南の国の言葉の「禁止」を意味する単語が書いてある。祖父の署名の横には、その国での名前も書かれていた。祖父には日本名のほかに、向こうで呼ばれた名がある。俺たちはその名を、ほとんど知らない。
昼には町内会長から電話があった。「おじいさんの気持ちはわかるが、これはちょっと」と言葉を選んでいた。母は青くなり、俺は汗をかいた。祖父はというと、縁側で皮のベルトを磨いていた。ベルトの内側には、英語で打刻された祖父の血液型がある。いつどこで打ったのかを聞いても、祖父ははっきり言わない。「海の上」とだけ言う。海の上で、血液型が決まるらしい。
その夜、祖父は庭に竹を運び始めた。古い物置から縄を出して、門の前を縛り上げる。門柱には白い布をくくりつけた。出征旗ではない。南の国の小旗だ。真ん中に鳥の絵がある。「レッドラインだ」と祖父は言った。「ここから向こうは、米英の港だ。通すな」
「じいちゃん、近所迷惑だよ」
「迷惑は、軍艦より小さい」
祖父は淡々と言い、庭の片隅に穴を掘り始めた。土を上げて、砂嚢の代わりに米袋を詰める。手つきが見事だった。百五歳の手の速さじゃない。動きだけが昔のまま、時間から取り残されている。俺は思わず見とれてしまった。
「これ、何のための陣地?」
「退路だ」
「俺、攻めてないよ」
「攻めてくるのは、紙だ」
祖父はうなずき、郵便受けを指さした。そこには俺宛ての「入学許可証」「ビザ申請書類」「手続きのご案内」がささっている。白い紙は、光っている。祖父の目には、白い紙は信号弾に見えるのだろう。
翌朝、母は泣きながら縄を切った。祖父は怒らずに、縄を結び直した。「これは儀式だ」と祖父は言った。「戦わないための戦のまねごとだ」。祖父の「まねごと」は、他人の記憶ではない。自分の続きだ。日本で戦後が始まってからの七十年、祖父の戦後は始まらなかった。祖父は「終戦」を経験しないまま歳を重ねたのだ。終わりが訪れない日々の中で、終わらせるための儀式を独学で編んだのかもしれない。
町の人が集まってきた。祖父の書いた張り紙が話題になったらしい。誰もが俺を見て、「まあまあ」と言い、祖父を見て「まあまあ」と言った。祖父はベルトを締め直し、英語と向こうの言葉で何か唱えた。意味はわからない。だけど、言葉の重さは伝わった。戦争の前に祈る言葉は、どこの国でも似ている。祈りは、なぜか命令口調だ。
俺は堪えきれず、祖父に向き合った。
「じいちゃん、どうしてそこまで反対するの」
「反対しているのは、俺だけか」
祖父は首をかしげた。百五歳の首の傾きは、子どものようでもあり、古い木のようでもある。
「おまえの学校の金は、どこから来る」
「奨学金と、向こうの財団と、大学」
「大学に金を出しているのは誰だ」
「政府とか、企業とか」
祖父はうなずいた。うなずき方が、砲耳に耳を寄せる兵隊みたいだ。
「向こうは、紙で戦う。紙で港を作って、紙で橋を架けて、紙で兵隊を歩かせる。紙の地図の上でおまえを動かす。おまえは、紙でできた兵隊だ。紙だから血は出ん。だから、気づくのが遅れる」
「……俺は兵隊じゃない」
「そうだ。だから今が最後の戦だ」
祖父は、縄にナイフを入れた。切ったのではない。軽く当てて、返した。刃の背で撫でるみたいに。「これは切らないための刃だ」と祖父は言った。「こういう刃を持て」
その夜、祖父は俺の部屋のふすまを開け、薄い封筒を置いていった。「読むな」と言って。読むなと言われると、読みたくなるのが人間だが、祖父の「読むな」は少し違った。読むことが引き金になる種類の言葉が世界にはある。俺は封筒を引き出しの奥にしまった。代わりに、祖父の話を聞こうと思った。祖父が話すなら、の話だが。
翌日、祖父は自分から語り出した。縁側に座って、膝に布を広げた。白い布だ。日の丸ではない。南の国で祖母代わりだったという布団のカバー。角がすり切れて、中央には手縫いの丸がある。祖父は丸の縁に指を当てた。
