そういう内容のエセーがあったが、一般衆より知見がある人間はそれを隠して生きてるらしい。ほろほろ落花生氏のぱるんちょ巡礼期でも食堂で難しい文学を原文で読んでマウント取ろうとしたけど、ヤクザかなんかのオッサンが漢字ドリルかなんかやってて、恥じた、って内容があった。
まあそれ繋がりで思い出したのだが、作者名は伏せるがほろほろ氏が大学時代、とある現代のメインレーン文学を読んでて、高橋氏がなんか普通だな、と言ってしまう部分があった。
私の思うところ。少なくとも五大文芸誌の賞から出た作家の文学なんて、誰かしら読んでるって意味では、全部ふつうの文学だ。
だから、インディーズを読もうなどと言う気はない。
ふつうの文学をなんとか読んでる人間がかろうじている国で普通じゃないものなんて商業じゃ受け入れられないのだ。
平山夢明を本気で文学と言っても、ハルヒを文学と言っても、なんか普通なのだ。
セカチューでも、新海誠映画でもエロゲのAIRやFateでも普通だ。
核心を言おう、ふつうに読まれてるものでふつうじゃないよこれ…なんて文学なんてこの国にはない。
正直ライブハウスの落書きを本気で文学というくらいで、やっと、え、それはふつう文学じゃなくない?となるんじゃないのか。
別にオーケンでも佐藤友哉でも普通だ。
ふつうじゃないの条件。
誰も知らない。
これを満たす作品はローカルファイルの夢小説くらいである。
とね。この意味ないテキストがスマホで書いた完結した作品としては処女作である。
バカにできねえな。スマホ執筆勢。
破滅派のUI直打ち優秀じゃね?自動保存だし。
"2025/12/03 普通の文学とはなんぞ?"へのコメント 0件