「結構上手でしょ? 良く褒められるんだ」
穂花はフェラチオの最中、性器から口を離すたびに、どうでもいいようなことを喋った。
それが彼女の仕事なんだろう。金で買われた一時間の間、彼女は性器を吸い、同じ分だけ言葉を吐く。沈黙を嫌う彼女のリップサービスは、生き延びるための息継ぎのようだ。
「上手いよ。今までで一番気持ちいい」
嘘だ。なぜ嘘をつくのか自分でも分からない。彼女のプライドの為だろうか。何を言おうと、何をしようと、同じ時間と同じ金額が消費されるだけなのに。僕の人生の中で一番気持ちよかったフェラチオは、昨日されたものだった。その男は僕の体を一万で買った。
大きな失恋をした。一人で生きる術を完璧に構築した僕の人生に、あの娘は無理矢理割り込んできた。そうして幸せの定義が着古したパジャマのゴムのように伸び切ったころ、あの娘はいなくなった。別に穴があいたわけじゃない。ただ、生きるために何かで僕を膨らませないと、立てなくなっただけだ。別にあの娘じゃなくたっていい。だからマッチングアプリをはじめた。
最近のマッチングアプリは男から男へもメッセージを送ることができる。誰の心にも引っかからなかった僕に、その男からメッセージが届いた。
「かわいい顔してるね。二万円あげるから会ってくれない?」
送り先を間違えているのかと思って無視していたら、追撃が届いた。
「男の子をフェラしてみたいんだ。君は何もしなくていいから」
よく考えてみれば、別に僕を膨らませてくれるなら相手は女の子じゃなくったっていい。気持ちよくなれて、お金も貰えるなら今の僕にはうってつけだ。すぐに会うことになった。
車で迎えに来てくれたその男は、びっくりするくらい端正な顔立ちをしていた。
「俺ゲイじゃないんだよ。ちょっと前まで彼女だっていたし。別にゲイじゃないけどフェラしてみたかっただけ」
連れて行かれたホテルでことがすむと、男は誰かに言い訳するようにまくし立てた。少なくとも言い訳の相手は僕じゃない。それに、男は口下手で嘘がバレバレだった。その男のフェラチオは明らかに手慣れたものだった。
「初めてのフェラが君みたいな可愛い子で良かったよ。でもホテル代もかかっちゃったし、一万円でいい?」
ホテルを出て、しわくちゃになった一万円札を眺める。僕は自分の体を量り売りした。最後には値引きシールまで貼られて、やっと僕の体に価値が生まれた。自分に値段が付くのは随分と気持ちのいいものだ。本心かどうか分からない言葉を投げかけられるより、よほど分かりやすくて気分がいい。
側溝に向かってゲロを吐く。気味が悪いほどに理屈は通っている。体は気持ちがいい。頭は先ほどの体験から生まれるメリットを叫び続けている。気持ちが悪い。僕を構成する全ては良い気分だと言っているのに。たぶん、僕以外の世界が僕を気持ち悪がっているんだろう。
英語でフェラのことをBlowjobと言うらしい。僕は文字通り膨らまされて、またしぼんでいった。
一万円札が不潔なものに思えて、財布にしまう気さえしなかった。使ってしまおう。全く価値の無いことに使ってしまおう。自分の体に無価値を取り戻そう。薬局で咳止めを買った。コンビニで酒を買った。行けるところまで電車に乗った。僕から価値が削れるたびに世界はいつもの無関心を取り戻していった。
学校へ行く度に、精神科へ通う度に、目にする駅名があった。電車に乗るときは、大抵嫌な場所へ向かう時だ。そんな時はいつも、その終点の駅に心が飛んだ。体は悲しいほどに、主人に対して反抗的だ。レールの上をまっすぐに走り、決められた距離で止まるようしつけられている。心はよく言うことを聞くが、哀れなまでに臆病だ。定められた道筋を外れるほどの勇気はない。だから、いつも終点の駅に心があった。
その駅には本当になにもない。終電でそこまで来てしまった惨めな人間たちが、今晩の宿を求めて吸い寄せられる汚いホテルがあるだけだ。ホテルは客を呼ぼうとする努力を何もしない。駅のホームよりマシでさえあれば、馬鹿がドアをくぐるからだ。ホテルは自分のことをホテルだと思っていないだろうし、客も自分を客だと思っていない。自らを天秤にかけて、価値を捻出し歩く肥溜めがそれを買う。そういう意味では僕とホテル、そして穂花は同類だった。
一度でも体を売った人間は、同類を簡単に見分けることができる。だから、僕は行ったこともないホテルがどこにあるか調べなくても見当がつくし、駅前の路上に座り込む彼女の境遇も手に取るようにわかった。世間の目が交差するふるいにかけられて、つまってしまった同じ穴の貉だ。僕は彼女の隣に座って、残った金をすべて目の前に置いた。動物に言葉はいらない。彼女も同じように金を出して、僕の金と混ぜた。金は誰の物でも無くなった。
角部屋で穂花が息継ぎを済ませた後、同じベッドで寝た。目を覚ますと穂花は消えていて、一通の手紙だけがそこにあった。
「探さないでください、と書くとあなたは役割が生じたことに喜々として、躍起になって私を探すでしょう。ですから、思う存分に私を探してください。地獄と天国はあなたの庭ですから、私はそこへは行きません。あなたから一番遠くて、それでいて手を伸ばせばすぐ触れられる場所へ私は逃げます。あなたから逃げるのではありません。自分から、自分に付けられた価値から、あなたが私に向けた価値から逃げるのです」
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