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時、あるいは時間

REFLECTION(第6話)

加藤那奈

タッタッタッタッ、と、足音に合わせて呼吸を整える。
ハッハッハッハッ、と、口から息を吐く。
景色が変われば、人も変わる。
時間が違えば別人だ。もちろんそれは私も同様。
(2025年)

タグ: #ファンタジー #散文 #純文学

小説

21,148文字

V

 

時の話をしようか。

そうだね、あなたは時をどのように感じているのかな。

もし漠然としてしまうのなら、とりあえず、時間、と言い換えてもいい。

時間がある/時間がない、時間が長い/時間が短い、時間が余る/時間が足りない、もうこんな時間だ/まだ時間じゃない、起きる時間/眠る時間、仕事の時間/遊ぶ時間……時間は、僕たちの生活の中でありふれた背景のようなものだ。たいていの場合、生活そのものが時間によって刻まれているからね。あと1分待って、もう3分たった、まだ1時間ある。休憩は15分、142分の映画、4分33秒の音楽、集合は午前9時30分、作戦開始は2045……時間に追われるようにして、僕らは一日一日を過ごしてゆく。この一日、とか、1週間とか、1ヶ月、1年、という区切りも時間の単位だね。でも、時の流れに時間を刻んでいるのは、誰でもない、僕たちだ。僕たちを追い詰めているのは、時ではない。僕たちは自ら発明した時間という時の物差しに追い詰められているみたいだ。

時間は文字通り、時と時の間のことだ。僕らは時の始まりを知らないし、時の終わりもきっと知ることがない。円環とか無限とか考える古典的な思想もあるけど、誰かが具体的に確認したわけではない。でも、時間には始まりと終わりがある。とらえどころのない時に目盛りを刻み、定量化したのが時間といっていいのかもしれない。古代も現代も天体の動きがその元となっている。僕たちは、時の流れを太陽や星を使って刻んだわけだ。

もちろん、必要性があったから人は時間を発明した。まずは暦という形で、1年を刻む。植物を安定して栽培するためには必要な時間の把握だ。文明や社会の発展は、暦があったからこそだ。古今東西、目盛りの付け方はいろいろあったけれど、1年の長さや一日の長さは、天体の動きが目安になるのだから、どこであろうと変わらない。人々はより精度の高い暦を生み出そうと尽力した。暦を頼りに生活していた頃は、多くの人にとって一日の細かな時間などそれほど必要ではなかっただろうね。日出と日没、太陽が一番高く昇る時。あとは日の高さで一日のどれくらいが経過したかを推し量ればいい。時の流れも今よりはもう少し感じられたのではないのかな……時間ではなく、時の流れ、をね。

社会が近代化する過程で、一日をもっと細かく刻んでゆく。工場が出来れば、人の行動を時刻で管理し、労働を時間で量る。同じ時間でより多くの成果が上げることを目標にする。ひとりひとりの仕事を時間で量り、その成果によって評価する。今や秒単位で物事が変化する時代だ。一日は24時間、1440分、86400秒。僕たちは時を微塵切りにして一日を考えている。微塵切りばかり見ていては、最初の形は想像できない。時を言葉として理解していても、それを日々実感することは難しい。せいぜい、過去に過ごした時間を思い起こし、やっと時の流れを感じることができる程度だ。

もう一度質問するよ。

あなたは時をどう感じているのかな。

© 2025 加藤那奈 ( 2025年4月18日公開

作品集『REFLECTION』最終話 (全6話)

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