見えているのは螺旋階段を登っていく足だ。幅の狭い三角形に靴底の影で判を押し、休みなく動き続ける左右の足。こ、こ、こ、こ、と鳴るメトロノームのように乱れることのないその足を、君は傍観している。足だけが他人のもので、そのほか、骨盤の上あたりからが君、ということらしい。胴をぐるりと囲んだ縫合を境に互いが独立し、片方だけが運動している。見るほどに離れて行くようで、決して離れることがない。
この足は男のものだ。君がそう思い起こした途端、縫い付けられた糸が地面へと繋がる。遥か下にあるはずの地面へと。糸は伸びるが切れることはない。血と肉をもった体として上半身が立ち現れる。中世の拷問危惧を連想してしまったせいだろう。男が段を重ねる度に増していく緊張感に怯え、君は先回りしてあたらしい悲劇を用意する。「もしこの糸が抜け落ちてしまったら、耳が壊れてしまう」と。けれど一体この夢のどこに音があるというのだろう?
遊園地の一日無料チケットを手に、友人と二人で電車に乗る。暑い夏の日だ。車両に書かれた、数字ともアルファベットともつかぬ記号、あれは何だろう。何かは分からないけれど、とにかく今日は暑いね。そんなふうな会話がほつほつと続き、駅を通過するだびに増えていく沈黙に、少し気が急く。
向かいの席に太った女性が座っている。いつからそこに居たのか知らない。太鼓のようなリュックサックを抱え込み、「しょうがないな」と喉の奥で呟きながら小さな袋を開けている。シュークリームだ。食べ終わると、また一つ取り出して食べた。あまり美味しそうには食べない。実に「しょうがない」感じで食べる。食べ終わると、また一つ。そうしてずっと食べ続ける。
私と友人が電車を降りるとき、彼女もリュックサックのジッパーを閉める。まだ中にたくさん詰め込まれているようにで、ぶくりと膨れたままだ。
「ひょっとしてあの中身は全部シュークリームだったのかな?それにしては重そうだったね」ホームで友人に聞くと、何のことかと聞き返された。見ていなかったのだと言う。流れてしまった話題を惜しみつつ、公の場で他人を見つめるのは失礼だと思うと、そう言っていたのはいま隣を歩く友人だったろうかと思い起こしている。前へ前へと急がぬように、歩幅を揃えながら。
「それにしても、今日は暑いね」
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