RUE (3/5)

RUE(第3話)

加藤那奈

小説

13,828文字

彼女の話は彼の腕の中で紡がれてゆきます。たぶん。
そして、彼氏のお母さんのこと、恋愛のこと。
(2017年)

06 恋愛のこと

 

私に友達は少ない。

もっとも、これは友達という概念をどう定義づけるかの問題だ。私の心の中にある友達ハードルを少し下げれば、友達と呼んでもいい人たちもいくらかはいるし、表向きにも友達ですって紹介したりするけど、ちょっと親しい程度では相手のことを心から友達だと思えない。誤解があるといけないのだが、私が拒絶をしているというより、この程度で友達面する自分自身がおこがましいと思ってしまうのだ。どんなに向こうが

「私たち、友達だよ」って言ってくれても、ありがとうございますと、ただ恐縮してしまうだけなのだ。

「あんたは心を開かないからね」

マユがショートケーキを頬張りながら鼻先で笑っていた。

彼女は高校時代の同級生で、もう十年以上の付き合いになる。卒業して進路はばらばらになったけれど、くっつきすぎず離れすぎずの付き合いは、お互い大学を卒業して社会人になってからも続いていて、時々連絡を取り合い、気が向けば買い物に付き合ったり付き合わせたり、食事に誘ったり誘われたりしている。いつだったか一緒にお茶しているとき、私はたわいもない会話の端で友達の話題になった。彼女はとても社交的で、高校や大学の友達ばかりか、バイトや仕事で知り合って、プライベートでも友達付き合いしている人が何人もいるらしい。

「どうして心開かなきゃいけないのかな?」

その質問がそもそもおかしいんだけど――と、マユが苦笑いする。

「だいたい友達って、相手によって程度の違いこそあれだいたいそういうものよ」

だったらさ……私とマユは友達なのかな?

今更何よって言いたいけれど、ある意味それはとっても素敵な質問ね。質問に質問で返すのは反則だけど、あんたは私を友達だと思ってるの?

私はちょっと考える。

ええっ、考えるようなことなの?

マユは驚く振りで、面白そうに私を見つめる。

私は頭の中で何人かの比較的親しい人物を思い浮かべながら友達ハードルをどんどん高くしてみると、間違いなく彼女が最後まで残る。

そして、私はやっと頷いた。

「マユは友達……だと思う」

なんだか頼りないなぁ、と頬杖ついて私をじっ睨んだ。

「なら、間違いなく私はあんたの友達だね」

うん、よかった。私に友達いなくなるところだった。

「しかも親友レベルの」

親友か……どうしたの、私が親友じゃあ不満?

とんでもないわ。でも、私はマユに心を開いているのかな?

全く、全然、これっぽっちも開いてない。

でも、私はマユの友達、しかも親友レベルなんでしょ?

私は心を開くことが友達にとってのマストじゃないって思っているから。あんたみたいに全然他人と打ち解けようとしない女に友達って認められるなんて、ある意味凄いじゃない。親友どころか大親友よ。

友達ランクがさらに上昇した。なんだかごめんなさい、だ。私みたいなのが大親友で。

マユは私がまごつく様子を楽しんでいた。

だいたいさぁ、私があんたと腹蔵なく付き合ってるとでも思ってるの?

え?……あんまり考えたこともない。

うん、予想通りの答えで安心した。もっとも、あんたは私が全てをさらけ出したところで、ぽかんと眺めているだけだと思うけど。

そうかな……。

そうだよ。

マユと私の出会いはとってもありふれている。

高校一年のとき同じクラスで席が隣同士だった、というだけだ。そこは私立の女子校で同じ中学から来ている子は数えるほどしかいなかったし、その中に親しい子もいなかった。彼女も同じような境遇だったらしい。

公立の中学校は、周辺の公立小学校を卒業した生徒の集まりだから、小学校時代の人間関係もほぼ持ち越される。六年間に形作られた関係はそれなり強固で、新しい同級生が加わってもそれほど変わるものではない。「私、ミサイルなんだ!」と私が時々口走っていたことを覚えている子もいて、口の悪い男子から「おっ、ミサイル女!」とからかわれることもあったし、事情を知らない別の小学校から来た同級生に「ミサイルって何?」と尋ねられれば、別に隠すことでもないので「私が生まれた日にね……」と私とミサイルの関係を教えてあげたから「私=ミサイル」という等式をしばしば意識せざるを得なかった。