「学徒で来たとき、俺には戦争の意味がなかった。意味は後から来る。命令のほうが、早い。終わったときも、意味は来なかった。紙の意味が来て、俺はそれを海に投げた。帰る場所が紙の上にしかなかったからだ」
祖父は、布の丸に小さな穴を開けた。指でこすって、丸の糸をほどく。糸は諦めのような音を立てて切れる。
「向こうでは、戦争がいくつもあった。名前が違うだけだ。独立戦争、反乱、治安維持、麻薬、海賊、テロ。紙の上で呼び名が変わっても、撃つ音は同じだ。俺は、海から上がれなかった。銃の持ち方しか知らんかったからだ。恥ずかしいことだ」
祖父は恥ずかしいときに笑う。笑うと、銃床の跡が濃くなる。
「八十になったとき、向こうの若者が俺に訊いた。『戦争はいつ終わる』と。俺は言った。『帰る人間がいなくなったときだ』と。帰る場所がどこにもない人間は、終われん。だから俺は帰ってきた。帰れば終われるかもしれんと、思った。終わらなかった。紙の港が、おまえを向こうに連れていく」
祖父は布を畳んで、膝に置いた。俺は喉が乾いた。乾いたまま、ゆっくり言った。
「俺は、行くよ」
「知ってる」
「行って、紙の港の写真を撮る」
「写真で港は壊れん」
「壊さない。見えるようにする」
祖父は目を閉じた。眼瞼の薄さは、古い地図の紙の薄さに似ている。透かすと、海が見える。
「見えるようにするのは、戦だ」
「戦わないための、最後の戦いだよ」
祖父はうなずいた。あの砲耳のうなずき方で。
ビザの面接の日、母と俺は朝早く家を出た。門の縄は外され、竹は片づいていた。祖父は縁側に座っていた。南の国の小旗は物干し竿に移され、風に揺れていた。
「行ってこい」
祖父はそう言った。俺はうなずいて、門を出た。その瞬間、背中で祖父の杖の音が二度鳴った。出発と到着の合図みたいに。
大使館の前には人の列ができていた。俺は窓に映る自分の顔を見て、思ったより平気だな、と肩の力を抜いた。順番を待ちながら、ポケットの中の封筒を指でなぞった。祖父が「読むな」と置いていったやつだ。面接の前に読むべきではない。そう思って、なぞるだけにした。
面接は淡々と終わった。英語で答えて、書類を差し出して、笑顔を返した。紙の港は白い照明に磨かれて、静かだった。銃声はしない。だけど、どこかで小さな石突きの音が反響している気がした。祖父の杖の音だ。
家に帰ると、祖父は眠っていた。呼吸が浅く、胸の上下が波のようだ。母が俺の顔を見て、安心したように笑った。俺は頷き、部屋に戻って封筒を開けた。中には、薄い紙切れが一枚だけ入っていた。日本語と英語と、向こうの言葉で、同じ文が書かれていた。
——港の名前は変わる。波の名前は変わらない。
短い文だった。祖父の丸い字で。英語は角張っていて、向こうの言葉は踊っていた。俺は紙を持って縁側に行き、祖父の枕元に座った。祖父は目を開けた。目に、海が宿ったように見えた。俺は紙を読んで聞かせた。祖父は笑った。笑うと、銃床の跡が薄くなる。
「じいちゃん、俺、行ってくる」
「行け」
「向こうで、向こうの名前を勝手に付けないで、向こうが呼ぶ名前を聞いてくる」
「聞いてこい」
「帰ってくる」
祖父は目を閉じ、うなずいた。うなずき方は、砲耳に耳を寄せるみたいだったが、もう耳は砲に寄せていなかった。寄せるべきものが、別の場所にあるのだろう。例えば、俺の声とか。
春。出発の日、駅へ向かうタクシーの中で、俺は祖父の言葉を反芻した。港の名前は変わる。波の名前は変わらない。米英関連のプログラムに俺は入る。紙の港のど真ん中に。だが、俺は波のほうを見ていようと思った。紙の名前を覚えるのは大事だが、波の音を書き取るのは、もっと大事だ。波は、誰の国でもない。波は、誰の命令にも従わない。だから、波のほうに耳を向ける。
