IV
私は、高層ビルの屋上にいるの。気がついたら屋上の縁に立っていた。深夜だと思うけれど、まだあちらこちらに残る不夜城の灯りが夜の空に滲んでいて、きっとその所為で星はかすんでいる。ただ細い月が仄暗い空の真ん中を切り裂いている。
周りには同じくらいに高いビルが何棟も建っている。寝静まった街は深海に沈んでいるみたい。街道や路地に残る小さな小さな街灯が星の代わりに瞬いている。ときどき天地がひっくり返ったような錯覚に陥るの。
まるで宙に浮かんでいるような感じ、かな。
その屋上はね、手すりも何もないの。コンクリートで固められているだけ。つま先がほんの少しはみ出るくらいの端に私は立っているの。
でもね、少しも怖くない。
一歩踏み出せば、暗い街の底に真っ逆さまになって落ちてゆくのかな、と、想像してみるけれど思い浮かぶのはひらりひらりと木の葉のように翻りながらゆっくりと降りてゆく自分の姿ばかりで怖いどころか、なんだか楽しくなってしまう。それは着ている衣装のせいかもしれない……私はフリルやレースやリボンの飾りがたくさんついた黒いドレスを着ていたの。もし、ここから足を踏み外しても、黒いドレスには夜の暗がりが絡みつく。フリルやレースが風を孕む。私はきっと宙を泳ぐようにゆっくりと降りてゆける。試してみたくなったけれど、今はそのときではない。きっと、そのときではない。
自分がどうやってこの屋上にたどり着いたのかまるで思い出せない。
そう、気がついたらいたの。最初からいたみたいに、いたの。
そして、私はすべてを受け入れていた。
私はゆっくり歩いてみる。底が分厚くヒールの高いエナメルの靴がコンクリートにコツコツくすんだ音を響かせる。だんだん足が軽くなる。ときおり飛び跳ねたり、くるんと身体を回したり。小さな声でハミングしながら、屋上の縁を踊るように辿ってゆくの。
ラララ、ルルル、ラララ。
スカートのフリルがひらひら揺れている。袖のレースが風に靡く。四角い屋上の縁をじっくり時間をかけて一周、二周。私の感覚は次第に研ぎ澄まされてゆくみたい。私は言葉には出来ない何かを感じ取ろうとしていた。黒い衣装のフリルやレースやリボンは、ひとつひとつが触覚になって、夜の暗がりに秘められた何もかもを私に伝えるの。三周目、四周目。私は南西の角に見つけた。きっとこの場所を探していたんだと、そのとき得心した。片足を軸に一回転、二回転、三回転。スカートが丸く広がる……うん、ここだ。
私は外側に向かって両手を広げ、弱々しい月の光を掌に受け止めるの。指先に意識を集中させる。時間の流れが停滞してゆく……もう少し。後もう少し……。
何かが指に触れた。
私はそれを絡め取り、そして掌にギュッと握りしめる。
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