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時、あるいは時間

REFLECTION(第6話)

加藤那奈

タッタッタッタッ、と、足音に合わせて呼吸を整える。
ハッハッハッハッ、と、口から息を吐く。
景色が変われば、人も変わる。
時間が違えば別人だ。もちろんそれは私も同様。
(2025年)

タグ: #ファンタジー #散文 #純文学

小説

21,148文字

VIII

 

医師は困った。

呼吸も心臓も完全に停止している。瞳孔にライトを当てても反応しない。心肺蘇生は試みたが、状況は改善されない。一般的には死亡と判断される状態だ。だが、この男の身体に触れたとき、体温がほぼ正常に保たれていることがわかった。時間を置いて何度計測しても摂氏36.5度前後で、低くも高くもない。顔色も自然で見た目は眠っているようだ。血液の凝固はなく血液検査はなんなく出来た。その他、X線、MRI、CTスキャンと病院にあるあらゆる機器を使って検査しても、脳波もなく、すべての部位が動いていないだけで、目だった病巣もなく、硬直や腐敗などの兆候すらない。

搬送されて数日経過しても、全く変化がない。これでは死亡と判定できない。蘇生の可能性があるかどうかもわからない。自分の知る限り、前例のない症例……症例と言っていいのなら、だが……だ。研究対象としては興味深いのかもしれないが、関心をもつ研究者がいるだろうか。そう思って、医学部の知り合いに打診してみた。何人かが様子を見に来て、興味を示す者もいたが、データを詳しく見て、やはり困惑した顔をした。手がかりとなるデータが何もない。体が停止している以外は、ほぼ健康なのだ。研究したところで、何が得られるのか予想もつかないし、ただの徒労に終わるかもしれない。

これは医学の問題ではなくオカルトや超常現象の類いなのだろうか、などと、科学者らしくない考えにまで及び、破れかぶれでその筋の専門家を自称する得体の知れない輩にも見せてはみたが、悪魔だとか神だとか、霊がどうのこうの、魂がなんだかんだと、その口から出る言葉はいかがわしいカルト宗教そのもので、医師にとっては意味不明。科学も論理もない。彼らはひとしきり饒舌に語りながら、だからといって引き取り研究しようなどとはつゆほども考えていない。

搬送されたとき、たまたま救急の当番だったというだけで、そのままこの患者(?)の担当にされてしまったけれど、治療の手立てもなく、かといって放っておいても症状(?)が変わることもない。親族に引き取るようにと頼んだら、ならば別の病院を紹介してくれと言わたのだが、そもそも何科の担当なのかもわからず、紹介先もあてがない。

いったいあんたは何なんだ。何をしたらこうなるんだよ。死んでもいないし生きてもいない。ああ、シュレーディンガーの猫という思考実験があったね。でも、あれは箱の中にいて、観測した途端に生死が決定するんじゃなかったかな。だけどあんたは、箱から出しても生死が重なったままだ。もし、他人事だったら、もう少しあんたに興味が持てたかもしれないけれど、俺は普通の医者だ。総合病院の一勤務医だ。死んではいないからぞんざいには出来ず、生きてはいないから手の施しようがない。治療もしていないのに、このまま病院においておくこともできないんだよ。

医師はこの男が羨ましくなってきた。

あんた、その停まった脳で、どんな夢を見てるんだ?

© 2025 加藤那奈 ( 2025年4月18日公開

作品集『REFLECTION』最終話 (全6話)

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