II
――深夜、高層ビルの屋上に立つ少女がいる。
この噂が最初に囁かれたのは今から十数年前だと言われる。インターネットへの書き込まれたのがその頃というだけであって、もっと前から.流布していたとう説もある。噂とはそんなものだろう。たとえ明日生まれる戯言も、一部の者達にはずっと前から知られていること、と付け加えれられて広まってしまえば、発生の時期などわからなくなってしまう。デジタルデータとして残っていれば、一番古いものを特定することが出来るだろう。だが、あくまで残されているものの中で、だ。それ以前に書込まれ、すでに消されてしまったテキストの存在を否定することは出来ない。また、初めての書き込みに、僕の周りではしばらく前からこんな噂があるんだ、と、あくまで他者から聞いたことだと謳ってしまえば、発生源などわからなくなる。どこの誰が言い出したことなのかは気になるけれど、それを突き止める手段はない。
初期とおぼしきネットの噂が、その量は少ないながらも比較的短期間に広範囲に拡散したのは、普及し始めていたSNSのせいだろう。現存する最初のテキストの数週間後には、様々な言語で世界中に広まっていた。
ただし、それだけで、数ヶ月後にはだれも噂しなくなっていた。
深夜の高層ビルに立つ少女。手術台の上のミシンとこうもり傘のように想像力を刺激するモチーフだ。だがそれだけだ。そこには物語がなかった。物語のない噂は伝承されない。人の噂も七十五日。もしも、今日のように誰もがデジタルデバイスを所持する時代にならなければ、二度と浮上などすることなく、多くの些事と同様に忘れ去られ、すっかり消滅したに違いない。
眠っていた噂を掘り起こしたのは、一枚の写真だった。
なんのコメントもなく、ネットワークにアップロードされた不明瞭な写真。解像度が低く、ピントの暈けた暗い写真には、ビルの屋上の端に立つ人影が映っていた。分量のあるスカートが風に靡くようなシルエット。長い髪が風に舞っている。両手を前に指し出している――そう見えなくもない。この写真から、十数年前の噂を想起した者が少なからずいたようだ。現在確認できるもっとも古いタイムスタンプをもった写真の投稿は三年ほど前で、コメントも、他のサイトからシェアした形跡もない。ただし、それがオリジナルかどうかの判断は難しいところだ。アップロードした者が誰なのかは今のところ特定されていない。また、投稿者の本人が件の噂を想定していたのかはなんとも言えない。
いずれにせよ、視覚的な刺激は、イマジネーションの活性を促す。かつての噂と瞬く間に結びついたその写真は、ピンぼけで失われている情報を大量に詰め込まれ、多くの人の脳内で解像度を増してゆく。少女という設定はデフォルトで、服装や髪型が次第に絞り込まれ、共有され、伝播する。彼女にまつわる物語がいくつもいくつも描き出される。同時に目撃情報が世界から発信され、少女は存在感を増していった。
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