ところが、高校になってすべてが変わった。

小さな頃の私を知っている子はひとりもいない環境で「私=ミサイル」は次第に私の意識の表から奥へと引っ込んでいった。

それだけではない。

私は自分のキャラクターにあらためて気がついた。

よく、新しい環境で積極的に自分のキャラも新しくしようなんてする人もいるけど、私は環境が変わって自分のキャラをあらためて知ることになった。私はいつの間にか積極的に友達をつくろうともしない、シャイで大人しい生真面目な女の子、みたいになっていた。あくまで、みたい、でしかなかったけど。

私、いつからこんな子になってたのかな……すごく不思議だった。結局、中学までは小学校で築いたリソースを延長していたに過ぎなかったのだ。中学生になったからって友達作りに一生懸命励まなくても、六年かかって培っていたまあまあ居心地のいい人間関係があった。その中で、私は自分でも気がつかないうちに変化していたのだろう。ここは、成長、と言い換えてもいい。自分自身も、周りのみんなに対しても、少し突き放したような視点で眺めていたのだ。積極的でも消極的でもなく、まあ、適当にやっていた。

高校に入学し環境が変化して、中学時代そのままの自分自身が相対的に変身する。変わってないのに変わってしまう。地と図が裏返ったように世界が変わり、そのせいで私のポジションも変わる。九年間で馴染みきった舞台から離れて、意識もせずに演じていた自分の役柄がふっと明らかになる。必要以上に喋らず、大袈裟な感情表現をせず、いつもなにやら考えているかのような(かのような!)地味キャラ、みたいな。煩わしいコミュニケーションに対する気のない態度が大人しさと勘違いされ、無関心が小心と取り違えられ、私が誤解されてゆく。そして、それならそれで構わないかな、と、私はあっさり受け入れた。私はただ自然に私のままでいればいい。

「高校に入って隣を見たら、すごく大人しげな子だったから、とりあえずの友達としてこれでいいかってね」

いつだったかマユが笑っていた。

「そしたら、とんでもなかったわ。ハードルが高いどころか、走り高飛びでも追いつかない、棒高跳び級のバーの高さで、正直かなり戸惑ったんだよ。他のクラスメイトは物静かな子、くらいにしか思ってなかったかもしれないけれどね。最初の一年なんて、まるで親しみを感じなかったわ、私。でもね、頑張って飛び越えたつもりだよ、私」

そういわれれば、確かにマユと私は、それほど仲良しというわけでもなかった。

うん、そうね。遊び友達としては、私、もっと仲のいい子たちいっぱいいたしね。

私はと言えば、どうだったのかな。いつも一緒に遊ぶような、仲良し、というほどの友達はいなかったけれど、必ずしも孤立していたわけでもないと思う。嫌われてもいなかったんじゃないかな、たぶん。いくつかのグループの補欠みたいな立場だったような気がする。遊びに誘われれば、理由がない限り断らなかったし。

みんなあんたに興味があったのよ。

え、そうなの?

でも、あんた妙に儚げなオーラ出してたからね。

そう、なの?

あんまりしょっちゅう誘うと悪いのかなってみんな思ってたみたいだよ。

へぇ……。

なんて。

ん、嘘?

さあ、どうかな。

マユは私をいつもからかう。

でも、マユとは毎日お喋りしていたよね。進級してクラスが替わっても……気のせい?

彼女がうんざりした顔で溜息をついていた。

気のせいじゃないよ。時にはすれ違いざまの立ち話だったけど、学校休まない限り必ずお喋りしてたよ。だって、それって私の日課だったからね。デイリータスク。あんたをわざわざ探しに行ってたんだ。知らなかったでしょ。

どうして、そんなことしてたの?

だって、あんた、私のことが好きだったでしょ。

え、あ、うん……。

私も、あんたのこと大好きだったからね。ま、今もだけど。

衒いのないマユの台詞に私の方が照れてしまう。

私はどうしてマユのことが好きなんだろう……。

それってそんなに考え込むことなの?

それじゃあ、マユはどうして私のことを未だに大好きだなんていうんだろう。

可愛いから、無口っぽくてミステリアスだから、顔が好みのタイプだから、一目惚れだったから、云々――そうね……恋愛感情に近いわよ。あんたはどうか知らないけどね。

「だってさ、エッチなこともしたじゃない」

マユがニヤニヤする。

私たち、肉体関係だもんね。

そんな大それたことじゃない。じゃない、と思う。昔、裸で抱き合って、ちょっとキスして、悪戯っぽく体を弄りあった、それだけだ。

ねえ、私んちに泊まりに来ない?

