XVII
地下鉄で妙な気配を纏った少女と出会った。
レースやフリルがふんだんに施された黒い衣装を身に纏っていた。その身なりだけなら目立ちはしても、街でときおり見かけるゴスロリ少女でしかない。少女は揺れる列車の中で、手すりにも吊り輪にも掴まることなく立っていた。その身体は少しも平衡を崩すことなく、他の乗客がときおり足下をふらつかせる中、厚底の靴を履く彼女だけは、わずかにらよろめきくことさえなく、ただ、すうっと立っていた。黒く長い髪の向こうのその顔を覗きこめば、肌の白さに表情がよくわからない。顔立ちは整っているように思うけれど、目をそらした途端に、思い出せなくなってしまうほどに儚い。衣装に反していかにも存在感がない。人形のようだと思った。じろじろ見つめるわけにもいかず、ぼんやり車内を眺めるふりして視野の端に黒いドレスを掴まえていた。
乗客の中で彼女を気にしている者は他にいない。
幽霊でも見ているのではないかと自分の目が疑わしくなる。
停車駅のアナウンスに彼女が首を捩る。扉が開くと下車する人の群に混じってホームへ出て行く。本当は、もういくつか先の駅までゆくつもりだったのだが、どうしようもなく気になって思わず彼女を追ってしまった。階段を上り、改札を出て、ターミナル駅の人混みを掻き分けるでもなく、隙間を縫って遠ざかる彼女を追いかけた。
地下道を過ぎて、表に出ると薄暗くなっていた。高層ビル街の半区画ほど向こうに彼女の姿をとらえたけれど、彼女は半分、夜のはじまりに溶けている。気づかれてもかまわないと、急ぎ足で追いかけているのに彼女との距離は縮まらない。いよいよ暗くなる景色にだんだん溶けてゆく彼女は、むしろどんどん遠ざかってゆく。
見失っても諦めきれずに、高層ビルが何棟も建ち並ぶ街を彷徨っていた。同時に、自分自身の行動の異常さに呆れ果ててもいた。一風変わった少女をたまたま見かけただけではないか。どうして後を追おうなどと思ったのだろう。夢を見ているのだろうか。こんな夢ならありそうだ。悪い夢なのか良い夢なのかはわからないが、夢ならば、すべてが記憶の断片だ。少女もこの頭の記憶が引き出したものなのか。引き返すべきなのか、夢の醒めるのを待てばいいのか。自分の判断さえ信用できず、立ち止まって、夜空に裂け目をつくる細い月を見上げた。
歌が聞こえた。
歌、だと思う。
それは誰かを呼ぶような、誰かを誘っているような歌だった。
耳を澄ませてみたけれど、どこから聞こえてくるのかはわからない。ただ、もうひとつの歌を見つけた。会話するようなふたつの歌声に、不安と安堵を掻き混ぜる。耳を澄ます仕草と塞ぐ仕草に戸惑う。
根拠はないが、その片方が黒い少女の声だと確信した。
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