IV
ランニングシューズ、買っちゃったから。
そう答えることにしていた。
早朝に走っているとたまにクラスメイトに目撃される。運動部でもなく、学校の外でスポーツをしているようにも見えないし、実際していない私が走っていることが不思議なのだろう。私にも不思議なのだから当然だ。みんなその理由を知りたがる。理由なんてない、私自身もよくわからない、などとは答えにくい。なんとなく、ではかえって何かを隠しているみたいだ。かといって、健康のためだとかダイエットしてるんだとか、そのほうがみんな納得するかもしれないけれど、そんな嘘はなまじ私を知ってる相手に必ず嘘っぽく、余計におかしな憶測を誘う種になる。だから私は、笑いながら靴の所為にする。
可愛いかったから買ったの。でも、ランニングシューズでしょ。走ってあげなきゃ。
誰も本気にしないだろうし、どうしたって隠しごとをしているように思われるのなら、冗談半分前向きにはぐらかす。半分だけ嘘だけれど、半分は本当だ。
最初は普段履いている普通のスニーカーだった。私が早朝走っていることに気づいた母が、走る理由も問わず、走るならそれなりの靴を使いなさいと私を店に連れて行った。
ただの気まぐれだよ。いつ止めるか、わからないよ。
いいわよ。
初めて走るための靴があることを意識した。つま先が反り上がり、靴底は少し分厚い。知ってはいたけど、欲しいと思ったこともない。だから、店先に並んでいるのを見かけても、一瞥する程度だった。
好きなのを選びなさい。
いつも買っているようなスニーカーよりもずいぶん高くて、母の顔色をうかがったけれど、そんなことは気にしなくていいと言われた。だから、なんとなく女の子らしいデザインの、ピンクのラインの入ったランニングシューズを選んだ。
明日から、走らないかもよ。
それならそれでかまわないわ。
母が見透かしたように笑っていた。
私は少し嬉しかった。新しい靴を買ってもらったからではない。走るための理由を与えられた気がしたからだ。だから、クラスメイトにも半分は嘘をついていない。
翌日から新しい靴で走る。走るために作られた靴は、私を走ることから解放した。走らなくなったわけではない。脚が勝手に前に出る。地面の固さを感じない。走っているのがあたかも私の意志ではないようにさえ感じた。もしもタイムを計っていれば、少しばかりは早くなったに違いない。私は、走っていることをあまり意識しなくなった。ピンクの靴は私の惰性を援護して、走ろうと思った本当の理由――それがあれば、だが――から私をいっそう遠ざけた。私はとても気分が良かった。
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