今ここで綱で繋がっている全ての人へ。幸あらん事を。
可視化された幸福がそこらじゅうで、線香花火の化碑を撒き散らしていた
猛烈にしんどくなって書き上げました。
喚きはじめた銀の鸚鵡の あの幼女の、死が黒猫に擬態したものに近く 雨漏りを眺める
ふりだした賽の目は黒で、いつまでも朔に満たない
まあこれは酒に酔って気持ち良い感じに吐瀉物と創作+詩を価値観にダダ漏れさせたもの
終わりを嘆いた。漂着した小さなひとみだ/ちいさく震えたけれど背負い切れるわけでもない/砂の器だ
しじまそのものだった
私が死んだら、 貴方は泣いてくれますか?
土にかえり礎とかす――雨、私の名を呼ばないで
ですからその器が何を示しているとしても器自身はひとつであり、茶器であり、空のモノで、ヒトとありました。まあようはツチクレのはなしというわけです。
まだあたたかい12月のカレンダーの色あせたこと
と或る日常から蘇る、又は重なってしまう/永遠や普遍たるなにか、人の心の中で求めたり刻まれている/手紙に認めるような、行為に/口伝なり詩文なり、戲言なり、会話の隅々だったりに、現される。
一日に二度投稿してこの詩が殆ど読まれていないので再掲します。よろしければ感想をお聞かせ下さい。
安らかに眠れ、さあ今すぐに眠れ、眠れる、粘れ、眠れ
老齢に入ってもまだ、現在に藻掻き苦しむことの面白さは格別である。
激痛がありながらの逍遥が快楽であると言ふドストエフスキイの地下室の歯痛が快楽を将に実践してゐるそのことを簡明に書いた散文詩です。
悩んでも、愛されなくても、生きる事は人間らしい。