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梅雨の終わりでも暮らし

藤田

クーラーも扇風機もない六畳の間から   

小説

4,254文字

ゲリラ豪雨が降る。十五分してぴたりと止む。あたり一面に強烈な陽射しが照りつけ、瞬く間に晴れわたるや、今度はゴロゴロと雷が鳴りだす。やがて大粒の雨が屋根をバチバチと叩きはじめる。外に出ることができないので暇つぶしにスマホをいじる。CPU相手に半荘打つ。ネジ抜きゲームのコマーシャルがしつこく流れる。ツイッターでトレンドに上がっている情報を漁る。得体の知れない動画が再生される。新興政党の街宣車のまわりに人があつまって揉めている。揉め事の当事者が、政治団体の中年男性を標的と見定め、執拗に追いかけて顔を撮ろうとしている。撮られている相手のほうも何やら口汚い言葉を発しながらこちらにスマホを向けている。おそらくお互いがお互いにスマホを向け合っている状況なのだろう。暴力行為に至る寸前のところで撮影者と相手の中年男性が威嚇、挑発を繰り返している。まわりには新興政党の支持者と、それに敵対するグループの人々がたくさんおり、あと少しで乱闘になりそうな厳めしさと末世感がある。映像の揺れが激しい。まるでブノワ・デビエの撮った映画のようだ。被写体を不快な気持ちにさせることで暴力を誘発してやろうという撮影者の悪意もさることながら、撮影そのものが相手の中年男性によって物理的に妨害されている。盲滅法なパンとチルト。誰かの汚いサンダルが映る。よれよれのTシャツ。オートフォーカスが混乱している。男はレンズを手で塞ごうとしたり撮影者のスマホにつかみかかったりしている。カメラはインメルマン旋回しながらトルネード・スピンして四回転ジャンプの着地に失敗する。畳が脳天に突き刺さる。隆起したアスファルト。無精髭。痘痕で荒れた肌。脂ぎった、排泄物のような色の顔面。中年男性がフレームアウト/フレームインを繰り返している。どこの誰かもわからない臭そうな感じのおっさん。ときには相手の感情を逆なでするためにへらへら笑ったりしている。やがて顔が大写しにされ、接写され、黒ずんだ鼻の毛穴までくっきりと映し出される。昨今のスマホに内蔵されるカメラの高性能化が臭そうな感じに拍車をかけている。油蝉の大合唱が耳をつんざくこの季節に、屋外で、汗だくになって、相手のことを大声で口汚く罵り、暴力を煽り、スマホを向け、さきほどまで見ず知らずだった人間の鼻の穴を、白髪混じりの鼻毛を、鼻糞を、スペイン式決闘もかくやと思える距離で撮影し合っている。

梅雨の終わりを告げる長雨が上がった次の日、殺人的熱波の到来によって二階のベランダで育てていたミニトマトのプランターが全滅した。雨が上がって晴れた日は、前の日に降った雨の量にもよるが、だいたい灌水作業を省略できる。そうして二日ぶりにベランダに出てみたら、トータル百個近くあったミニトマトの実がほとんどすべて腐っていた。無事そうに見える実に触れてみると、全体的にぶよぶよしており、どこからともなく黒い液体が滲み出る。ジュリア・デュクルノーの映画で描かれるエンジン・オイルのような膣液を彷彿させる。鼻に近づけると、やはり腐った臭いがする。無事そうに見えただけで中は完全に腐っている。気温も摂氏35度を越えはじめると、花も咲かず、実も生らず、生っていた実も見事に腐る。いっぺんに収穫しても食べきれないからとそのままにしていたのが仇。早めに採って冷蔵庫に入れておけばこのような事態は防げただろう。トマトの腐った忌々しい臭気がベランダに漂っており、それを嗅ぎつけた大小様々なハエがそこらじゅうを飛び交っている。ベランダはハエどもの楽園と化している。まだ腐って間もないトマトの実にはカメムシのようなカナブンのような黒い甲虫が喰らいついて離れようとしない。剪定鋏で真っ二つにしてやろうと刃を近づける。甲虫はトマトの汁を吸うのに夢中でこちらの存在に気づいていない。

「死ね」

シャキンと鋏を閉じたが空振りに終わる。甲虫はすんでのところで危険を察知し、透き通るような薄茶色の翅を広げるや、モーターのような振動音を轟かせながら飛び立ち、今度は反対にこちらに襲いかかってきた。うわーっと悲鳴を上げ、剪定鋏をふりまわして追い払う。スクールバスの到着を待つ小学生の群れが、その様子を見上げて呆然としている。つまらない突発性のイヴェントに対し、ある者はあからさまに失望の色を浮かべている。肩をすくめながらドアを開け、屋内に退避する。所定の場所に剪定鋏を投げ捨てる。

