教室の窓に朝の光がさしている。血のついたカーテンは長閑な風に揺れている。空には灰色の浮遊物が無数に漂っている。遅刻者はいない。すべての生徒は着席したまま黙して動かない。顔を血だらけにした生徒もいれば、サーモンピンクのどろどろした脳脊髄液を顎の先から滴らせている生徒もいる。一様に口を閉じたまま黒板のほうを向いている。黒板の上にかかっていた校訓の額が爆発の衝撃で教壇に落下し、アルミ製のフレームに傷がつき、表面のガラスが粉々に割れている。校訓には校訓とだけ書かれている。校訓という校訓なのだろう。足下の額を邪魔そうに蹴飛ばすと、細かなガラスの破片がそのへんに飛び散る。額は床を滑り、廊下側の壁にぶつかって止まる。木棚から落ちた陶器の花瓶は砕け散り、逆噴射された黒板消しクリーナーの煙幕がぶわっと広がる。空はブラウン管TVのホワイトノイズ色で、ときどき遠くのほうで銀色が閃光を放っている。今日は何かがある日だ。小テストか追試か補習か。生徒たちは始業の鐘の残響を聞いている。それは市川剛の死を悼む厳かな弔鐘のようでもある。机の横に設けられた荷物を引っかけるためのフックには、視神経とつながった眼球がぶらさがっている。かつて市川の眼窩に収まっていたそのビー玉のような球体は、いまは何も見ていない。少年の瞳は輝きを失い、ゆっくりと最後の流血をこぼしている。灰色の空は大きな口を開けて太陽を飲み込み、拳の中で凍りついた水晶が全身を侵しつつある。
生徒たちに内面はない。総体としての生徒が席を埋めている。顔は全員、印象派の絵画のようにぼんやりしている。教師はいる。外見からして男だろう。毛玉の付着した臙脂色のジャージを着ている。朝のホームルームに居合わせているので担任とわかる。教壇の上に散らばったガラスの破片をさきほどからずっとサンダルの爪先で蹴落としている。バランスを崩して転ばないよう教卓に両手をついている。そこには出席簿が置かれている。学年とクラスが記されている。いつもならもうとっくに点呼を終えている時刻だ。男の顔つきはまるで疲弊した派遣社員のようであり、感情表出機能が崩壊しかけている。誰かがボールペンをカチカチ鳴らしている。
やにわに一人の生徒が立ちあがる。円村という探偵部の部長だ。他の生徒の机にぶつからないように注意しながら市川剛の死体のほうへ歩み寄る。首のない死体は着席したまま上半身を折り曲げ、机にもたれかかっている。頭と首の境い目から滴る血で、床の血溜まりはローマ帝国のように広がりつづけている。円村は顔を近づけ、死体を隅々まで観察する。担任教師はそうした行為に関連する自分の立場を認識しながら敢えて放置し、憔悴した目でじっと見ている。円村は市川剛の両肩をつかんで上半身を起こし、そのまま机と机のあいだの通路にドサッと仰向けに寝かせる。床にたたきつけられた反動で死体は無秩序に手足を投げ出す。その左手が男子生徒の足に触れ、生徒は穢らわしそうに蹴り返す。迂闊にも穢らわしさを感じる程度の内面があることを露呈してしまい、あわてて背景に溶け込もうとする。円村は死体に馬乗りになり、ズボンのポケットや上着のポケットに手を突っ込んで漁っては、中身をそのへんに放り出してゆく。付近の生徒の机の上に遺品が並ぶ。少なくとも机の上に置くことができる種類の遺品であることを実証してゆく。
机の上に市川剛のスマートフォンが置かれる。付近の男子生徒がそれを手にする。故障はしていないが指紋認証のロックがかかっている。生徒は市川剛の手をつかみ取り、血のついた親指をシャツで拭い、スマホの画面に押しつける。ロックが解除されるや警察の指令センターに電話をかける。何度かけても通じない。電話が通じないことに対して男子生徒は不審に思う。疑いのまなざしを周囲に向けると、担任教師と目が合う。根岸は口の端にほんの一瞬笑みを浮かべ、すぐに目を逸らす。
巨大な黒人と若いブロンドの女が、高らかな靴音とともに揃って教室に入ってくる。黒人は黒い布袋を懐から取り出しバサバサと広げては、手際よく市川剛の死体をその中に押し込める。袋の口を麻紐でぎゅっと縛り、軽々と肩に担いで教室をあとにする。かたや若いブロンドの女は教壇の真ん中に立ってペンライトのようなものを掲げている。根岸は元オペラ歌手の癖で唐突にバレンシアを歌いはじめる。気が動転しているのだ。ペンライトのようなものは突如として発光する。一瞬あたりが真っ白になるほどの光で満ち、視界が晴れたときにはもう生徒並びに担任教師の脳味噌は跡形もなく吹き飛んでいる。脳味噌は叩きつけられて潰れ、眼球はあちこちに飛び散っている。長い欠伸のために目を閉じていた三浦は、自分の脳を爆発させることなくやり過ごす。そのような偶然を補強するための挿話として不眠で麻雀に励んでいたことにしてもよい。三浦はブロンドの女からとどめを刺されるのを避けるために、机の下に隠れて息を潜める。女は生徒全員の死を確認することなく立ち去る。生き残ったガキを追い詰めるグランギニョルじみた演出は余計だと言わんばかりの早足である。
