この街は日が暮れると様子が変わる。
あきらかにサイズがあっていないダークスーツに、濃いグレーのシャツをあわせる無神経な男や、ぬらぬらと光るドレスなのかキャミソールと言うべきなのか、脱がすにはちょうどいい布に包まれた女が行ったり来たりする。
大通りから少し外れた立体交差点のたもとでは、性別があやふやな立ちんぼがポツネンとしているし、やけに襟足が長いオールバックの男が、鈍く光るステンレススチールのアタッシュケースを携えて、あたりを伺いながら足早に通り過ぎる。
仄暗い公園では、娼婦が前屈みで指を絡めながらベンチを暖めているし、明け方のぱっとしない定食屋では、国籍がよくわからない夜の女が器用に箸を使いこなしている。
そんなところだ。
街に入り、人々をすり抜け、地下のバーに入った。ジョーは奥の席に座っていた。
「待たせたな」俺は手前の椅子を引いて腰をかけた。
ジョーは無言で頷いた。すでにビールを飲んでいた。
俺が頼んだコロナ・エキストラが運ばれてきた。ジョーのグラスに瓶をぶつけて儀礼的な音を鳴らした。
「面接官なんて、くそったればかりだ」ジョーは肩をすくめた。「俺が言っている意味はわかるだろ?」
宙をさまようように俺は頷いた。ジョーは酒を飲むと決まって言葉が強くなり、巻き舌気味になり、しまいには壊れたレコードプレーヤーのように同じ話を繰り返す。どうやらすでにそこそこ飲んでいる。
「うまくいってないのか? 就活」
「質問に質問で返すが、うまくいっているように見えるか? この俺が」
俺は目を細めてあやふやに相槌を打った。
「たかだか数十分の形式的なやりとりで、いったい何がわかるんだとあえて問いたい」ジョーはそう吐き捨て、グラスに半分以上残ったビールを一気に飲み干した。勢いよく店員を呼びつけ、おかわりを注文した。
ジョーはいたって真面目な男だ。二日酔い以外で講義をサボらず、落ちているゴミを残さず拾い集めるようにして几帳面にすべての単位を取ってきた。なかなか悪くない大学に通っている。酒を飲み過ぎることに目をつぶれば、わりと優良な学生だ。真面目なところが欠点であり、弱点だ。
「いかにも真面目に働きそうなのにな、お前」
「真面目さなんて求められていないに違いない」ジョーはさもおかしそうに手をひらひらとさせた。「お前はどうなんだ?」
ジョーは喉を鳴らしながら、おかわりしたビールの半分ほどを一口で飲んだ。それから大きく息を吐きだして俺を見た。
「落ちているところもあれば、進んでいるところもある」
「俺よりかなり順調なわけだ」呪詛めいて響いた。
「たまたまだ」
「お前そういうとこあるよな。要領がいい」
「土壇場に強いだけだ」
「お前がうらやましいよ」ジョーはグラスに半分くらい残っていたビールを再び一息に飲み干し、プレイバックしたように勢いよくおかわりを注文した。俺の一本目のコロナ・エキストラはまだ半分以上残っている。
「うらやましいだって? 俺なんて単位はギリギリもいいところだし、教習所だって途中で期限が切れて余計な金を支払う羽目になったんだぜ。俺からしたら、物事をきちんと片づけられるお前がうらましい」
「過程よりも結果だろ。結果に結びつかなければ何の意味もない。余裕を持って卒業できても無職だったり、ストレートで車の免許を取ったって、目も当てられないくらいに運転が下手くそだったら意味はないさ」
それはそうかもしれない。ジョーの運転は壊滅的なセンスで、助手席に乗って戰慄を覚えたほどだった。生まれて初めて死の恐怖というものを身近に感じて、すぐに交代した。
そんなことを考えているうちに、ジョーのビールがやってきた。長くも短くもなく、硬くも柔らかくもなさそうな前髪を几帳面に手で分けてからジョーはグラスを受け取った。何の変哲もない黒髪のショートカットで、高校生くらいからずっと同じ髪型をしている。目を離した途端にどんな髪型だったかいつも思い出せなくなる。
ジョーは更に三杯飲み、俺がもう一杯飲んだところでバーを出て地上に上がった。ネオンがナイフのようにぎらついていて、往来する車の運転はいつも通りに荒々しく、あらゆる種類の苛立ちをぶつけるように時折クラクションの音が響いた。
「もう一軒行こうぜ」ジョーは言った。
カラオケボックスに入った。俺らはだいたいいつも、こんなふうに思いつきで遊んできた。小学生の頃から飽きもせずに。
ジョーは歌って踊った。マイクを持って器用に踊った。歌う曲はなぜだか決まって女アイドルの曲だったが、ジョーの柔らかく響く声と不思議にマッチしていたし、踊りのキレだってなかなか悪くない。ひょっとして陰に隠れて一人でこっそりと練習でもしているのかもしれない。
歌唱を超えて、絶唱の向こう側を目指すジョーを眺めた。てらっとした汗が額に滲み、腹の周りがなだらかに起伏している。動きに合わせて右に左に、上に下にと、固めのゼリーが慣性の法則にしたがって揺れるように、腹を包んだチャンピオンの青いカレッジTシャツが小刻みに震えている。
太くも細くもないカーキのチノ・パンツは、太ももと尻の周りがぴたぴたに張りついている。腹と顎と肩が丸くなった。ニキビだらけの顔は小学生の頃から変わらない。
カラオケを出て、更に一軒ということで歩道橋のふもとにある小汚い店に向かった。自動ドアをくぐると、愛想がよく薄気味悪い中年が揉み手をしながら出てきた。顔にカビが生えているように見えた。
「どの子になさいますか?」と尋ねられた。俺は「誰でもいい」と告げた。ジョーは母乳が似合いそうな女を指名した。
待合室で待つことなく席に通されて、そこから先はあまり覚えていない。ドブ川に入り、流れのままに沈んでいくようだったことは覚えている。
"日が暮れると、このあたりでは"へのコメント 0件