階段を降り、外に出てポストを確認する。古本屋から小包、日本年金機構から封筒が届いている。自室に戻り、マグカップ内に立ててあるスライド式のカッターナイフを取り出し、封筒の隙間に刃を入れ、そのままスーッと切り裂く。手を突っ込んで引っぱり出し、中身に目を通す。保険料の納付書がたくさん入っている。月毎に分けられているのだ。一枚だけ高額なものがある。その紙で一年分まとめて払うことができるらしい。まとめて払うといくらか安くなるシステム。十一か月ぶんの利息と考えることもできるが、それにしては安すぎる。十一か月後の物価が今日と同じであるとも考えにくい。同封された三つ折りの紙を広げる。保険料納付の免除を受ける方法について書かれている。早速マイナポータルのアプリを立ちあげる。もう何年使っているか忘れてしまったスマホはあちこち傷だらけだが奇跡的にディスプレイは無傷に近い。目と耳が11を象っている兎のキャラクターのアイコン。四桁の暗証番号を入力すると、マイナカードをセンサーにぴったりとくっつけるよう指示がある。せっかちな手つきで財布の収納スペースからマイナカードを取り出し、スマホにくっつける。いつまで経っても読み取られない。しびれを切らし、マイナカードを覆っているセロファンのようなペラペラした透明な袋を外す。裸のカードをくっつけると振動とともにすぐに読み取りが完了する。もう必要ないと思ってカードを財布の収納スペースに仕舞う。アプリを操作しているうちにまたカードをスマホにくっつけるよう要求される。財布の収納スペースからカードを取り出し、透明な袋を外し、スマホにくっつける。読み取りに失敗する。アプリが落ち、同じことを最初からやり直す。さんざん悪態をついてマイページに到達し、納付免除の申請を済ませる。スマホを伏せて机の上に置く。飲みかけの紅茶を飲む。ひどく不味い。

届いていた小包の包装を歩きながら毟り取り、手でぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に突っ込む。マーケットプレイスで1円になるまで待って買った文藝春秋の芥川賞全文掲載号だ。だいたい一年くらい待つと1円まで下がる。そこまで下がれば、何かしらの消費活動によって少なからず蓄積されているAmazonポイントというもので賄える。そうなるまでに市立図書館に出向くなりして読むこともできたが、結局そういうことにはならなかった。二年前に単車で転んでディスレクシアになってから図書館に行く機会もめっきり減った。粋がってガラスのテーブルに頬杖をつき、やたらと文字の多い雑誌をぱらぱらやる。その年は受賞者が二人いた。たしかその次も二人いた。そのせいで今回は該当ナシになったのだろうかと邪推しつつ、本文を読むともなく読む。内容は理解できないが比較的易しい日本語で書かれていることだけは直覚的にわかる。

「クアトーかよ」

カップに浸けっぱなしのティーバッグを避けるように啜る。蛾の幼虫を煎じ詰めたような紅茶を静かに飲み干す。布団の上に雑誌を投げ捨てる。

畑に着いて自転車を降りる。使わなくなったアルミ鍋で桶の水を汲みあげ、プラスチックの如雨露に移してゆく。満タンにすると8リットル入る。川の水をバケツで汲んで溜めたせいで、桶の中には数匹の小魚が紛れ、活発に泳いでいる。藻もたくさん浮いており、底のほうはひどく濁っている。そのまま使うと如雨露が目詰まりするので、先端の蓮口と、それから内部に嵌め込まれている格子状のフィルターをあらかじめ外してある。すると水が勢いよく飛び出し、畝の土を崩したり、狙ったところになかなか水をやれないという弊害も起こるが、蓮口を取り付けてちまちま水を与えていたのでは時間がかかる上に、藻が詰まってくると水の出が著しく悪化する。結局は蓮口やフィルターをすべて外して用いることになる。如雨露をゆっくり傾けることで水の勢いをコントロールする術を身につけるしかない。使い古して凹んだり変形しているアルミ鍋の中に小魚が混入する。無視してそのまま如雨露に入れる。満タンになる。

「テメエはここで畑の肥やしになるんだよ雑魚が」

口笛でセント・トーマスのメロディを軽快に奏で、誰もいない夕暮れ時の畑を歩く。如雨露の水を空芯菜の畝に撒いてゆく。茎や葉が青々としてよく育っているが、欠株も目立つ。水が尽きるころ、小魚が畝の上に転がり落ちる。口をぱくつかせ、湿った土の上でびちびちと跳ねている。小さな鰓を懸命に動かしている。怨めしそうにこちらを見ている。

およそ二カ月前、長さ五メートルの畝いっぱいに空芯菜の種を蒔き、九割以上が発芽したが、毎朝水をやりに行くたびに芽の数が減っていることに気がついた。いちいち数えないので気がつくのに遅れたのだ。畝の上には何かの動物の足跡があり、残った茎には何かの動物に齧られたような跡もあった。隣の畑のおばさんによると犯人はキツネということだった。先月この辺一帯の畑のトウモロコシを全滅させたのも狐だった。それで隣町の猟友会から派遣された無口な大男が、畑に侵入した狐の親子を旧ソ連製の散弾銃で仕留めた。撃ち殺した獣の毛皮を剥ぎとり、丸裸にした肉のかたまりを串刺しにして畑の目につくところにさらしておいた。見せしめだ。悲しそうな目をして死んでいる仲間が、死してなお惨たらしい姿でさらし者にされているのを見ると、狐たちは好物のトウモロコシをあきらめ、畑にも寄りつかなくなる。

畝に防虫用のネットをかけてからは食害もなくなった。生き残ったエンツァイたちはすくすくとよく育っているが、策を施すのが遅すぎたせいで七株にまで減ってしまった。最初は確実に四十以上の芽があった。地面からにょきにょき伸びて分岐した弦を剪定鋏で切ってゆく。弦の中心は空洞になっており、細長いホースのようでもあるが、すべて空洞というわけではなく、節のところに白い仕切りのような弁のようなものがある。なんとなく竹の構造に似ている。切られてもまたすぐに伸びてくるタイプの野菜だ。

© 2025 藤田 ( 2025年8月6日公開

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