土間は朝の水を含んでいた。井戸端でこぼれた一杯が、黒い土の上に耳のかたちをひろげ、誰かの囁きを飲み込んだまま乾かない。梁の煤は長い雨季の名残りで、風が通るたび、雪ではない粉をうっすら落とす。そこに畳が一枚だけ敷かれ、編み目がきちんと南北を向いている。子どもたちは順番にそこへ座らされた。膝をそろえ、かかとを尻に敷き、背をまっすぐに。
婆さまが見ていた。歯は黒い漆のようで、声は火の出ない炉の底みたいに乾いている。「正しく座らんと、魂がこぼれるぞ。こぼれた魂は、猫が舐める」
最初に座った子の膝の影が、土間の中央を越えて伸びはじめた。時刻はまだ早いのに、影は長い。外の柿の木から、青い実が一つだけ落ちて、ころころと転がり、戸口の敷居で止まる。鶏が来て、一度つついて引き返す。地鳴りのような蝉の合唱のなかに、ひとつだけ遅れて鳴く声が混ざっている。誰もそれに気づかない。気づいたつもりの者だけが、胸のあたりで何かを失くす。
私は列の最後に座らされた。膝が畳に沈む。血が足首に集まり、ふくらはぎの裏側に薄い熱が灯る。胸はまだ大人の重さで苦しく、喉に引っかかる言葉は刃のままだ。けれど、骨の長さがわずかに縮み、指が細くなっていくのを、私ははっきり感じる。戸口の釘は、昨日まで胸の高さにあったはずなのに、いまは目の高さに迫っている。土間の匂いは濃く、畳のい草は乾きかけの河の匂いに似ている。
婆さまは私の耳の裏を指で押して、「よう育つ耳じゃ」と言った。耳は真実を拾う器官ではなく、風の名前を覚える器官だと私は昔どこかで聞いた。風はその日、北から吹いてきて、山で一度迷子になってから村に入ってきた。
村人たちはこの儀式を昔からのものだと言い、役場の者は新しい制度だと言った。寺の鐘は制度の声に合わせて鳴り、神社の鈴は儀式の方に顔を向けた。どちらも音は同じ高さに集まって、土間の梁の隙間で止まる。
*
——広報掲示板貼付の写し(村役場前)——
「徳育省『姿勢保持による徳性涵養モデル事業』説明会 今週木曜 午後二時 公会堂」
・対象:就学前後の児童および協力志願者
・効果:姿勢保持中の年齢係数の一時的低年齢化/心的判断力の安定的向上
・備考:泣いてもよい。泣かなくてもよい。
貼付責任者:総務係 山科
——
説明会のあった木曜、魚市場では別の説明が行われていた。
——市場の噂——
「何でも、座ると小さくなるってさ」
「小さくなってどうするのさ」
「役場の奴らは『やり直しが利く』って言うけど、やり直しが利くのは皿洗いだけだよ」
「泣いたら点が上がるって本当?」
「泣かなかったら、あの婆さまが舌を抜くんだと」
「舌を抜くのは昔話、点をつけるのは今の話。どっちが怖いかって? 今の方さ」
魚は氷の上で眼を開けたまま、それでも海の方角を見つづけていた。
*
一日目の午後、私は講義に連れて行かれた。映写機が壁に白い四角を投げ、それが世界の窓になる。嘘をつかないこと。映像の子どもが転び、「犬が噛みました」と言う。誰かが笑い、誰かが息をのむ。私の口は開かない。心は大人のままで、嘘が生存の薄い毛布であることを覚えているからだ。毛布を取り上げる者は夜の冷たさを知らない。
その時、彼女が現れた。名札には「紫」とだけあった。冗談のようだが、それ以外の名で呼ばれるのを、彼女は望んでいないように見えた。彼女は扇を持ち、何も言わず私の肩の辺りに風を送る。紙の小さな海が、私の皮膚の上で一度だけ波を立てる。その瞬間、視界が低くなる。釘が近づき、窓の外の空が遠くなる。
「何歳に見えますか」と彼女は訊ねる。
「見た目は十、心は四十」
「心の方を小さくする方法はないのですか」
「夕方をやめることができれば」
彼女は笑った。笑いの縁だけが見えた。笑いの真ん中は、いつも誰にも見せないまま終わる。
夕方はいつのまにか始まっていた。土間の奥の壺の陰が先に伸び、戸口の方へ遅れて光が滑る。誰も合図を出していないのに、外の柿の木は同時に少し黙って、鳥が一羽だけ南へ飛ぶ。私の膝は痺れ、痺れが引く頃合いに、子どもの肌が汗を覚える。
*
——徳育省 実証D-27進捗(内部配布用)抄——
被験者K:一日目、姿勢保持三十五分、外見年齢係数約0.45。
備考:言語反応は成人レベル、情動反応は抑制傾向。泣かない。
担当局員(紫):観察メモ「窓の端で、陽の沈みはじめを見ていた。誰も触れない時間帯を、彼はいつも見ている」
——
