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神田神保町の古書店が「児ポ」販売で逮捕 神保町と社会に迫る弾圧の手に抗えるか

神田神保町に所在する有名な古書店「湘南堂書店」が、「児ポ」書籍を販売したとして逮捕された。これは神保町に迫る弾圧の第一歩となるのだろうか。(2月21日追記あり)

(画像はGoogle mapのストリートビューより、2017年10月の湘南堂書店)

神田神保町、すずらん通りに所在する古書店「湘南堂書店」が19日、「児ポ」書籍を販売していたとして警察による摘発を受け、従業員3名が逮捕された。

今回摘発を受けた湘南堂書店は昭和46年に創業した。神保町の中でも有名な古書店であり、主に日本の古典文化関係の書籍、成人向け書籍を扱っていた。店頭にも商品が溢れるように置かれ、狭い店舗ではあるが多くの書籍を抱える、文化と店舗両面の歴史を感じさせる店舗であった。しかし19日の朝、警察がこの店舗を急襲し、(権力が定めるところの)「児ポ」を販売していたとして、書籍220冊を押収、従業員3名を逮捕した。

今回の摘発のきっかけは匿名の密告によるもの。湘南堂書店では以前から、経営難のため、「児ポ」書籍を客から買い取っては7000円以上で販売し、ある写真集に至っては29万円で販売していたという。警察は摘発に繋がった「児ポ」書籍の詳しい書籍名を明らかにしていないが、ネットユーザーのあいだでは、児ポ法が施行される1999年以前に全く合法に販売されていた書籍「アリスクラブ」や小児ヌード写真集「プチトマト」などの名前が予測として上がっている。警視庁において「児ポ」所持を名目に古書商を逮捕するのはこれが最初とのことであるが、次々と古書店への圧力を強めたい意図が感じられる。元々既に、2006年には無修正の成人向け書籍(通称裏本、金閣寺など)を販売したとして神保町の古書店数店舗が弾圧的に摘発を受けている。

 

以下は筆者の個人的見解による。

筆者は湘南堂書店が摘発を受けた翌日、神保町へ赴き状況を確認した。

 

筆者も神保町が好きで度々出向いており、この古書店についても何度か入店したことがあるので驚きを持って推移を見守っているが、今日昼頃この事件を知った時、即座に筆者の脳内ではある事件が思い浮かんだ。「戦前の不敬・反戦発言Bot」を運営している身として、様々な事件が思い浮かぶが、中でも権力によって何らかの書籍が勝手に「禁制」とされ・古書商がそれをあつかい検挙される……と言う事例に当てはまる事件がある。1941年12月9日、太平洋戦争開戦直後に全国で「非常措置」と言う名目の元、反戦主義者や左翼が次々と逮捕弾圧されていった。その中で、当時非合法の共産主義文献を隠れて販売していた名古屋の古書商が逮捕された事案がある(特高月報昭和18年1月分に記載)。今回起きた事件とこの事件は、70余年の時を経て繋がっているように思えてならない。

1999年の「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」、通称「児ポ法」によりそれまで全く合法に販売されていた小児ヌードを扱う表現は規制され、製造販売が禁止された。そして2014年に「児ポ法」が改正され、権力により「児ポ」とされた表現の単純所持までも規制された。この時、筆者はいずれどこまでもこの条件は拡大・流用され、様々な文化を弾圧する名目になるだろうと危惧した。また、「二次元(空想のキャラクター)は守られたから、三次元(実在の表現)は後はどうでも良い」と言う態度を取り後退した反表現規制運動の主流にも疑問を持った。まず、誰が「児ポ」であるとか「危険な表現」とやらを定めるのだろうか?なぜ、以前全く合法に販売されていた書籍のそれも所持すら禁じられなければならないのか?これは戦前においてエログロ始め社会・共産・無政府主義の文献が規制された検閲制度と全く変わりないではないか?……それらがここに来て、危惧した通りのことに近付きつつある。

前述の戦争に代わる出来事・トリガーに目を向ければ、今はまさに、東京オリンピックへ向け社会全体で次々と「浄化」政策が取られつつある。これにかこつけ、自民党は今国会で、表現規制に容易に結びつく「青少年健全育成基本法案」を整備しようとしている。市井に目を向ければ、全国のコンビニや書店から成人向け書籍が消し去られようとしている。あるいはコミックマーケットなどにおいても「テロ対策名目」などで年々権力への介入は増し、また運営側の自主規制も増加の一途をたどっている。オリンピックでもワールドカップでも万博でも、何か大きな催し物の前にはそれを名目に、エログロ表現・娯楽、また都合の悪い存在(ホームレス、貧困層、「活躍できない」障害者や在日人・ハーフetc)が社会から掃き捨てられるのだ。戦争でもオリンピックでも、権力はどこからでも「都合の悪い存在」を消し去る理由を持ち出せる。

人が考える、人が本を作る、人が本を売る、人が本を持つ、人が本を読む、人が本を思う……人が本を廻す、このどの過程においても、権力が介入するようなことはあってはならない。どんな酷い内容でも(権力が勝手に定義する「児ポ」が本当に酷いのか分かり様もないが)、この過程に権力が入り込もうとする事を認めれば、我々の生活の様々な場面が乗っ取られることになるだろう。今回の件がそうだとは思わないが、どう考えても「愚か」な内容の本があったとしても(日本に政治的な文献を導入した人々も最初はそう「扱われた」であろうが)、それは受け取り側一人一人が考え民間の力として対応すべきことであり、権力に規制をけしかけるようなことをさせれば、それはいずれ他の場所の全局面で規制を発生させる種になるだろう。その時(そして今や)悔やんでも遅くなってしまう。今からでも、反規制・反健全育成といった抵抗の動きが必要である。筆者も規制や「健全育成」に打ちのめされた経験のある一表現者、一ハーフである。湘南堂書店や他表現者・書店に対する弾圧を、「弾圧」のままに終わらせてはならないと思う。