近所に本田という米の転売屋がいるのでぶち殺して奪おうという話になった。
前野という闇バイトの指示役をやっている半グレが、繁華街で売春の斡旋をしているとき、行きずりの男から転売屋の話を聞いた。そいつは業務用の冷蔵庫まで用意して大量の米を仕入れているらしい。それも一台や二台ではないという。
前野は運送屋をやっている知り合いの久保田という男に連絡して話を聞いた。すると、転売屋が米蔵に大量の米を隠し持っているのは本当だと久保田は言う。嘘を言う動機がない。どうにかして奪えないものかと思案し、使えそうな闇バイトのリストに目を通す。
井関は外国為替取引で多額の負債を抱えて自己破産し、次の投資のタネ銭を得るために闇バイトの求人サイトに登録していた。特殊詐欺の受け子、出し子の微々たる報酬では飽き足りず、タタキの実行役をやることにした。これまで二件の犯行に及び、老夫婦を殺害した。運よく捕まらずにいるが、強盗殺人までして手に入れた金は期待していた額よりずっと少なかった。前野が転売屋のタタキに誘うと、井関は二つ返事で応じた。
久保田は大型トラックを所有して一人で運送会社を経営していた。二年前まで東南アジアで臓器売買と麻薬の密売に携わっていたが、いまは他人の戸籍を手に入れ、純然たる日本人として平和に暮らしていた。本物はすでに死んでいる。彼が殺して埋めたのだ。
久保田は何度か例の転売屋と取引していた。転売屋の自宅のすぐ隣にある米蔵に米を運んだのも久保田だった。自分一人で本田を襲って米を強奪することも考えたが、せっかく手に入れた無垢な戸籍をわざわざ強盗殺人という大罪で穢すことはしたくなかった。汚れ仕事はすべて井関にやらせるから参加しろと持ちかけられた。前野は久保田の戸籍ロンダリングを手伝ったこともあり、久保田は依頼を断れなかった。
久保田は、鉄パイプで武装した井関を助手席に乗せ、前野から言われた住所に大型トラックを走らせた。二人は初対面だったので挨拶だけしてしばらく何も話さなかった。日本語が堪能ではない久保田にはそのほうが落ち着いた。やがて前野から電話がかかってきて、現場での流れを確認することになった。
転売屋の米蔵はシャッターで開閉するタイプで、鍵がかかっている。中には米用の冷蔵庫が二十台ある。冷蔵庫の扉には南京錠。鍵の保管場所は久保田もわからない。
「鉄パイプでぶちのめして吐かせればいい」電話で前野が言う。
彼は離れたところから電話で指示するだけである。場所が特定されないように絶えず高速道路を移動しつづけている。
「強奪に成功すれば12トンのコシヒカリが新米で手に入る。現在の相場で約1000万円といったところだ。だが政府の備蓄米が払底したらまた値上がりするだろう。二倍、ひょっとしたら三倍くらいになる」
それを聞いた井関は有頂天になって奇声を発し、鉄パイプをふりまわし暴れる。あぶないからやめてくれよと久保田は苦笑いで言う。前野は電話を切る。
「皮算用で浮かれるチンピラが。その死亡フラグ、あとできっちり回収してやる」
転売屋はオーディオルームでワーグナーを聞いていた。思ったより若い。黒のレザーグローブを装着し、鉄パイプを握りしめた井関が背後から急襲する。殴打して昏倒させる。うつ伏せに寝かせ、鋼鉄の手錠をかける。通販で買ったものだ。足を縛るのは煩わしいので鉄パイプで叩き折る。ステレオを消す。室内は静かになり、裏の渓谷を流れる水の音がよく聞こえる。横っ面を張り飛ばし、無理やり目を覚まさせる。ナイフを顔に押しあて、鍵の場所を訊き出す。勝手口の横の抽斗に入っていると言う。口にゴムボールを突っ込み、上からガムテープを貼りつける。転売屋は鼻血を流し、泣いている。スマホが鳴る。
「どうなった」前野が電話で訊ねる。
「気絶させて拘束した。足を折ってやった」
「起こして鍵の場所を吐かせろ」
「もう吐いた。これから取りに行く」
「待て。防犯カメラをオフにするのを忘れるな。倉庫前に仕掛けてあるやつだ。転売屋のスマホでリモート操作できる。やり方はわかるな?」
ソファーのひじ掛けにちょこんと置いてあるスマホを拾いあげる。手袋を外し、前野の指示通りに遠隔操作で録画をオフにする。家の中を移動する。台所の横の勝手口の抽斗から鍵の束を取り出し、そこから外に出てトラックのほうに向かう。久保田に鍵を手わたす。
「何か手伝うか」
「一人でいいよ」
エンジンをかけ、ギアを操作する。倉庫前ギリギリにトラックを移動させる。鍵を開ける。シャッターを上げる。電気をつける。ドブネズミが目の前を横切る。何度か見たことのある景色だ。冷蔵庫の鍵を開ける。中には駱駝色の米袋がぎっしり詰まっている。倉庫内にある奴さんのフォークリフトを動かし、米袋をトラックの荷台に積んでゆく。バラ積みならちょうどすべて積める。久保田は作業に没頭している。
本田が独り身であることは事前にわかっていた。家は、山の中にぽつんとある木造二階建ての一軒家で、裏の渓谷には深い川が流れており、少し下るとダムがある。近くには高速道路のインターがある。出入りする車はほとんどない。まるで襲撃してくださいと言わんばかりの立地だ。
あと十袋ですべて積み終わるというときになって、久保田は誤って米袋を落としてしまう。倉庫の床に中身がこぼれる。それは明らかに米ではない白い粉だった。砂糖でも小麦粉でも片栗粉でもない。しかし久保田には見慣れた粉だった。少量を小指にとって舐め、確信する。念のためにほかの袋も開けて確かめる。どれも米ではなく白い粉が入っている。しばらく倉庫の真ん中に佇んで逡巡し、それから前野に電話をかける。