二日目の講義は「謝ること」。壇上の講師は短く言った。「謝ることは正しくなることではありません。他者の正しさに触れる予告です」。言葉は美しい。けれど、美しい言葉は、たいてい役に立つときに間に合わない。私は頭を下げず、心の中だけで深く腰を折った。畳に残る膝の楕円は赤く、すぐ消えるはずの跡が、その日だけは長く残った。
夜、私は夢を見た。教室の後ろに座る。黒板の文字が波のように押し寄せ、消しゴムの角は最初から丸い。隣の席の少女が消しゴムを半分に割って差し出す。私は返す。貸し借りの始まる前に終わらせておきたいのだ。目を覚ますと、紫が眠気の膜を通して私を見ていた。「夢は?」
「貸し借りをしない夢」
「それは、わたしの好きな古い物語に似ています」
「誰も育たないところが?」
彼女は首を横に振る。「誰も仕舞いきれないところ」
*
三日目、村に新聞記者がやって来た。役場前で写真を撮り、土間の戸口で靴を脱ぎ損ね、婆さまに睨まれて頭を下げた。記事は翌週出た。
——地方紙三面「話題」欄——
〈正座で幼く? 山間の村で“徳育”実験〉
…姿勢保持中、対象者は体の諸指標が一時的に若返るという。識者は「プラセボ効果では」と語るが、担当官は「科学で説明がつく」と強調。村の老婆は「魂がこぼれるから座らすんじゃ」と一蹴。どちらが科学か、いまはまだ決められない。
——
市場の噂は一段と賑やかになった。女たちは鱗を落としながら言う。「泣いたら出世する?」「泣かないと兵役?」「兵役はもうないよ」「制度はいつだって別の名前で戻ってくるのさ」。笑い声は桶の底に沈み、氷が小さく鳴った。
四日目、「想像力」の講義。夜道を行く少女、向こうから男、男は帽子を脱ぐ。拍手。道徳点が上がる。私は手を挙げた。「想像しすぎない方がよいと思う」
「なぜ」と講師。
「甘い想像の光から、鈍い悪意が生まれることがある。想像の蜜で相手を塗ってしまう前に、白い線の手前で止まる訓練が必要だ」
紫は扇を閉じ、その音が紙の短い悲鳴に似ていた。
*
——国会審議 議事要旨——
委員「当該実験は児童への身体的負荷を与えないのか」
審議官「姿勢保持は文化的所作の範囲にとどまる」
委員「心的影響は?」
審議官「成熟を促す。記録がそれを証する」
傍聴席ざわめき「記録のために心を残すというのは、心を制度の倉庫に預けることでは?」
委員長「静粛に」
——
五日目、取材班が公会堂に入った。カメラは床すれすれの子どもの視線で移動する。「道徳って何?」とマイクが来る。
「弱いものが弱いままで生きるための約束」
編集では声が高く加工され、字幕は「思いやり」となった。思いやりは約束の一部であって、全部ではない。紫はその夜、端末に記した。「言葉を石畳のように置く人。私は扇で風にしてしまう。風は録音できない。だから、わたしは時々、紙の重みを忘れたふりをする」
六日目、最初から六歳だった。正座を外れると、背広の肩は急に広く、言葉は舌に対して太すぎた。成人の体は粗野な衣のようで、私はすぐ座りたくなる。座ると体は軽く、心はますます速く回る。紫が牛乳を置いた。
「飲みますか」
「飲む権利はある」
「義務は?」
「立つまで」
「あなたは立つのが好きじゃない」
「立たないことは、義務ではなく諦めだ」
七日目、村の青年団が土間に来て、儀式の安全性について婆さまと言い合いをした。「昔からのやり方に国の紙を貼ると、昔が新しく見えるだけだ」と誰かが言った。紫は黙って聞いていた。扇は閉じられたまま、彼女の膝の上で舟のように静かに揺れた。窓の外で、夕陽が山の肩に触れ、気づかれないまま沈みはじめる。影は長く、音は短く、空の色だけが遅れて変わる。
八日目、私は四歳になり、母の声の高さを思い出した。名を呼ぶ前に、必ず息を吸う。その一瞬に、私への態度がすべて置かれていた。母はいま番号で呼ばれる病気になり、番号で終わった。私は番号で呼ばれる被験者として廊下を歩く。子どもの脚で歩くときだけ、番号は一瞬だけ名前と仲良くする。紫が紙とクレヨンを渡した。
「何を描きますか」
「縁(ふち)」
「なにの」
「私の」
私は線を引いた。線は遠いものと近いものを、丁寧に区切る。気づけば窓の外の光は薄く、見上げないままの月が、すでに屋根の上にいた。
九日目、「公共心」。国旗の下で歌う。歌は子どもを吸い寄せる。言葉の意味が届く前に、音の高さが身体を覚えさせる。私は歌う。声帯は柔らかく、音程は素直に上がる。心はその間、立っていた。立っている心は、歌わない。「なぜ目を閉じないの」と紫が問う。「目を閉じると、立ってしまうから」。彼女は頷き、扇で空気の埃を一度だけ払った。
