高層ビルの少女について

加藤那奈

小説

20,208文字

高層ビルに立つ少女とその噂についてお話ししたいと思います……。(2022年執筆)

I

 

朝ね、クローゼットを開くと、なんだか違和感があったの。うん、違和感。いつもとは違うような気がしたの。いつもと違わないはずなのに、違っている。間違えて知らない人のロッカーを開けちゃったような、そんな感じがして、すぐに閉めちゃった。見てはいけないものを見ちゃったような焦り? すごく動揺したの。

本当はもう中を見たくなかったんだけど、出来れば開きたくなかったんだけど、そういうわけにはいかないでしょ。もうすぐ出掛ける時間だし、着ていく服、出さなきゃいけないし。時計とにらめっこしながら、把手に指をかけながら、しばらくの間、どうしようか困っちゃった。出掛ける時間と準備の時間、逆算して、ぎりぎりまで粘ってたんだけど。

仕方ないかって。

目を閉じてね、ゆっくり扉を開いたんだ。

目を閉じててもね、さっきと同じような違和感、みたいな、いつもとは密度や成分の違う気体が溶け出してたち籠もっているような、とにかく、ヘンな感じがした。ヘン。ヘンな感じ。ざわざわしたんだ。心がささくれ立つみたいにね、ざわざわって。ゆっくり目を開けた。開けたくなかったけど、そのまま、適当に手探りで何着か引っぱり出せば事足りるとは思ったけど、でも、なんだかね。見なきゃイケないかなって。その原因を自分の目で確かめなきゃいけないって。そしたらね、あったの。目をこらして探すまでもなく、視野の端に絡みついてきた。
ん? うん。別に危ないものじゃなかった。危なくはないけど、あるはずのないもの。

黒い、ドレス。

ラックの端に掛かっていたんだけど、わざわざ出してみなくてもフリルやレースがたっぷり施されているボリュームのあるドレスだってわかった。こんなの着たこともないし、もちろん買った覚えもない。昨日まではなかったドレス。妙な力を感じた。クローゼットの空間を歪ませている。捻れた空間が停滞した時間を絞り出している。時計が止まってしまいそうなねとねとした空気がクローゼットの外にも零れ出す、みたいな。

え、ううん、そんな気がしただけ。した、だけ。寝ぼけていたのかもね。醒め切っていなかった夢に、束の間襲われたのかもね。時々あるでしょ。目覚めた直後に夢と現実が混ざり合っちゃっていることって。ある、よね。そのときは、そんな感じだったのかも。でもね、その見覚えのない黒いドレスはずっとそこにあったの。私が眠っている内に誰かが忍び込んで置いていったの? 何の為に? どんな嫌がらせなの? 意味がわからない。

で、どうしたか?

うん……どうしていいかわからなかった。

視野の隅に絡みつかれたまま、私は身動きできなかった。のかな。しなかった。のかな。時間がずいぶんすぎたようで、実際にはほとんど経っていなかったんだ。気がついたらね、触っていたの。指先に黒いレースが絡まっていたの。なんだかね、気持ちよかった。

2025年1月5日公開

© 2025 加藤那奈

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