「あ、前野さん。ちょっと聞いて。米の袋落として中身こぼれた。中にシャブ入ってる。これどうするよ」
「なんだって」
「袋の中にシャブよシャブ。中身全部シャブよ」
「バカ言うな。そんなわけねえだろ」
「本当よ。わたし確認した。これ本物のシャブよ。稀に見る上物よ」
「倉庫の袋全部か」
「そうね。シャブ12トンあるよ」
「最初に倉庫に運び入れたのはおまえだろ」
「あのとき中まで見なかった。わたし知らないうちにシャブ運んでた」
「転売屋はどうした」
「もう井関さんが殺したよ」
それを聞いた前野は押し黙る。前のめりになっていた上半身を起こし、リクライニングの背もたれにもたれかかる。唐突に電話を切ってしまってもよいが、会話の体裁を大事にしたい事情もある。葛藤の末、体裁が勝る。
「おまえらとんでもないババ引いたな。12トンのシャブなんて聞いたこともねえぞ。そいつは転売屋なんかじゃねえ。国家的な兵器のブローカーか何かだ。おれは降りるぜ」
「このシャブどうする」
「そんなもん放っておけ」
「わたし全部もらってもいいね」
「勝手にしろ」
電話が切れる。
井関は裏山の砂をスコップで掘り起こし、そのへんにストックされていた空の米袋に砂を詰めていた。すぐそばに本田の死体が横たわっている。湿った枯葉が服のいたるところにべったりと付着している。積み込み作業を終えた久保田が円筒型のLEDライトを持って近づく。井関は黙々と地面を掘りつづけている。スコップは一本しかないので、久保田はその様子を黙って見ている。
米袋は基本的に紙製だが、30キロの米の重みに耐えられるように厚めのクラフト紙でつくられている。内側はポリエチレン系の素材が張られているので浸水しにくい。死体を水中投棄する際の重石にはうってつけというわけだ。
剣スコで頭部をぶちのめして殺害した本田の死体をブルーシートに包み、上からガムテープでぐるぐるに巻く。さらにそれをナイロンの紐で袋にくくりつけ、しっかりと連結する。
「ちょっとくらいの重石じゃ簡単に浮いちまうからな」
そう言って紐を念入りに固く縛り、余った紐をナイフで切る。手を貸せと井関が言う。久保田は無言で頷く。木の柵の向こう側に、死体と米袋を一つずつ持ちあげて移動させる。それらをまとめて、夜明け前の薄暗い渓谷に突き落とす。米袋が死体に引きずられるように崖を転がり落ちてゆく。着水する音はそれほどでもなかった。大きな魚が跳ねたくらいの音だ。渓谷に見入っている井関の背中を、久保田はうしろから躊躇なく蹴っ飛ばす。井関は真っ逆さまに転落する。この高さでは助からないだろう。
運転席によじ登り、エンジンをかけ、ギアを操作し、ペダルを踏む。昇りかけの朝陽に向かって、きた道を戻る。
眞山大知 投稿者 | 2025-07-23 18:27
アレを米袋に隠しても意外とバレなさそうですね。申し訳ないのですが登場人物が多くて誰が誰だか分からなくなってしまいました💦
曾根崎十三 投稿者 | 2025-07-26 10:49
まさかの米でクライムフィクション!
尖ってるスコップのこと、剣スコップ、略して剣スコというんですね。賢くなりました。
こういうクライムフィクションはちょくちょく見るんですが書けるほど理解が及んでいないので、すごいなーとなりました。殺しや死体遺棄の手際の良さとか、見ちゃいけないものを見てる感じが良かったです。
諏訪靖彦 投稿者 | 2025-07-26 13:29
最初に登場人物の名前がダダダと出てきて少し混乱しました。末端価格で考えると小さな国を作れるよなあと思って、俺も混ぜてくださいと思いました。
大猫 投稿者 | 2025-07-26 20:59
冒頭からラストまで休みなく物騒な記述が続いて、しかも実際にやってるんじゃないかってほど具体的で綿密な描写、読ませる文章です。出てくる人物という人物が良心の欠片も持ち合わせなくて清々しいほどです。
米のはずがシャブだったという想定外があるとはいえ、あまりに久保田の思惑通りに進んで、どこかでどんでん返しがないのかと期待をしてしまいました。どこかで足が着いて逮捕か、あるいは国際組織とかどこかの国のスパイとかにバレて惨殺されるのか、あるいは度胸を買われて更なる活躍をするのか、続きが知りたいです。
河野沢雉 投稿者 | 2025-07-27 09:52
ハードボイルドな語り口が堂に入っている感じですが、他の方もご指摘の通り登場人物が分かりづらくなっているのは三人称で視点が次々に移り変わっているからですね。視点人物を全編通して一人にすればすんなり読めるのではないかと思います。
しかし12トンのシャブは壮観ですね……
こい瀬 伊音 投稿者 | 2025-07-27 21:50
わーこわいのに、なぜかどこかでスカッとするよぅ。なんでそう思うのか…
徹頭徹尾からりと描かれている…からでしょうか。
すさまじくわるいことをしているのに、すべてこともなげにさらさらっと書かれていて、極悪ってこういうことなのかな、とおもいました。
浅野文月 投稿者 | 2025-07-31 00:30
(おそらく)トンバッグに入っている12トンのシャブに僭主的な夢を見させていただきました。
登場人物が多い件ですが、セリフの書き方で差別化できると思うのでぜひチャレンジしてみてください。