自殺機
川崎宏平(作成協力・茅ヶ崎花架)
二〇〇五年、四月二四日午後二時一〇分。
その日は街の祭で、街中賑やかにごった返していた。あちらこちらに派手なデザインで「祭」と書かれたのぼりが立ち、美味そうな匂いと湯気を漂わせる屋台が何軒も並ぶ。珍しさではしゃぐ子供達、そんな我が子と楽しそうに手を繋ぐ親。老若男女、みんな楽しそうな笑顔だ。
大通りではパレードが行われ、華やかなコスチュームを着たブラスバンドやチアガール達が、パフォーマンスを繰り広げる光景が見られた。そのパレードを見ようと、多くの野次馬達が歩道に群がっていた。
そんな賑やかな大通りから少し奥まった所に、今時珍しい、昭和モダンを漂わせる造りの小さな喫茶店があった。
「いやぁ、すっきりしたよ! いつもありがとうマスター、お蔭で三キロ位は減ったかも知れないなー」
『二時間ドラマの貴公子』との呼び声高い、超人気俳優小野寺純は、三日振りの宿便から解放されて清々しい気持ちで便所から出た。余りの爽快感に、思わず声も大きくなる。
すると喫茶店のマスターが、気まずそうな顔付きでこちらを見ている。不思議に思って店内を見渡すと、つい一時間前にはいなかったはずの客が、五・六人入っていた。小野寺の声に顔をひそめた客の一人が、そのまま小野寺の顔を凝視する。
「おい、アイツどっかで見た事無いかね?」
「ああっ! ひょっとして、お、おのでら!」
窓際に座った恰幅の良い中年男が、こちらを指差して言った。
「ええっ!?」
そこへ若い女のカン高い声が、男の声にかぶるように飛んできた。
「きゃー! イヤだ、本当? 俳優のオノジュン(小野寺純、略してオノジュン)だわ! 信じらんない!」
二〇代前半と思われる女が、驚愕の表情を浮かべたままこちらへ近付いて来る。小野寺は、先程の事を弁解するに足る、上手い言い訳を考えながら、しどろもどろに言う。
「いや、違うんだ。三キロは三キロでも、今日はたまたま偶然ドラマの読み合わせで、ここを拝借してだね。それで、三キロ戦っていたんだ!」
自分で言っていて、正直訳が分からない。やはり、考えが纏まらない状態で話すのは、良くない。案の定、彼女は呆気に取られた顔をしている。
「えーっと。あー、そうなんですか? さすが、お忙しくて大変ですねっ! あ、その、サイン貰ってもいいですかぁ?」
「ああ、いいよ」
小野寺は、気さくに答える。するとそれに便乗する様に、窓際に座っていた老人が腰を浮かせた。
「おおっ、じゃったらワシにもサインをくれんかの? ついでにオナゴも二ショットでパチリ……」
「――ちっ」
それを止めるように、老人の差し向かいに座った中年男が、忌々しそうに舌打ちした。
「ケッ! 確かにカッコ良く澄ましていらっしゃいますよね、カメラの前では。なぁ爺さん、あんなちゃらちゃらした奴に構ってないで、話の続きをしようぜ」
「おお、すまん。話の途中じゃったな」
老人は浮かせた腰を落ち着かせて、中年男と神妙な面持ちで話をし出す。
そんな様子を横目で見ながら、先程の彼女に腕をひかれてカウンター席へと誘われた。彼女が取り出した真っ黒な手帳には、某有名新聞社のロゴが入っていた。一緒に差し出されたサインペンで、手帳にサインをしつつ、小野寺は芸能人としての落ち着きを取り戻していった。書き終った手帳を女に返しながら、小野寺は営業用の笑顔でたずねる。
「君、記者さんなの?」
「はい。まだ新米で、大した仕事させて貰えないんですけどぉ。今日は、お祭りの取材で来ました」
「祭の?」
喫茶店は、祭が開催されている大通りから、少し奥まった場所にある。何故この新人記者はわざわざ、こんな所にいるのだろう。
「祭りのパレードは、ここからじゃ見えないと思うけど?」
「人ゴミに疲れちゃって、今は休憩ですぅ」
女記者は照れ笑いをした。
「あたし、この店初めてなんです。マスター、ここのお店のオススメは何ですか? それを、彼にお願いします」
女記者はカウンター越しに、店主というには多少若いマスターへ声を掛ける。するとマスターは、意味有りげに薄笑いを浮かべながら、何も知らない彼女に向かって言う。
「お嬢さん、この人はね、いつもエスプレッソ五〇〇ミリって、決まっているんだよ」
「いやマスター、今日はもう勘弁だろ?」
