キレのある甘味が肉を引き立てる

甘味も、一般的なハヤシライスにくらべると独特だった。

今回の実食に先駆けて、筆者は比較対象としていくつかのハヤシライスを食べている。あらためて世間一般でのハヤシライスの基準を確認したかったからだ。ひとつは上でも挙げたハウスの咖喱屋ハヤシで、大衆的レトルトハヤシの代表とした。ひとつは銀座ライオンのハヤシライスで、こちらは昔ながらの洋食屋の味の基準とした。もうひとつは、ウェブ上に転がるいくつかのレシピを参考に自作したオリジナルだ。これは、ハヤシライスの構造を理解するためのものだった。

数か月前につくった筆者の自作ハヤシ 丸善ハヤシより赤味が強い

それでわかったが、どうにも市販のハヤシライスは甘ったるすぎる傾向にあるようだ。糖類の添加が多すぎるためだろう。それはカレーとの差別化のためかもしれないし、世間でのハヤシのイメージがそれだけ甘いというだけのことなのかもしれない。しかし市販カレーがそうであるように、市販ハヤシもそもそも混合油を使いすぎているので、糖分が多いと後味としていつまでも舌に残ってしまってスパイスが台無しになる。脂と糖分がやたら多いということは、要するにジャンクフードなのだ。

丸善のハヤシビーフは違う。砂糖もたしかに使用されてはいるが、ミルポワ由来のコクやチャツネのフルーティーさを引き出すためのバランス調整役のような立ち位置に感じられた。スイカに塩を振るような感じだ、というとさすがにアナロジーが過ぎるか。なにより脂の質も良いのだろう。口にあるあいだは甘いのに、飲み込んだあとには肉の味がしっかりと残る。これほど「牛肉を食べている」という実感の強いハヤシライスはこれまで食べた記憶がない。

もっとも、「しつこくない」というだけであって、口に入れたときの甘さ自体はわりと強めの部類に入るといえる。カルダモンやセージなどのがっつり効いたスパイシーなハヤシライスが好みだという人には、少々物足りないかもしれない。ここは好みの問題だろう。

 

ハヤシライスは牛肉料理だ!

ドミグラスに対する捉え方の違いも、特徴のひとつではないだろうか。一般的なハヤシライスはドミグラスありきでのレシピ構成に思えるのだが、丸善のハヤシビーフはここでも「牛肉が主役」といったスタンスを貫いているようだった。

そもそも早矢仕の牛肉煮込みは「ハヤシライス」という概念が確立される以前のオリジナル料理であるわけだから、レシピ上の制約も道標もなにもなかったはずだ。ハッシュドビーフやビーフストロガノフからの影響が皆無だったとはさすがに思わないが、本職の料理人ではない早矢仕だけに「再現」という意識はあまりなかったのではないか。

原材料には牛肉・タマネギが先頭に記載されており、変わった食材も使われていない

現在の丸善ハヤシビーフも、スパイスを何種類使うだとかフォンドヴォーを何時間煮込むだとかに執心するより、牛肉のポテンシャルを引き出すことに主眼をおいているのだろう。足し算よりは引き算の料理であるように感じられた。近年のカフェ文化における新しい世代のハヤシライスとは逆のベクトルといえよう。

もちろん牛肉も、むやみに「やわらかい」「とろける」などと言いたがるだけの連中を切り捨てる気満々の、肉らしい肉の味だった。最近の赤身肉再評価の流れは、ここ10年ほどの「食」のブームのなかではめずらしく良識的で建設的なブームだと個人的には思っている。やわらかいものが食べたいだけなら、マシュマロでも食っていればいい。この丸善ハヤシビーフを食べれば、ハヤシライスが元来牛肉料理であることを痛感できるはずだ。

 

文明開化の味を知ってしまった

だから、もしかすると丸善のレトルトハヤシは、ハッシュドビーフの一種ではなく牛丼の亜種と捉えるべきなのかもしれない。事実、レシピを構造的に見ていけば両者の共通点はかなり多い。汁だくの牛丼にドミグラスと赤ワインを加えれば、それだけハヤシライスに非常に似たものができあがるはずだ。

パッケージ内側にもしっかりと丸善とハヤシの関係が掲載

そう考えると、パッケージに書かれていた「文明開化の味と香り」という文言がただのハッタリではないこともわかる。開港以来の牛鍋文化とハッシュドビーフのマリアージュだと再解釈すれば、ハヤシライスへのイメージは大きく変わるのではないだろうか。牛肉とは、新しい時代への期待であり希望であり浪漫だったのだ。牛肉の味をしっかりと噛みしめることなしには、この国の洋食文化を理解することなど到底不可能なのだ。丸善ハヤシを食してみれば、文明開化の味がする――。

お手頃とはいえない価格なのでおいそれとはオススメできないが、少なくともこのレトルトに関してはコストパフォーマンスという概念を持ち込んで評価すべきではないのだろう。お得かどうかはさておき、筆者はまた食べたいと思った。それが率直な感想だ。そして可能であれば、これを越えるハヤシを自分で作りたい。終わってみれば、筆者の料理熱がますます高まっただけであった。