課題範囲『レイヤ 二』までに物語のおおよその構図は明らかになったが、いくつかの謎が残っている。
一つ目はダフネの存在だ。
原口孝夫(王)がレイア(大木玲)に対して自分を虐めた岩田フネのよう振舞いたくなったとき、香水をつけてダフネになりきったと書いてある。しかし、レイアの視点で原口がダフネ、レイアと一緒の部屋にいた描写が幾度となく登場する。たとえば、レイアが原口と一緒にダフネの悪口を紙に書いたときだ。ダフネが部屋に入った時に原口は座っていた。そのときにダフネの糊の効いたスカートがレイアに触れている。原口が立ち上がった描写をあえて省いたのであればアンフェアになる。ダフネから王に切り替わるときも不自然だ。香水の匂いはそう簡単には消えない。それに男の原口が声色を変えて女性のダフネになりきることができるとは思えない。また王女としてかわいがっているはずのレイアに深夜、呪詛を唱えるのはなぜなのか。
以上のことかえらダフネは二人いると考えた。一人目は当然原口だ。地の文に嘘がなければそうなる。レイアを攫ってきた当初は原口がダフネだったのだろう。その後ダフネは他の人間に変わった。もう一人のダフネは原口の恋人なのではないだろうか? そうであればダフネがレイアにかける呪詛も納得できる。
二つ目は兵士の存在だ。
原口は事あるごとにポケットに入れたブザーによって兵士に呼び出される。兵士とされる人間が原口の原稿を待っている出版社の人間だとしたら英語を話す意味が分からない。また、原口の不在時にレイアに食事を持ってきたということは、出版社の人間が原口に息子(娘)がいることを知っていたことになるが、原口がレイアを攫ったのは十代だ。十代の人気作家に子供がいるとすれば大きな話題になるだろうが、そのような記述はない。しかも原口は兵士に別荘を出るときに兵士に「ゴー」と言われ、戻るときに「カモン」と言われている。原口は捕らわれの身であることを示唆されている。しかし、そこから導き出る答えが全く思い浮かばなかった。
最後は「ムーンレイカー」についてだ。
最終章のタイトルになっているムーンレイカーは王である原口が言葉の意味を説明している。ムーンレイカーがこの作品にどうかかわるかを考えたとき、私はここまでの推理を考え直すことにした。作者が読者をムーンレイカー、馬鹿者として嘲笑っているのではないかと思えたからだ。王も王女も存在しない。レイアは病院で攫われた人間で、男だった。それらにカタルシスを感じた読者がさらなるカタルシスを求めるさまをムーンレイカーとしているのではないだろうか。兵士の存在、不自然な記述、つじつまが合わない事柄、それらに答えなどないのだ。
「レイア 二」までの記述は作中作である。「ムーンレイカー」でこれらについて編集者から答えを求められるが、原口は明確な答えを述べずにこの作品は終わる。
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