苦笑で切り返す小野寺を、マスターがさもおかしげに、声を立てて笑った。
実は小野寺はこの喫茶店の常連であり、いつもエスプレッソを五〇〇ミリリットル注文する。そうでもしなければ、頑固な便秘は解消されないからだ。小野寺は、既に今日の分は飲んだばかりだったのだ。
マスターと小野寺のやり取りを見ていた女記者が、小首を傾げて小野寺に問う。
「オノジュンさんってー、ここへ良く来られるんですかぁ?」
「うん、まぁね」
「『まぁね』じゃなくて、もう常連だよ。三日に一度はいつも……」
ともすれば、余計な事まで言い出しかねないマスターに、片手を上げて制する。
「ストップ! マスター、本当にもういい加減にしてくれよ」
「いやいや。小野寺さんはからかい甲斐のある人で、嬉しくなっちゃうね」
おどける様にマスターが言うと、小野寺はやれやれとカウンターに頬杖を付いた。それを聞いた女記者は、途端に目を輝かせる。
「えー、本当ですか? じゃああたし、毎日ここに通っちゃおうかなー? 実はあたし、オノジュンさんが出演されているドラマは、毎日欠かさずチェックしているんですよぉ。もちろん全部標準録画してて、それを毎朝必ず出勤前に見てるんですぅっ」
「そ、そう。それはありがとう……」
あまりの熱狂振りに小野寺は思わず引きそうになるが、それを何とか押し止める。引きつった笑顔でそう言うのが、今の小野寺には精一杯だった。
突如、窓際の席に座っている老人が大声で笑った。小野寺は驚いて、そちらへ振り返った。それに気付かず、老人は向かいに座った中年男に言い放つ。
「馬鹿を言うな、二日連続なんて。しかも今日は、大通りの方で祭がやっているんじゃぞ?」
「祭が何だ? 祭が人を救うのか? いや、違うね。こんな日こそ、死にたがる奴がいるんだ」
中年男は薄笑いをして、老人に言い返した。小野寺の隣に座っていた女記者が、複雑な表情を浮かべて呟く。
「あの二人、変な話をしてますねぇ」
すると小野寺の後ろの席に座っていた男が、テーブルの下から向かいの椅子を腹立だしそうに蹴飛ばした。派手な音を立てて倒れた椅子を、カウンターから出てきたマスターが素早く元の位置へ戻す。近付いたマスターに、男は声を掛ける。
「マスター。ここからの景色、何とかならないんですか?」
「さぁ、僕に言われてもね」
マスターは苦笑いで答えた。そそくさとカウンターに戻ってきたマスターに、小野寺は囁く。
「あの客、随分態度悪いね。私は初めて見るけど、マスター知ってる?」
「いえ、あの人はそこの駅員さんで。あちらにいる中年男性と、馬が合わないんですよ」
悪い人じゃないんですけどね、とマスターは付け加えた。
この喫茶店の窓ガラス越しには、ネオンが眩しいパチンコ屋が見える。そこから小さな路地を挟んで、私鉄の駅がある。きっと男はそこの駅員だ。その景色が良く見える窓際の席で、中年男は自分の胸を叩いて言う。
「昨日今日と俺はツイててね、そこのパチンコ屋で二日連続大フィーバー! 俺には見えるんだ、玉の動きが。ここに入るってね!」
中年男はガラス越しに、細い路地を指差しながら続ける。
「そして、人間の動きも見える。今日も大フィーバーだ。二日連続、あの道に入って行くね!」
その言葉を言い切るかどうかのタイミングで、先程の駅員が乱暴に机を揺らして立ち上がった。勘定を済ませて出て行く時、首だけ老人と中年男に向ける。手開きのドアを閉める前、駅員は彼らに言い捨てる。
「お前らは、殺人以上の事をやってるよ」
老人は弾かれた様に一瞬腰を浮かせるが、ドアは荒々しい音を立てて閉まった。老人は戸惑いの表情を浮かべたまま、崩れ落ちる様に椅子に座り込んだ。それとは正反対に、中年男が面白くなさそうに横目でドアを見る。
「ハッ! 綺麗事抜かしてんじゃねぇよ、駅員ごときがよ。ホームに飛び込まれるより、迷惑じゃねぇだろうが。あれがあるから、駅員達に楽させてやってるっていうのによ」
「あ、ああ。そうじゃな……」
「なんでぇ、爺さん。あんな奴の言った事、気にしてんのかよ? ま、あれの価値が分かんねぇ奴には、一生分かんねぇさ」
そんな不穏な雰囲気に興味を持った小野寺は、思い切って二人に近付いた。
「面白い話ですか? ネタになります?」
中年男は小野寺を見ると、片眉を上げた。
「テレビの世界の人間には縁の無い、暗い話だよ」
