VII
私は最初から気がついていました。
あの子が朝早く家を出て走っていることを。
あの子は家族が眠っている間に家を出て、起き出す間際に帰ってくる。別に隠すつもりはなかったのでしょう。ただ、親になんやかんや言われるの鬱陶しい。思い立った行動に、なぜと問われても他人に理解できる説明はできないでしょう。そういう年頃です。大人になると忘れてしまうようですが、みんな同じような経験があったはずです。
しばらくの間は気づかないふりをしていました。
すぐに止めてしまうかもしれません。はじめるのも突然なら、止めるのも突然です。
二週間ほど様子を見ていました。あの子は週末もかかさず毎日同じ時刻に家を出て行きました。その様子をこっそり見ていて思いました。ひと月やふた月、あるいはもっと長く続くかもしれない。ならば、助けてあげてもいい。
助けるといってもたいしたことをするわけではありません。
何も言わずに認めてあげて、たまにあの子が家を出るのを見送ること。それだけで少しは気分も軽くなるはずです。
それから、もう少し走りやすい靴を買ってあげること。成長期の身体に余計な負担をかけないよう、という心遣い、というのは言い訳です。ただの私のお節介。
おはよう。
お母さん……。
走ってるの?
うん。
気をつけてね。
あの子は玄関で複雑な顔をしていました。咎められはしないかな、理由を聞かれはしないかな、面倒くさいな・・そんな顔です。私が何も問わず送り出すと、今度は拍子抜けの表情を見せました。どうして何も聞かないの、と、言いたげな顔でした。そして、新しい靴を買いに行ったのは、その日の夕方。あの子が学校から帰るなり、買い物に付き合いなさいと車に引きずり込みました。
あの子が新しいランニングシューズを喜んでいるかどうかは私にとってどうでもいいことでした。あの子は幾つもある靴の中からしばらく迷ってそのひとつを私に差し出しました。あの子が選び、私が買ってあげる。その取引が私にとっては大切でした。私はあの子の共犯者になるのです。何の共犯者なのか。親だとか子だとかは関係なく、彼女には彼女の、私には私の目的があるのです。
あれからもう3年近く経ちます。あの子は変わりなく走り続けています。その間、何足がの靴を履きつぶし、そのたび私が新しい靴を買ってあげる。それはお互い、得体の知れない契約を交しているかのようでした。
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