4月中旬から下旬にかけ、Juan.Bは東北を旅していた。帰省も観光も兼ねた一人旅である。何ら目新しいことは無い、愉快も不愉快も混ざった旅だった。ただ、俺を無言で迎えてくれるものが一つ。

盛岡に来るたび、盛岡城跡公園の石川啄木の碑に表敬訪問する。

 

「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし十五の心」

石川啄木(石川一)は盛岡第一中学時代は反抗的な生徒として有名であった。度々学校をエスケープ(死語?)しては、この城跡公園に逃げ込み、詩のように哲学書や文学を読みながら過ごしたという。19世紀末の盛岡には、この城跡公園の景色を遮るような高層建築は無かったから、岩手山の雄大な景色も良く見えたはずである。もっとも、郷里の渋民なら、一切何も邪魔されることなく、岩手山が眼前に迫っているのだが。

 

4月13日、石川啄木が亡くなってから106年、107回忌。その日偶然近くに居合わせた縁から、渋民の宝徳寺で行われるという啄木忌に参列しようと思い立ち、俺は渋民に向かった。

IGR、いわて銀河鉄道線に乗り、盛岡から二十数分ほどで渋民駅に着く。ここから、看板の表記によると、開催場所の石川啄木記念館及び宝徳寺までは歩いて27分だという。

渋民駅舎からして、啄木の詩札だらけで、いかに郷里で愛されているかが分かる。この札は他にも渋民地区各地の商店や街角に貼られていた。

 

川や畑など、平たい風景を眺めながら、看板に従い歩き続ける。この日の朝、岩手山は雲に隠れていた。啄木を悼んでいるのだろうか。渋民ではどこにいても岩手山が良く見える。電線や道路の見えない場所に立って眺めれば、それはおそらく100年前に石川啄木が眺めていた風景とほぼ同じだろう。

そして石川啄木記念館の辺りにたどり着いた。渋民駅から歩いて27分とのことだが、そのような感覚はなかった。当然、関東より空気はうまいし、景色は美しい。

石川啄木の107回忌がまさに行われる、曹洞宗宝徳寺に入る。石川啄木が幼少期を過ごしたゆかりの寺である。啄木が過ごしたという部屋もあり公開されている。

県外から来た普段着の旅行者にもかかわらず、地元の人びとは暖かく迎え入れ、席を用意してくれた。感謝に絶えない。ここに来て気付いたが、啄木だけでなく妻の節子の写真も並んでいた。

その後、盛岡市長(副市長が代理参列)による挨拶、住職による般若心経の読経、地元の詩吟サークルや合唱サークルによる啄木の詩を基にした作品発表などが行われ、啄木と節子の死が悼まれた。県外から来た者は少なかったが、地元の人と変わらず焼香に参加することができた。

「一握の砂」などに代表される作家・記者としての啄木、学生時代の奔放さや貧困生活など無能力さの代表としての啄木、あるいは記者という立場から大逆事件に非常に早く反応し資料を残した社会主義先駆者としての啄木。ついでに、観光資源としての啄木。その全てが渋民、そして岩手では受け入れられている。26歳の短い生涯で、石川啄木は多くの事績を残した。私の好きな啄木はやはり城跡の草地に寝転ぶ啄木だが……。

 

閉会の後、地元の人びとは主に地元の研究家による講演に向かったが、私は滞在時間がやや限られているため、そのまま周辺を観光することにした。

啄木の間には、拓碑が並んでいる。石川一が啄木の号を編み出した部屋でもある。

 

宝徳寺の入り口から見る岩手山。啄木が見ていた風景だったに違いない。

 

この日、石川啄木資料館は入館無料となっていた。等身大の石川啄木人形が出迎えてくれる。

資料館を出て右手にある、移設された渋民尋常高等小学校(左)と明治時代の民家の面影を残す旧斎藤家(右)。手前の銅像は、教師時代の石川啄木と生徒たちである。石川啄木は1906年から1907年までここで代用教員を務めた。英語の課外授業なども率先し、子どもたちに親身になり授業を行い、「日本一の代用教員」を自称した。

尋常高等小学校の中はどうも陰鬱な雰囲気が漂っている。この建物は説明によると1960年代まで公民館のような建物として使われていたというからそれもそれで凄い。1967年に取り壊されそうになったが、啄木ゆかりの建物として無事移築保存されることとなった。

啄木もこの教壇に立ち、子どもたちとともに英語の発音を張り上げたのだろうか。

 

渋民にはこの他にも、啄木と仲が深かった与謝野鉄幹・晶子夫妻の詩碑や数多くの風景の名所などがある。そのまま足を資料館敷地の外に運び、私は有名な啄木詩碑第一号へ向かった。

1922年に啄木の詩碑として初めて建てられた、「やはらかに柳あをめる北上の岸邊目に見ゆ泣けとごとくに」の碑。

側の桜の木と、背景の岩手山とともに見られる絶景のポイントだ。残念ながら今回は季節を外してしまったが……。

岩手山の雲は晴れていた。

 

まだしばらく眺めていたい気持ちもあるが、またの良い機会にとして、帰りのバス「白樺号」に乗りに私は記念館前まで戻った。

またその後、盛岡市内中心部にある「啄木新婚の家」や「もりおか 啄木・賢治青春館」にも向かうのだが、それはまた別の機会としたい。

渋民は石川啄木と文学、そしてそれを育んだ自然を満喫できるとても良い場所である。ぜひ機会があれば来られることをお勧めしたい。