高校二年の、確か春だった。違うクラスになったマユが私の教室にやって来た。座っている私の前で、腰に手を当て仁王立ちして見下ろす彼女の姿を覚えている。

今度の週末、うちの親たち出掛けちゃうのよ。田舎の法事だかなんだかで。だから、私ひとりで留守番しろって。それ、なんか寂しいじゃない。だからね、泊まりに来てよ。一緒に晩ご飯食べようよ。

どうして私を誘うんだろう。マユなら、もっと賑やかな友達がいそうだ。

なに、その怪訝な眼差し。

あんたのそんな反応は予測済みだよとばかりに、瞳をきらきらさせて、口元をにやり吊り上げた彼女の顔を覚えている。

イヤなの?

イヤじゃない、よ……。

大丈夫。下心なんてないからね……今のところ、だけど――ふふん、と鼻をならす――ねえねえ、彼女ぉ、俺んち親留守だからさ、泊まりに来なよぉ、何にもしないからさぁ……どう?

そんな戯けた誘いに私がどう応じたのかは覚えていないが、結局その週末、彼女の家を訪ねることになった。友達の家でのお泊まり会は中学の時にも何度かあったけど、でも、たいてい三人とか四人とかでたわいもないお喋りしながらゲームをしたりレンタルしてきた映画を見たりだった。ふたりだけ、なんてことはなかった。

その晩のことは覚えている。

時間が経ってぼんやりしてはいるけれど忘れていない。忘れられない。

マユと一緒に晩ご飯を作って食べた。マユの料理の手際がとても良くって驚いた。

一緒にお風呂に入って、身体を洗いっこした。

同じベッドで一緒に寝た。そして、恋愛の話をした。

そしてベッドの中で裸になって抱き合った。

それからキスして、ちょっとだけお互いの体を愛撫したこと。

女の子というのは、年頃になれば誰でも恋愛に憧れるものらしい。らしいって、お前だってかつては年頃の女の子なんじゃなかったのって言われそうだけど、私は恋愛というものが未だよくわかっていない。これまでにだって恋人らしき男はいたから、わかったような気になったこともなくはないけど、やっぱりわかってないと思う。

好きです、愛してます。

好き、愛してる。

言われたこともあるし、言ったこともある。

でもそれは、おはよう、とか、こんにちは、とか、いってきますとか、そんな挨拶とよく似ている。おはよう、おはようございます、と、一日のはじまりに交わしあっても、本来の言葉の意味なんて考えない……考えてないよね。それと同じように、相手を恋人と認定したから深い意味など特になく、好きだとか、愛してるってわざわざ言う。

異性を好きになる……それはわかる。

できることならいつも一緒にいたいと思う……少しわかる。

特定の異性に抱かれたいと思う……わかる。

特定の異性と家族になりたいと思う……よくわからない。

特定の異性の子供を産みたいと思う……わからない。

私にとって異性に対する距離は、今もこんなところだ。この距離感にどれほどの恋愛指数を読み取ることができるのだろう。私はその計算方法を未だ知らない。

「付き合ってる男なんていないでしょ」

あのときベッドでマユが唐突に聞いた。図星とはいえ、いないでしょ、なんて決めつけたような口ぶりが気にくわなかった。

「いるわけないよ、だいたいうちは女子校だし」

「女子校だけど彼氏持ち、まあまあいるよ。中学の同級生とか先輩とかさ、通学途中で男子から告られたって子もいるし。男との出会いなんて、その気になればいくらでも見つけられる。今までに彼氏とかいなかったの?」

うんとさ、それは、恋とか愛とかそういう話をしようとしてるの?

うん、そういう話、しようとしてる。

「彼氏なんていなかったよ」

「恋愛経験なし?」

「うん」

「じゃあ、処女?」

マユ、何が言いたいの?

私たちってお年頃じゃない。恋とか愛とかに憧れて、エッチなことにも興味津々でさ。乙女心が揺れ動く、不安定な思春期なのよ。で、どうなのよ? 経験あるの? ないの?

な、ない、よ。恋愛経験ないんだし。

普通に考えればそうよね。でも、恋愛と性体験は別って考え方もあるでしょ。

そうなの?

そうじゃない?

それで……マユはどうなの? もしかして、その、した、の?

ううん。私もまだ処女だよ。でも、時間の問題かも。

時間の問題?

うん。

彼氏、いるの?