何者かが死体の群れを内側から足で押しのけ、倒れかけた机を蹴飛ばして立ちあがる。円村は汚れた制服の袖を手でパンパンと払う。三浦は何も言わず、奇抜なカチューシャを被った血まみれの同級生をじっと見ている。教室は壁も天井も窓もどこもかしこも生徒たちの液体で染まっている。教室のうしろで倒れている青いゴミバケツからパンの袋のゴミが溢れている。前日のゴミ捨て担当者の不始末だろう。あのときゴミの始末をきちんとしていればその見返りに生存可能な未来が約束されていたかもしれない。あるいはそんな後悔をいまごろしていたかもしれない人間の脳味噌はすでに跡形もなく消え去っている。
「そろそろ隣のクラスがどうなっているか気になる季節だろう」
荒々しく教室のドアを開けて入ってきたのは隣のクラスの寳田だ。死体を踏みつけ、こちらに向かって大股で歩いてくる。こちらってどちらですか勝手に視点を設けないでくださいと歩きながらつぶやく。その大げさな挙動に相反して、声はかろうじて聞き取れるレベルの小声である。三人を線で結んだとき、概ね正三角形となる場所に寳田は立ち止まる。おまえは誰だと三浦に問われるのを見越して学生証を見せる。
「なんだそれは」
「見ての通り学生証だよ」
「そんなものでおまえ自身の身元を明らかにした気でいるならぶち殺すぞ。だいたいこちらが提示を求めたわけでもないのに自分から見せてくるエキシビショニストの学生証が偽造でないわけがない。私文書偽造並びにそれを行使した罪でぶち殺す。学生証じゃなくてファクトを提示しろ。おれはファクトに基づかない人間はぶち殺す。おまえがれっきとした登場人物であるというならAIに依らない本当のファクトを提示しろ。なんでもかんでもAIに頼るな。ぶち殺すぞ」
寳田は嘲りの笑みを浮かべる。「くだらんパラノイアごっこに興じている場合じゃないぜ。もうすぐそこまでやつらがきているんだ。嘘じゃない。外を見な。そうだ。おまえの求めるファクトがそこにある、本当のファクトが」
優雅なしぐさで揃えた四本指を窓の向こうに向ける。三浦は窓ににじり寄り、外に目をやる。銀色の円盤で中庭の小広場に乗りつけた宇宙人の軍団が陸自の戦車部隊と交戦している。砲火が飛び交う。着弾して爆発する。音はない。やがて無数の爆撃機がやってきて円盤艇に絨毯爆撃を浴びせるが効いていない。逆に宇宙人の指向性ビーム兵器によって次々と焼かれる。赤い光線に貫かれた爆撃機が校舎めがけて墜落する。校舎は粉塵に埋もれる。音もなく、衝撃もなく、痛みもない。掲示板から毟りとられ、破き捨てられたポスターが正門のほうへ転がってゆく。花壇は破壊され、並木は焼かれ、血飛沫のような土が痛々しく通路に溢れている。視線を戻すと、寳田は三浦に銃口を向けている。
「さらなる紛糾化事態をお望みならおれについてきな。そしてその果てに、最高の大団円を、おまえに見せてやる」
「クラスメイト全員の脳味噌ぶちまけといて、いまさらどんな大団円があるってんだ」
「そのとおり。だがおまえにはここで死んでもらう」不意に円村が前景化する。その手に握られた銃は三浦を狙っている。
三浦はリボルバーの穴を静かに睨みつつ、意識は寳田に向けている。寳田は銃口を円村に向け、引き金を引く。円村の脳味噌は木っ端微塵に爆発し、鶏冠のカチューシャが地に落ちる。首のない死体は死んだまま教室の中央に佇んでいる。円村を殺害したことで死亡フラグを立てた寳田の額にアラビア数字が出現する。数字はどんどん減ってゆく。じゅう、きゅう、はち、なな、点々々。床の血溜まりに映った額の数字が死へのカウントダウンだと即座に察知した寳田は、驚愕のあまり拳銃をその場に落とし、口をあんぐりと開けて後ずさりする。それから押し寄せる死への恐怖を表現すべく全身を小刻みにふるわせ、ぎゃあぎゃあ泣き喚いて三浦の両腕に縋りつき、無様な命乞いを開始する。現状認識の異常な早さとそれに対するリアクションの的確さに苦笑しつつ、三浦は、もはや迷惑そうに眉を顰めており、寳田の手を振り払おうとする。おまえが思いつきで円村を殺したりしたのが悪いんだという自己責任論的厄介払いのセリフが咽喉元まで出かかっている。あと数秒の辛抱。そうとも。あと数秒でこいつはあの世だ。さん、にー、いち、ぜろ。死を覚悟して絶叫する寳田に対し、三浦は、高級フレンチで粋がる無礼なジャップのようにパチンと指を鳴らしてみせたが、爆発したのは自分の脳味噌だった。
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