14.山上ノ楽園
—— MEMORY_FREQ: 428 Hz ——
「辞める。」
「おう、辞めろ辞めろ。クソガキが。」
「アキラ!待てって!給料どうするんだ、お前!」
「いらねえよ、バーカ。」
——TUNING: >>> 440 Hz ——
中指で握り込んだブレーキレバーに抉られて、左人差し指の第二関節が赤い生皮を剥き出していた。ワイヤーアジャスターを反時計回りに回してストロークを5ミリ減らす。
傷には当たらなくなったが、制動点が絶望的に遠ざかったレバーは伸び切った中指から握力を奪い、小石を噛んだブレーキシューとリムはキーキーと痛々しい音を立てる。
視線が右手に移る。——あの時、引っ込みが付かなくなって店を飛び出し、怒りに任せて冷蔵庫をぶん殴った時に潰れた、右中指の拳頭。
その中指を、右だけ内側に寄せたUNVARYのツーフィンガーレバーの先端にかけてみたが、手首が不自然に曲がる感覚に耐えかねてすぐに人差し指に戻した。
「ハル、休憩。」
干からびた喉に水を3回流す。左手に注いでハルに飲ませると、剥がれた皮膚の熱が一瞬奪われすぐに戻る。
太陽は登り道に入った時より傾き、西の空がわずかに焼けて遠ざかっていた。
「……行くぞ。」
†
右のポケットで太ももにべったり張り付いていたスマホが、足を踏み出すたびに浮くようになった。
右足裏の腱が焦げるような痛みで歩調が偏り、そのせいで股関節が嫌な方向に転がる。
ハルのリードは少しも弛まない。長い舌を垂らした口が吐く荒い排熱音は、テンポ良く砂利を刻む音と淀みなく同期して俺の足を回し続ける。
——ガツン!
「い゛ッッッ……!!」
右の脛の肉が薄いところを分厚いアルミ削り出しのペダルが強打し、何本も突き出た鉄のピンがカーゴパンツの綿生地を貫いて皮膚に噛みついた。
「ぐッ……ふぅーッ!……」
「……ん?」
骨を突き抜ける痛みにしゃがみ込んだ高さから、木々の隙間、斜面を10メートルほど下ったところに見える明るい空間に目が奪われる。
「……ハル、行ってみるか?」
バイクを担ぎ、周りの木に掴まりながら、落ち葉で滑る崖のような斜面をゆっくり降りる。
トップチューブが食い込む右肩、クランクとペダルがぶつかる背中。その痛みが飛ぶほど気が抜けない、足元の石や倒木。
斜面を降り、立ち塞がったのは、腐葉土で下部が埋まった菱形金網のフェンスだった。亜鉛メッキが剥がれ、錆びて膨張した網が破れて、一部は覆い尽くした蔓に締め殺されたように引き倒されている。
その奥に立つのは、コンクリートが剥落し、錆びた鉄筋を晒した投光器の柱。割れたレンズは鳥の巣で埋まり、垂れ下がった高圧ケーブルが、風で柱を叩き続けていた。
フェンスと投光器の下を抜け、一面草や若木に覆われ、虫や鳥が飛び交う空き地に入る。
中央付近の低木の日陰に腰を下ろす。伸縮リードに付け替えてハルを繋ぎ、バッグの中で潰れた菓子パンを取り出して胃にねじ込んだ。
伸縮リードが掠れた摩擦音を上げ、すぐに伸び切って繋いだ木を揺らす。リードの先でハルは地面に鼻を押し付けながら落ち着きなく歩き回っている。
ハルが背の高い草むらの中に消えたのを見て、俺はバッグから「狐穴電耳」を取り出し、圧電アクチュエータを左耳に装着した。
磁界閉環器を立て、「街の絶望を埋葬する鉄の墓標——グラウンド零」を地面に突き刺し踵で深く叩き込む。
地面に置いた狐穴電耳の傍に肘を付き、齧り付くようにグッと顔を寄せると、周囲の草に阻まれて風音が消えた。
柔らかい虫をつまむようにそっと黒鉛式整流点プローブを持ち上げる。
それを「世界の不可逆性を検出するカミソリディテクター」の青光りする虹色のブレードに、薄い酸化皮膜を破らないようそっと下ろした。
ガリガリッ!——ザザッ!——
「——ッッ!!」
"春14|アイの楽園—俺と彼女が犬に食べられるまでの365日"へのコメント 0件