十日目、三歳。講義は「善悪の彼岸」などという誰かの古い火から灰を拾ってきたような題だった。鍋は冷めるほど底に光を集める。私は鍋の底を覗き、そこに自分の目が二つあるのを見た。間に薄い境界があり、触れようとするといつも少し遠のく。紫は私の頬を指で押して弾力を確かめる。「かわいい」。
「かわいいは、道徳ですか」
「違います。弱さへの免罪」
彼女は即答し、少し後悔したように目を伏せた。「ごめんなさい」
「謝ることは正しくなることではない」
ふたりで笑った。笑いは二度と戻らない。戻らないから、次の笑いは別の名で来る。
十一日目、監督官が来た。帽子は季節外れで、靴の革は必要以上に光っている。「被験者K、姿勢保持時間を倍にする」。私は座り、体は二歳になり、心はそのまま、監督官の靴の皺を数えた。数は安全だ。数は意味を遠ざける。監督官は言う。「君のような被験者がいれば、社会は美しくなる」。
「美しい社会は、正座を強いない」
彼は咳のような笑いをした。「美と秩序は、境界の上で握手するものだ」
十二日目、私は乳飲み子の体を得て、泣くことが可能になった。可能になると、不可能になる。体が泣けば心は乾き、心が泣けば体は固まる。私は泣かず、窓から射す月の光に頬を当てた。月は誰も気づかぬうちに高く昇っていた。紫は私の頬に手を置き、「立ちませんか」と言った。
「立ったら戻る」
「戻りたいでしょう」
「戻らないものを、戻るふりで飾りたくない」
彼女は扇を閉じ、床に置いた。境界を床に置く女は、美しい。床の埃はその瞬間だけ息を止め、梁の煤は落ちるのを忘れた。
*
——保護者説明会 質疑記録——
保護者C「子どもに戻れるなら戻りたい。やり直せるでしょう」
被験者K「戻るのは体で、心ではない。心は折り目の残る器官です」
保護者C「それでも、何かのためにはなるでしょう」
K「折り目を指でなぞるために、座ります」
——
——徳育省 最終報——
被験者K-27、正座姿勢のまま入眠。生理指標は穏やかに成人へ復帰。
観察:精神的判断枠組みの帰還は確認できず。
結論:道徳は姿勢であり、姿勢は選択である。その自由の証人がここにある。
付記:同席局員の私見——彼は、知らぬ間に昇った月を見ていた。誰もが気づかぬうちに、夜はそこにいた。
——
*
あとに残ったのは、畳の上の二つの楕円の赤い跡だけだった。跡はすぐ消えるはずだったのに、その日から畳はいつも、そこが少しやわらかい。やわらかい場所は、人を座らせようとする。私は時々、家で正座をする。身体はもう縮まらない。心も変わらない。ただ、目を閉じているあいだに、遠くで陽が沈み、気づけば月が昇っている。誰も合図を出していないのに、影だけが先に伸び、音だけが先に終わる。その間に、呼吸が一つ入る。呼吸は姿勢より正確に、選択の形を覚えている。
紫から一度だけ手紙が来た。封は薄紫で、差出人の名はなかった。便箋には二行だけ。「春はまだ遠いのに、扇はすこし重くなりました」。私は封を畳んで扇のかたちにし、机の引き出しにしまった。引き出しの奥で紙の扇はひらいたまま、閉じられている。ひらくことと閉じることのあいだに、薄い境界がある。私はそこにそっと正座してみる。正座しているあいだだけ、子どもになれる。子どものように、しかし子どもではなく、ただ——誰の命令でもない静けさを、ひと呼吸ぶんだけ守る。村の風が、山で一度迷子になってから、またここへ戻ってくる。その風の名前を、耳が思い出す。土間の冷たさが、足裏の骨の古い順番を教えなおす。遠くで犬が一度だけ吠え、どこかで誰かが笑い、笑いの真ん中はやはり見えない。私はゆっくりと背を伸ばし、膝をそろえ、かかとを尻に敷き、目を開ける。月はもう、屋根のはるか上にいた。気づかぬうちに、昇っていた。気づいてからも、なお白い。気づいたことだけが、私の年齢を少しだけ小さくする。気づかないふりは、もうできない。だから私は座る。座っているあいだだけ、選べる。選ばないことさえ、選べる。そうして私は、畳のやわらかい場所に指を置き、境界の縁を確かめる。そこが、私の描いた線の、内側でも外側でもないところだと、ようやくわかる。
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