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時、あるいは時間

REFLECTION(第6話)

加藤那奈

タッタッタッタッ、と、足音に合わせて呼吸を整える。
ハッハッハッハッ、と、口から息を吐く。
景色が変われば、人も変わる。
時間が違えば別人だ。もちろんそれは私も同様。
(2025年)

タグ: #ファンタジー #散文 #純文学

小説

21,148文字

XV

 

おはよう。

今朝の君はどんな感じなのかな。淡々と走る君を見かけるたび、僕はなぜだか目を奪われるんだ。早朝にランニングしている人なんていくらでもいる。見かけたところでなんとも思わない。だけど、君だけが違うんだ。

君が可愛らしい少女だから、というのも理由のひとつかもしれないね。若さはそれだけで魅力的だ。でも、それだけじゃない。上手く言葉に出来るかどうかわからないけれど、そうだね……君が周りの風景に馴染んでいない、そんな印象があるんだ。僕以外の誰かが同じように感じるのかはわからない。だけど僕には、ほんの僅かではあるけれど、君の姿が世界から浮き上がっているように感じる。少し大げさに比喩するならね、君が走る向こう側の景色は、舞台の書き割り、あるいは昔の映画の合成画面のようになるんだよ。これはどういうことなんだろうね。

君に問うたところで、どうしようもないことはわかってるよ。僕の主観に過ぎないからね。風景だけじゃないかもしれない。君自身もどこかちぐはぐなんだ。走ることそのもの、走る姿、身体の動き、表情、足音、吐息、揺れる髪、ランニングウェアの皺。何もかもがほんの少しだけ調和していない。走り方がぎこちない、というわけではない。むしろ、きれいだよ。とてもきれいだ。作りもののようにきれいだ。だからこそ、微少な違和感が僕の目には大きく感じてしまうのかもしれない。

平たく表現するなら、現実感がない、ということになるのだろうか。だが、この表現はやや安っぽい。隙だらけだ。思考停止を促す常套句だ。現実も、現実感も都合のいい個人の主観に過ぎないことなどわかっている。舞台の上にもスクリーンの中にも、あるいは文字だけのテキストの中にも現実があり、現実感を醸し出す。夢さえ夢の中では現実だ。だが――制限された空間の中だけで成立していることだ。この目の前の現実にも同じことがいえるのだろうか? 世界は劇場のように空間が閉じているわけではない――と、反論する声が聞こえないでもない。だが、この世界は閉じていないのか? 閉じた、とは、どのような状態を指しているのだ。私達は外側から閉じていることはわかっても、内側から開かれていることはわからないのじゃないか。この世界もきっと閉じている。そして、ここで現実感が失われるのであれば、それは別の世界の現実が紛れ込んだからではないか。

つまり、君と僕は異なった現実に棲まうのかもしれない、と。

まあ、そういうことだ。

僕は目の前にふと現れた君という現象を目撃している。

ばかげてるかな。

いつかね、君に声をかけてみようかと思っているんだ。だが、それはいつだろう。時間はなんだか当てに出来ない気がするんだ。いや、もしかしたら、すでに君と僕は面識があってすでにたくさんの話しをしているのかもしれない。

© 2025 加藤那奈 ( 2025年4月18日公開

作品集『REFLECTION』最終話 (全6話)

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