XIV
発見から10ヶ月ほど経っていた。
彼は小さな個室にいた。病室ではなく物置、倉庫と表現するのがふさわしい部屋で、実際、彼が搬入されるまでは、そのように使われていた。
その部屋は彼の友人を名告る男が用意した。
得体の知れない状態の彼に困り果てていた医師や親族の前に男が現れたのは、彼が発見されて2ヶ月ほど経った時だった。男は彼の現状を詳細に知っていた。どこから耳にしたのかは不明だが、持て余していた医師や親族があちこちに相談していたので、どこかから漏れても不思議はない。
彼と同年配の男は、病院を訪れ、実際に様子を確かめ、自分の知っている情報を医師にとつひとつ確認した後、彼の体を安置する場を提供すると申し出た。
特に世話をする必要もないのだから、ただベッドに横たえておく場があればいいのでしょう? 医師は空調すら必要ないのではないかと考えを述べた。さすがにそれは失礼ですよ、と、室温だけは適度に保つことを請け合った。親族には、室料と光熱費の負担を要求したが、それは僅かな額でしかなく、本当はいただかなくてもいいのですが、それはそれで筋違いになるといけません、と。また、施錠はしますが、ご親族にはいくつか鍵をお渡しします。毎日とはいかないですが、私も週に何度かは様子を確かめることにします。カメラも設置しておくので、オンラインで外部からでも覗けるようにしておきましょう。
渡りに船とはこのことと、誰ひとり男の素性を確かめようともせず、その申し出を受け入れた。本当に彼の友人なのか、という疑問を持たなかったわけではない。他者との交流を極力避け、限りなく孤独に近い状態を築きあげていた彼の細々とした交友関係など知る者もいない。しかし、その真偽など追求してもあまり意味のないことだ。誰でもいいし、予期せぬ事故でもあって、彼の死亡が確定できれば、そのほうがありがたい。皆、そう思っていた。だが、何事もなく、彼は無事、自称友人の用意した小部屋に納められ、誰かが入室する時以外は灯りのつかない暗い部屋で、発見された時と同じように横臥していた。
親族は、彼の住んでいた部屋を引き上げると、他に何もすることがないことに気が付いた。死んだわけではないのだ。彼の財産は依然として彼のものだ。部屋に残っていたそれほど多くもない家財道具や仕事道具は、彼の納められた部屋に詰め込まれた。考えてみれば、もともといるのかいないのかわからないような親類だ。鍵は預かったものの、生きてもいなければ死んでもいない彼を訪ねる者はいなかった。ときどき誰かが、彼の様子をオンラインの映像で確かめるだけだった。
自称友人以外に、彼を1、2ヶ月に1度訪ねていたのは、最初に彼を診た医師だった。自分の手を離れてしまえば、それはただの興味の対象だ。とはいえ学術的な意図はなく、ただ、気になっていた。彼は部屋に入ると、脈を取り、呼吸を確かめる。そして、体温。相変わらずだ。そして、しばらくの間、彼の傍らに座って過ごす。ただそれだけだった。
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