まあね。

たぶん、そんなやり取りだった。

その時、マユがどんな男と付き合ってるとか、どんなきっかけだったかだとか、ふたりでどこへ行ったとか、なにをしたとかいろいろ話していた。細かいことは全然覚えていないけど、不自然に饒舌な彼女がいつもと違っているような気がしたことを思い出す。

「もしかして、マユは不安なの?」

小さな沈黙の後、マユがこくんと頷いた。
――うん……。

彼女はとても可愛らしかった。普段は賑やかなこの子も、男が関わるとこんなにしおらしくなるものなのかと、私は彼女の秘密を垣間見た気がした。

それでね、あんたにひとつお願いがあるんだ。

なによ。

私を抱いて。

抱いて?

抱いて。

冗談?

まじ。しかも、全裸で。

本気?

お願いします!

ベッドに入る前には一緒にお風呂に入ったのだから、裸になってハグするくらいは、まあ、いいか……ん、いいのか?

言っておくけど、私、その手の趣味はない、よ……たぶん。

その手の趣味って?

つまり、女の子同士で、その、あれだよ……。

ああ、大丈夫、私もないよ。私は男の子といちゃいゃしたいくちだから。

マユはあっけらかんと言った。

そうね――まもなく訪れそうなロストバージンのための予行演習みたいなもの、かな。だっていきなり男に抱かれるなんて、ちょっと想像できないんだよね。だから、まずは女の子で試してみようかなって。

それで私、なの?

うん。

あなたの中で、私はどんな役回りなのよ。

役回りって?

マユは私と違って友達いっぱいいるんだから、相手にはことかかないでしょ。

そんなことないよ。誰でもいいってわけじゃないんだから。だって……。

だって?

……遊びじゃないからね。

初体験に向けた真面目な練習ってこと?

うん。だから、大好きな女の子にお願いしたんだ。

大好きって……私?

そうだよ。

大好き、なの?

大々好き。

笑顔のマユが頬ずりするように顔を寄せた。

私のどこが大々好きなのよ。

そうね……なんだか訳のわからないところかな。女の子はね、ミステリアスなものに憧れるんだよ。

えっとさ、私も女の子なんだけど。

マユが私の眼をじっと見つめた。

「本当に?」

本当に、ほんとうに、ホントウニ……あのときの彼女の冗談めかしたその一言が未だに脳裏で谺する。彼女が私に向けた疑わしげな黒い瞳が鮮明に思い浮かぶ。私はとても大切なことを言い当てられた気分だった。気持ちが少し軽くなった。だから――って言っていいと思う。だから、私はマユと裸で抱き合った。生まれて初めてキスをした。いきなりのディープキスだった。ぎこちなく舌を絡ませる。前歯がカチンと当たって歯茎から頭蓋骨に響く。

案外難しいのね……これで童貞男子のめちゃくちゃ下手くそなキスも許してあげる余裕ができた。

処女が生意気に何ほざいているの。

次はさ、胸、触って。

少し大きめのマユの乳房はぼよんとしていて、私がそろそろ触れるとくすぐったそうに肩をすくめる。

男になったつもりで、思いっきり揉んじゃって――そんなこと言われても、私は男じゃないからよくわからない――舐めてくれない、乳首とか――男ってそんなことするの?――今度は私が揉む番ね――え、聞いてない……。

今から思えば他愛もないじゃれあいで、そこにセクシャルな欲望なんてこれっぽっちもなかった。それは互いの性器に指を挿入しても同じだ。むしろそこは不浄の部位で、入浴した後だとはいえ躊躇いがあった。自分のものならいざ知らず他人の性器を触るなんて、さらには指を入れるだなんて……私たち、なにしてるんだろう。結局、性的な欲求がなければ、体への愛撫なんてくすぐってるのとかわらない。中指一本入れたって、それはただの異物でタンポンの挿入とどれほども違わない。

どう、満足した?

うん、やっぱり女の子同士だし、結局私たちってまだバージンだから何にもわかっちゃいないのよね。女同士の方が気持ちいいって聞いたこともあるけど、私たち、まだそういうレベルじゃないんだね、きっと。そういうことがよくわかった。でも、ちょっとだけ心構えができたかな。あ、でもね、オッパイ揉むのはちょっと気持ちいいかな。

揉まれるのじゃなくて?

うん、揉むの。男の子の気持ちが少しわかった。

その後しばらくしてマユが初体験を終えた。

また、今度一緒に寝ようね。今度の私はひと味違うわよ。

うん、お断り。マユと裸で抱き合うことなんて、もうないわよ。

そう、それは残念。

そして、しばらくして私も男に出会う。

 

(続)

2025年1月7日公開

作品集『RUE』第3話 (全5話)

© 2025 加藤那奈

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