「自殺装置の話じゃよ」
「爺さん!」
老人がいとも簡単に言ってのけたので、中年男が叫ぶ。
「自殺装置? 何だそれは。聞いた事ないな」
小野寺は小首を傾げた。すると中年男が、声を荒げる。
「てめぇの知らないルートでの情報だ、教えてたまるか! 爺さん、何でこいつなんかに教えんだ! テレビで暴露されんぞ?」
中年男の言葉に、老人が目を剥いて声を弾ませる。
「オォ、ワシの作らせた作品が、とうとう公共の電波に!」
「バカヤロウ! 撤去されたらどうするんだ!」
中年男がさらに声を荒げた。二人のやり取りに顔をしかめた女記者が、馴れ馴れしく小野寺の腕を取る。
「ねぇ、オノジュンさん。そんな変な人達と話してないで、あたしとこれからお祭りで輪投げでもしませんかぁ?」
しかし、小野寺はそんな気分ではなかった。老人と中年男のやり取りの方が、よっぽど興味があった。
「前から言おうと思っておったが、お前さんはワシの自殺機に口出しするな! 誰に教えようと、ワシの勝手じゃ。だいたい、こんなひなびた喫茶店に呼び出しおって。昨日から、ワシは気分が悪いわ!」
老人の言葉を聞いたマスターが、珍しくコーヒーをこぼした。
「初めてナマの自殺者を見たからって、デリケートぶるな。ジジィが作ったんだろうが!」
「だってあんな若いのが、あっさりあの道へ入ってしまうだなんて。絶対、トイレと間違えたんじゃない。ワシ、あの無表情が頭から離れんよ」
老人は頭を垂れて、横に振った。
小野寺は話に入り込めず、再びカウンター席へ戻って来た。椅子に腰掛けながら、女記者に話し掛ける。
「自殺ねぇ……。君は、死にたいと思った事ある?」
小野寺の唐突な質問に、女記者は驚きの表情を浮かべ、視線を彷徨わせた。少し考えてから、明るい口調で答える。
「まっさかぁ。あたしは、いつも前向きだしぃ。でも芸能人って、色々大変なんでしょ?」
小野寺は頷き、自信満々で言う。
「スゴく大変で! 明日にでも死にそうだよ」
小野寺達の和やかな雰囲気とは逆に、老人と中年男の話はますます激しさを増した。
「よし、そこまで言うならワシにも考えがある。今日誰も死ななかったら、ワシはあの俳優に自殺機の事を全部話してやるぞ!」
「俺には見えてるゼ。今日は大玉があの道に入る! そうしたら自殺機の情報も管理も、俺に一任させてくれ。公けにならないよう、有効活用してやる!」
突然、小野寺の腹が不調を訴えたので、トイレに行こうと席を立った。その時、小野寺の胸元から携帯電話の電子音が鳴った。
「お客様……」
マスターが口元に人差し指を当てて、大仰に注意した。背後には「携帯電話の御使用は御遠慮下さい」と、書かれたポスターがあった。
小野寺は謝る手振りをして、外へ出た。電話の相手は、小野寺のマネージャーだった。だが電波状況が悪く、声が途切れ途切れになってしまい、良く聞こえない。
「――ジュンさ……明日……と謝れ……よ……」
「はいはい、好調ッス! そちらこそ、お疲れ様!」
元気に挨拶をして、電話を切る。どこか電波が届く場所は無いものかと探している内に、小野寺は駅の近くまで来ていた。何とはなしに振り返って見ると、喫茶店の窓から老人と中年男の姿が見えた。二人してこちらを指差し、口角泡を飛ばしていた。
小野寺は不思議に思って、あたりを見渡した。すぐ近くにある、パチンコ屋と駅に挟まれた狭い路地に目をやった。
「この奥に、例の自殺機があるのか? そんな、まさかなぁ」
信じ難く肩を竦めつつ、小野寺は薄暗い路地へ入って行った。それを見ていた老人は恐ろしくなって、トイレへと駆け込んだ。
しばらくするとトイレのドアが開き、老人が口をハンカチで押さえて出てきた。中年男が茶化すように声を掛ける。
「よぉ、どおした? 真っ青になって」
老人は中年男を無視して、マスターに金を払う。
「マスター、釣りはいらないから。色々面倒掛けたのう」
ふと、女記者は壁に掛かった鳩時計を見た。
「オノジュンさん、まだ帰って来ないわ。帰っちゃったのかしら?」
眉をしかめる彼女に、老人はそっと呟く。
「ああ、お嬢さん。彼はいってしまいましたよ。……あっという間だった」
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