ロンドンの空港に着くと、空は低くて、海の匂いは遠かった。だけど講義室で教授が「ポストウォー」と言うたび、祖父の杖の音が足元から立ち上がる。周りの学生は、戦後を過去形で話す。俺はメモに現在形で書く。「戦後は続いている」。同じ教室に座る誰かの祖父も、どこかで終われずにいるかもしれない。紙の港の反対側で、縄を結び直しているかもしれない。
最初の学期の終わりに、課題で短い映像を撮った。題は『レッドライン』。祖父の縄のことではない。港に引かれた見えない線の話だ。国境でも、査証の条件でも、奨学金の応募資格でもない。人と人の間に引かれる、うっすらとした線。踏み越えるのは簡単で、だけど足の裏に残る線。映像の最後に、俺は祖父の言葉を字幕にした。「港の名前は変わる。波の名前は変わらない」。英語の字幕は角張ってしまい、向こうの言葉はうまく踊らなかった。発音の練習が足りないのだ。次の学期の課題までに、踊れるようにしたい。
二年目、ボストンに移ったころ、母から電話があった。祖父が倒れた。俺は飛んで帰った。祖父は病院のベッドで、窓の外の空を見ていた。空は海の名前を忘れていた。祖父は俺の手を取り、薄く笑った。
「港はどうだ」
「紙は白い。波の音は小さい。でも、聞こえる」
「そうか」
祖父は、ゆっくりと目を閉じた。閉じるまぶたが、古い地図の紙みたいに透けて、向こうの海が見えるような気がした。俺は祖父の手を握った。握ると、南の国のヤシ油の匂いがした。灯油の匂いと混じって、戦争でも平和でもない、ただの人間の匂いになった。
葬式の日、町の人が来て、南の国から一通の手紙が届いた。祖父の古い仲間の署名が並んでいる。日本語ではない。読めない文字だ。だけど、紙の手触りは知っている。港を作る紙ではない。帰るための紙だ。母は泣いた。俺は手紙を胸に当てた。胸の骨が潮を吸うみたいに、ひんやりした。
戦後八十年。祖父は百五年のうち、八十年以上を戦場の側で生きた。日本にとっての戦後が始まった年、祖父には始まらなかった。それでも最後の二十年、祖父は自分のための戦後を、うちの座敷で始めようとしていたのだと思う。縄を結び直し、刃の背で撫でる練習をし、紙の港を見張る儀式を続けた。騒動は、たぶん祈りの形だった。
出発の前夜、祖父が残した布を広げた。中央の手縫いの丸は、縁がほどけて小さな穴になっている。俺は布を光にかざし、穴から庭を見た。冬草が風に揺れている。穴は小さい。小さいけれど、向こうが見える。穴の向こうに、俺の続きがある。祖父が終われなかった戦後の続き。終わらせるためじゃない。終わらせないためでもない。終わらないものを、終わらないまま抱える方法を、学ぶために。
紙の港は今日も白く、波の名前は今日も変わらない。俺はまた飛行機に乗る。米英関連という言葉の向こうに、祖父の笑い声がある。笑うと、銃床の跡が薄くなる。うちの座敷には、灯油とヤシ油の匂いがまだ残っている。戦後八十年、まだ戦ってる。だけど、俺は戦わないための戦い方を、祖父から手渡された気がする。刃の背で撫でる。縄を結び直す。港の名前を紙で確かめ、波の名前を耳で確かめる。帰るたび、穴から庭を覗く。向こうが見えるかどうか、確かめる。
いつか、南の国へも行くだろう。祖父が持っていたもう一つの名を現地の舌で呼んでもらい、港の線を一緒に歩いて、穴の縁に指を置いてみる。線も穴も、だれかの手でほどける。ほどけた糸で、別の布を縫うこともできる。それが戦後の仕事なら、俺はその針を持ちたい。銃の代わりに、針を。命令の代わりに、手紙を。港の名前と、波の名前の両方を、間違えずに呼べるように。
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