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時、あるいは時間

REFLECTION(第6話)

加藤那奈

タッタッタッタッ、と、足音に合わせて呼吸を整える。
ハッハッハッハッ、と、口から息を吐く。
景色が変われば、人も変わる。
時間が違えば別人だ。もちろんそれは私も同様。
(2025年)

タグ: #ファンタジー #散文 #純文学

小説

21,148文字

XVII

 

時間が早く過ぎると感じる時があれば、なかなか時間が進まないと感じることもある。これは僕たちの心理的な問題だ。楽しい時間は早く過ぎる、が、焦って時間がどんどん過ぎてゆくこともある。つまらなくて時間が過ぎてゆかないこともあれば、のんびりゆったりした環境で時間がゆっくり流れているような気がすることもある。時間の経過をポジティブにとらえるか、ネガティブに思うかはそのときどきだ。緊張や興奮が時間の進行を早く感じさせるといわれる。弛緩や鎮静がその逆にあたる。これは脈拍の速度変化と関係していると考える説もある。僕たちはそのときどきで僅かではあっても時間の過ぎる速度をそれぞれに感じている。主観的な視点に立てば、時間の速度は一定でない。

客観的な計測に基づく物理学の世界でも、時間の速度は局地的に異なるようだ。例えば、宇宙空間よりも地上の方が遅い。重力が関係あるらしい。もちろん無視して全くかまわない程度ではあるが、海抜十数メートルの平地と標高三千メートルの山頂では時の速さが異なるのだそうだ。相対性理論での移動と時間の関係にも触れたいところだが、物理学の理屈については門外漢と称することさえ恥ずかしいほど無知なのでこれ以上のひけらかしはやめておく。ただ、時の流れが均一でないことは一考に値する。

少々乱暴に結論するなら、心理も物理もひっくるめて、僕たちひとりひとりは異なった時の流れを感じているわけだ。

時を河の流れに例えることには抵抗がある。だが、確かに大河の流れも均一ではない。河の中央と岸辺とでは水の流れる速さが異なる。曲がりくねる場所では内側に流れの遅いよどみが出来ることもある。ひとつのアナロジーとしては面白い。時にも淀みがあるかもしれない。河の淀みにはまり込んだ漂流物がそこから出られなくなるように、時の淀みにはまり込んだものは、そこから先へと進めず、ただ同じ時間にただ浮かんでいるだけ。時の中にいながらも、時の流れからは取り残される。

それはどんな気分なんだろう。

その時、もし眠っていたらどうだろう。

そして、夢を見ていたらどうだろう。

夢は現実の時間に同期しない。うとうとした短い時間には見合わない長さの夢を見ることもある。それは記憶の時間の影響なんだろう。記憶の時間は現実的な時のルールを軽く無視し、過去へ、未来へ、時を飛び越える。長い時間を圧縮し、短い時間を引き延ばす。連続しない時間の断片をモンタージュする。

時の淀みに留まりながら、身体を境界とした物理の時間と心理の時間が並列し、身体の内側でも生理の時間と記憶の時間を抱え、それぞれの時間がそれぞれの時との関わりを勝手に築き、きっと夢へと映り込むのだ。それはどんな風景だろう。

僕には想像できないし、想像できないことを考えてもしかたない。

だが、僕は、そんな夢を見ている人を知っているように思うんだ。

© 2025 加藤那奈 ( 2025年4月18日公開

作品集『REFLECTION』最終話 (全6話)

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